|
東京第5検察審査会による2010年9月14日の起訴議決にもとづき、検察官役の指定弁護士は11年1月31日に小沢一郎元民主党代表を政治資金規正法違反の容疑で在宅起訴した。この強制起訴は検察審査会がその旨の議決を行った時から予定されていたもので、私などにはなにも新しいこととは思えなかったが、2月1日付の各新聞はそのほとんどすべてがこの事実を1面トップで報じた。なにか“待ってました”という感じだ。
そして、政界(政府と民主党主流派を含め)もマスコミも、「起訴されたからには民主党からの離党、さらには議員辞職もすべきだ」との大合唱を行っている。これに対し、当の小沢議員が離党も議員辞職も否定したため、自民党をはじめ各野党(社民党を除く)は小沢氏の議会での証人喚問を実現させるよう菅直人首相に迫っている。また、民主党執行部は小沢氏に対し離党勧告を行う動きを見せている。だが、検察審査会の議決にもとづく強制起訴を機に、なぜ(有罪の見込は大きくないのに)小沢議員は離党さらには議員辞職をしなければならないのか。そこには政略や感情はあっても論理は無い。 この強制起訴の決定に至る経過は、①10年2月4日に東京地検が小沢氏の不起訴を決定、②4月27日に東京第5検察審査会が「起訴相当」を議決、この議決にもとづく東京地検の再捜査の結果、③5月21日に再び不起訴の決定、そして検察審査会の再度の審議で④9月に再度の「起訴相当」の議決となったもので、この経過を見れば、小沢氏自身が強調するように、地検の2度にわたる不起訴の決定は相当に重視されてしかるべきだ。
では、それにもかかわらず、なぜ検察審査会が起訴相当との議決をしたのか。検察審査会の第1回目の議決(10年4月)は次のように述べている−「本件事案については、被疑者を起訴して公開の場(裁判所)で真実の事実関係と責任の所在を明らかにすべきである。これこそが善良な市民としての感覚である」。また、第2回目の議決(同9月)は次のように言う−「検察審査会の制度は、有罪の可能性があるのに、検察官だけの判断では有罪になる高度の見込がないと思って起訴しないのは不当であり、国民は裁判所によってほんとうに無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう権利があるという考えに基づくものである。…いわば国民の責任において、公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけようとする制度であると考えられる。よって、上述趣旨のとおり議決する」。 つまり、裁判によって黒白をハッキリさせてほしい、というのが検察審査会の「起訴相当」の議決の根本の趣旨である。それなら、すべてを裁判の帰趨に委ねる以外にないということになるはずだ。
ところが、これまで野党とその要求に押された政府与党は、小沢氏を国会に呼んで自ら「説明責任」を果たすように要求してきた。政府与党は政治倫理審査会での説明を、他方で野党(社民党を除く)は「証人喚問」(強制力がある)を行った上での証言(偽証の場合には告発される)を求めてきた。“法の場”での審議のほかに、“政治の場”での質疑・説明も必要だ、というのがその理由だ。これに対し小沢氏は「真実は裁判で明らかにする以外にない」と主張してきた。 では、国会での説明や証言が実現した場合には、何かが明らかになるのだろうか。否である。仮に小沢氏が政倫審に出席して委員の質問を受けても、“その点は裁判で明らかにするのでこの場では返答を控える”と言えば、委員会としてはそれ以上に進むことはできないのである。
また、証人喚問の場合には、喚問への出席にも証言にも強制力があるが、次の場合には証人は宣誓や証言を拒むことができるとなっている(議院証言法第4条)。すなわち、同法は「以下に掲げる者が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受けるおそれのあるとき」(同法第4条第1項)は証言等を拒否できるとして、その冒頭に「証人自身」をあげている。 したがって、野党が固執する証人喚問が実現しても、すくなくとも検察審査会で「起訴相当」が議決されて以後は、小沢氏は補佐人の補佐(証言法で認められている)を得て、微妙な問題(裁判の帰趨にかかわるような)についての証言を拒否するだろうから、喚問からは何も出てこないことは明白だ。 それなのに、野党とくに自民党と公明党は証人喚問に熱心だ。新しい結果など得られる見通しもないのに、である。
では、証人喚問を求め続けている野党の狙いは何か。その一つは、政府与党がそれを避けていることにつけ込んで、政府与党が“真実解明を避けている”とのイメージをつくり、かつはこの問題を絶えず持ち出すことで本筋の国会審議(予算案など)を遅らせ、菅政権を窮地に追い込むという政略によるものであろう。 それに加えて見逃せないのが、石原伸晃自民党幹事長などがよく「小沢氏は喚問の場で本当のことを明らかにすべきだ」と言っていることだ。この主張には、小沢氏の起訴理由は「政治資金収支報告書への支出の不記載(巨額の支出を記載年をずらして記載)」という「形式犯」容疑であるけれども、実際は“ゼネコンからの巨額の献金を隠すための不記載”だったと信じ、そのことを小沢氏自身に白状させたいという意図が込められている。 菅首相や民主党主流派の人たちも同じ推定に立っていると理解できる。例えば江田五月法相は小沢氏起訴に関して、「民主党は政治とカネの問題を次の世代に引き継がない、という思いを持っている。決着をつけたいという思いは強く共有されている」と語っている(讀賣、1日夕刊)。ここで言われている「政治とカネ」とは、単に「政治資金収支報告書への不記載」ということにとどまらず“政治家による不正あるいは不適当な政治献金の受領”を意味していることは明らかだ。菅首相が繰り返し「政治とカネの問題に決着をつける」といってきたのもそういう意味にほかならない。 さらに、国民の多くも同様に信じているように思われる。 実は東京地検特捜部が小沢捜査に着手した真の狙いはその点にあった。だが、特捜部はその立証、裏付けに失敗した。この間の事情をあらためて産経(2月1日)が次のように書いている。
「昨年1月15日、東京地検特捜部は衆院議員、石川知裕ら元秘書3人を逮捕した。射程にあったのは『小沢立件』」。元秘書についてはもともと検察内部で「在宅起訴」の方針が固まっていたが、「特捜部幹部らが、消極的だった最高検幹部らを説得して『逮捕』のゴーサインを得た経緯がある。小沢の資金管理団体『陸山会』が問題の土地を購入した同時期に、中堅ゼネコン『水谷建設』から小沢側への裏献金疑惑があったためだ」。 「裏献金が土地購入資金に含まれていることが立証できれば、裏献金を隠したいという虚偽記載の動機が明確になり、小沢の関与も自然と浮かび上がる。これが説得材料だった。このため、裏献金を認める石川の供述が『小沢立件』の必要条件となった」。 ところが石川は、「小沢先生に報告し了承を得た」と形式的な虚偽記載については供述したとされるが、「裏献金については頑として認めなかった」。 このように、小沢氏へのゼネコンからの裏献金という疑惑の立証について検察は失敗したのである。その上、「収支報告書への虚偽記載」についても小沢氏の石川被告らとの共同謀議を裏付けられなかったため、検察庁は小沢起訴を断念したのだった。
それにもかかわらず、政府、民主党主流派、野党はこの裏金の授受を信じ(しかもそのことを表だって言うことは避けて−なぜなら検察も証明できなかったことだから)、今回の起訴を受けて、小沢氏に離党さらには議員辞職を迫っているわけである。そこに見えるのは、なにがなんでも小沢氏を政界から追放しようという意図である。 では、なぜそれほどまでにして小沢氏を追放したいのか。政府・民主党主流派の場合には、小沢追放によって菅内閣と民主党への世論支持率が上がり、来る4月の地方選挙での劣勢を少しでも挽回できるとの期待からだ。自民党の場合には、小沢氏が本当に自民党を壊そうとしている憎い“政敵”だからだろう。公明党は、小沢糾弾によって“クリーン政党”という自党のイメージを上げるためだと思われる。
いずれにせよ、政党は自党本位の政略から小沢追放を画策しているわけだが、ここに見逃せないのは、世論がそうした小沢追放方針を支持していることである。これは、小沢捜査の当初の段階における検察庁のシナリオ(そして立証に失敗した)をマスコミ報道を通じて心に焼き付けられ、それを真実と信じ続けているためであろう。 他方で、小沢氏自身は政治倫理審査会などの場を逆に利用して自らの立場を説明する機会を放棄したと言える。そもそも政倫審には、「政治倫理に関して不当な疑惑を受けたとして議員から疎明資料をそえて申出があったときは、当該申出に係る事案を審議しなければならない」という規程(第二条の二)もあるのだ。過去においては、加藤紘一(自民幹事長)、田中真紀子(前外相)、橋本龍太郎(元首相)等の議員が自らの申出により政倫審に出席、審査を受けている。
小沢氏はそうした点でたしかに積極的には説明を尽くしていないと言えるし、そのことによって反小沢の気運を自ら助長したと言える。むしろ、そうした点で、小沢氏は言論が重んじられる議会制民主主義には不適応な政治家と言えそうである。また小沢氏は、自らへの批判者に対して非寛容で、その点で敵を作りやすい政治家であることも否定できない。 それにしても、小沢氏が日本の政界において独自の政見と指導力を持ったごく数が少ない政治家の一人であることは否定できないと思う。そうした小沢氏を、裁判の結果を待たずに、政党とマスコミは「政治とカネの問題の解決」といったあいまいな理由で政界から葬り去ろうとしているわけだ。小沢氏とその支持者がそのまま引き下がるとは言えないが、まともな論理を欠いた一連の「反小沢シンドローム(症候群)」を見ていると、そのこと自体が日本政治の劣化を表しているように感ずる。 (この項 終り)
(お断り)当「診断録」が第3年目に入ったのを機会に統一副題を「現代短評」にあらためました。
|
全体表示
[ リスト ]




