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標題の問題設定は、NHKが12月に4回にわたって放送したNHKスペシャル・シリーズ「日米安保50年」(注)の問題意識を借用したものである。
このシリーズの問題意識は次のようであった。「日米安保条約の文言は一言一句変わっていないが、その意味するものは50年間で大きく変貌している。『基地提供』から『防衛協力』へ。『極東』とされた範囲は『世界』へ。『安保体制』は『同盟』とも呼ばれるようになった」(NHK ONLINEより)。 では、いかにしてそうした変貌は可能になったのか?この「NHKスペシャル」によると、「こうした変貌の陰で日米関係をコントロールしてきたのは、通称ジャパンハンドと呼ばれるアメリカの対日政策担当者と日本の外務・防衛官僚たちだった」という(同上)。たしかに、今日、政府もマスコミも日米関係を「日米同盟」であると当然のように語っている。 だが、日本国民はそのような「同盟」を承認した覚えはない。 (注)このシリ−ズは、第1回「隠された米軍」(12月4日)、第2回「沖縄“平和”の代償」(同5日)、第3回「“同盟”への道」(同11日)、第4回「日本の未来をどう守るのか」(討論)(同前)として放送され、私も視聴した。 再放送予定は、第1回「隠された米軍」(12月27日午前0:40〜1:38)(26日深夜)、第2回「沖縄“平和”の代償」(同前1:40〜2:29)と公表されている(NHK ONLINE)。
では、日米の「同盟」とはどういうことか。この番組の中でリチャード・アーミテージ元米国務副長官(おそらくジャパンハンドの有力な一人)が語っていた言葉によると、それは「米軍は日本を守るために血を流す。日本の自衛隊も血を流す」ということだそうである。
だが、同盟とは一般に相互的なものであり、「同盟の一国が第三国から攻撃されれば、他方の同盟国は、攻撃された同盟国を支援して、その第三国と戦う」というもので、その内容は当該同盟条約の中に明記されるものである。ところが、アーミテージ解説によると、「米軍は日本を守るために血を流す」が、「日本の自衛隊は米国のために血を流す」ことにはなっていない。すなわち、これは本来の、双務的な同盟ではないのだ。 一般に、同盟国の義務は条約において厳密に規定されるものである。その一つの具体例を第2次世界大戦直前に締結された「日独伊三国同盟」(1940年9月)について見よう。
この条約第3条は同盟国の義務を次のように規定した。「三締約国中いずれか一国が、現に欧州戦争または日支(日中のこと−引用者加筆ー)紛争に参入していない一国により攻撃された時は、三国はあらゆる政治的経済的及び軍事的方法により相互に援助すべきことを約す」(当時の公式発表文を現代文体に直した)。 現実には、その後、1941年6月にドイツがソ連に宣戦布告をし、独ソ戦争が始まったが、これはドイツが「一国により攻撃された」わけではない(逆にドイツが攻撃)ので、日本はソ連に対して中立を守った(なお、日本は41年4月に日ソ中立条約を締結していた)。逆に日本が41年12月8日(米国時間では7日)に真珠湾を攻撃して対米戦争を開始した時には、同様の理由でドイツとイタリーには対米開戦の義務はなかった。ところが独伊は独自の判断で同11日に対米宣戦布告をした。これについては、すでに欧州で英仏ソと戦っていた(2正面戦争)ドイツが、なぜあえて米国とも戦うことにしたのかが、当時もその後も政治論として問題になったものだ。 また、第2次大戦後の「冷たい戦争」に対処するために結成されたNATO(北大西洋条約機構)の基礎をなす「北大西洋条約」(The North Atlantic Treaty、1949年)においては、第5条で次のように規定されている。
「締約国は、欧州または北米における締約国の一つあるいは二つ以上に対する武力攻撃に対しては、それは締約国全体に対する攻撃であると見なすことに同意し、それ故、もしそのような攻撃が起きた時には、各締約国は国連憲章第51条において認められている個別的または集団的自衛権を行使して、北大西洋地域の安全を再建し維持するために、ただちに、個々にそして他の締約国と協調して、武力の行使を含む必要な行動により、攻撃を受けた締約国または締約諸国を援助すべきことに同意する」(第5条の以下は略)(NATO公式テキストより拙訳)。 これに対して、日米安保条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約、1960年6月)では以下のように規定されている。
第5条−「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」(第5条の以下は略)。 第6条−「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」(第6条の以下は略)。 この条約は、締約国(日米)が対処すべき他国による武力攻撃は「日本国の施政の下にある領域における」ものであると限定している(もう一方の締約国である米国の領域を含まない)こと、及び「共通の危険に対処するように行動すること」の中身として各締約国の武力行使が含まれていない(明記されていない)ことに特徴がある。つまり、これは本来の同盟ではないのだ。 実際には日米安保条約とは、端的に言えば、①“米軍駐留下の日本を日米両国で防衛する条約”であり、また条約に定められた②米軍の日本における基地も、基本的には日本あるいは在日米軍に対する武力攻撃に対処するためのものである。そして、③日本防衛の武力においては、日米両国のうち米国の武力の方が圧倒的に優勢(とくに質的に)である。
以上の3点を総合すると、日本防衛(武力での)の主力は米軍であるという実態、及びそれを体現している安保条約の本質が浮かび上がってくる。それは、日本が米国(過去の戦争における対日勝者)の保護国であり、自衛隊はいわば“本国”の米軍の従属的軍隊だという実態である。 アーミテージ氏が言う「米軍は日本を守るために血を流す。日本の自衛隊も血を流す」という言葉は、その意味でこうした日米安保体制の実態のまことに率直な表現である。 ところが日米両国政府は、過去半世紀を通じて、日米安保条約及びそれが表す以上のような日米関係の実態を、対等で双務的な「日米同盟」であると称する(偽称する)ことに日本国民を慣らしてきたのである。では、それは何のためか。ただ日本国民に対米対等感(実態とはかけ離れた)を持たせるためだろうか?
そうではあるまい。それは、「同盟」という看板の下で、「日本国の施政の下にある領域」(安保条約第5条)の外の米軍の行動(例えばアフガニスタンやイラクにおける)に、徐々に自衛隊を引き入れるためであったと理解できる。つまり、“本国”の軍事行動に被保護国の軍隊を協力させる(これまでは直接の武力協力ではなかったが)ためだ。だが、そうしたことは日米安保条約が規定することの範囲を超えた行動であり、同条約違反である。 このような日本国の外における日米安保協力として、この次に想定されているのが朝鮮半島とその周辺における日米共同行動、さらには日米韓の共同行動だと思われる。 仮に北朝鮮が日本の施政権下の地域を攻撃するようなことがあれば、日本の単独行動であれ、日米安保条約の範囲内の日米共同行動であれ、これに反撃するのは当然だ。しかし、北朝鮮が韓国を攻撃した場合に、日本が安保条約を援用(誤用)して米国とともに韓国の対北朝鮮軍事行動に協力できるかと言えば、それは完全に否(いな)である。 しかし、米国の場合には韓国への武力による援助はむしろ当然である。なぜなら「米韓相互防衛条約」(1953年)は第2条で次のように規定しているからだ。「締約国は、いずれか一方の締約国の政治的独立または安全が外部からの武力攻撃によって脅かされているといずれか一方の締約国が認めたときはいつでも協議する。締約国は、この条約を実施しその目的を達成するため、単独に及び共同して、自助及び相互援助により、武力攻撃を阻止するための適当な手段を維持し発展させ、並びに協議と合意とにより適当な措置をとるものとする」(東京大学東洋文化研究所・田中明彦研究室の「日本政治・国際関係データベース」による)。付言すると、この条約はまがうことなき軍事同盟のそれである。 すでに、12月3日から10日まで行われた日米共同統合演習には初めて韓国軍がオブザーバーとして参加したし、6日に日米韓の外相会談がワシントンの米国務省で行われた際、北朝鮮による韓国砲撃を強く非難して要旨次のような共同声明が発表された。
「日米同盟、米韓同盟、日韓間の協力がアジアの平和と安全の維持に不可欠で、日米安全保障条約、米韓相互防衛条約の下での相互の責任と約束を再確認」、また「北朝鮮の挑発的、好戦的な態度は3ヵ国すべてを脅かすもので、3ヵ国が結束して対応することを確認」した(読売、7日夕刊)。明らかに、日米安保と米韓防衛条約の“リンク”が図られている。 また米軍制服組トップのマレン統合参謀本部議長は8日にソウルで記者会見し、「(米韓軍事)演習に周辺国や同盟国、とくに日本が参加することを望む」と述べた(産経、9日)。 日本では、9月の尖閣諸島問題を契機として日米“同盟”強化論が高まり、その勢いの赴くまま、朝鮮半島有事の際にも日本が関与することを主張する、あるいは受け入れる傾向が出てきている。そのはしりとして、「菅首相は11日に、朝鮮半島有事の際、在韓邦人救出のため自衛隊機を現地に派遣できるよう、韓国政府と協議に入る考えを表明した」。しかし、これには「韓国国民の自衛隊に対する反発」も予想されている(読売、12日)。 尖閣諸島が安保条約の適用範囲内にあると理解すること、それ故にその防衛のために日本が米国の軍事力を恃む(たのむ)ことは妥当である。しかし、中国の勢力圏の膨張や北朝鮮の好戦的な態度に対して、米国あるいは米韓と共同で、武力を背景にそれを封じ込めようとすることは、米国の戦略としてはあり得ても、これまでの日本の安全保障・外交の基本線を越えるものだ。 そのように安保条約を拡張運用しようとするのなら、政府は同条約の根本改定をはかり、それを国会審議にかけるべきなのである。 ただし、私は現行の安保条約とそこに示されたわが国の安全保障政策がこのままでいいとは思わない。それは、先に述べたように、敗戦国かつ被保護国として日本を扱う体制だからだ。それに、沖縄の現状に示されるように、米軍基地の存在が過重負担になっている。
こうした問題を解決する道は、日本の自主防衛体制の(ただし非核の)構築ということであろう。それは容易なことではないが、その目標を持たなければ、日本は米国の政策と戦略のままに流されるだけである。 鳩山由起夫政権はそうした方向を目指したように思われる。昨年起きた民主党ブーム(結局はバブルであったが)は、そうした方向への国民の期待が表れたものと見ることが出来る。しかし、鳩山氏にはそうした構想を具体化し、着実に現実化していく政治方針がなかった。そのため、この構想は大失敗に終った。これに対し、菅内閣にはそうした大方針も理想もなく、むしろ鳩山時代の反動で、その安保政策は完全に自民党時代のそれに戻ってしまった。 このような閉塞状況はどのように打開されるのか。こんごの政治においては私は在来型の“革新”政党には期待できないと思う。彼らには自主防衛論が欠けているし、政党としてのイノベーション(革新)がなく、老朽化してしまったからだ。したがって残る可能性としては、政界再編成を通して新しい政党あるいは政党連合が出現し、それがこれらの課題に的確に対処することに期待するほかなさそうだ。(この項 終り)
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エコノミストの時評
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