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26,27日にソウルで開かれた「核安全保障サミット」では、4月中旬に打上げが予告されている北朝鮮の人工衛星については、結局公式の言及(したがって北朝鮮への非難)は行われなかった。それに対応して、北朝鮮がサミット前に行った「サミットで北朝鮮核問題に関連する声明が採択された場合、『宣戦布告』と見なす」との脅迫(当「診断録」3月23日号参照)も行われなかった。サミット場外ではオバマ米国大統領やホスト国韓国の李明博大統領らが北の衛星発射計画を強く非難する発言を行っていたにもかかわらず、である。
これは、核安全サミットがそもそも「核テロ」の防止を目的とするものであり、また今回のサミットでも北朝鮮の衛星打上げ計画は議題として予定されていなかったのであることを考えると、サミットの「公式声明」にこの衛星問題が盛り込まれなかったのは当然とも言える。しかし、この衛星計画発表を先の米朝合意(2月29日)に反するとの見解を国務省報道官談話で示した(3月16日)米国も、その後北朝鮮に対して直接に計画撤回を迫ったことがないし、米国の有力マスコミもこの衛星打ち上げ問題にはほとんど関心を示していないのが実状だ。
こうした状況は、米国が実際には北朝鮮の衛星打ち上げを黙認しているとの観測を強める。
すでに韓国の聯合ニュースが3月21日にワシントンの消息筋の話として、北朝鮮は金正日総書記の死去発表3日前の昨年12月15日に、「米国側へ今年4月15日前後に『人工衛星を打ち上げる』との計画を通告していた」と伝えており(「診断録」、同上)、讀賣(25日)も同様の報道を行ってこれを裏付けている。讀賣によると、この北朝鮮の通告を聞いたのは元国務次官補代理(ブッシュ前政権時)のエバンス・リビア氏で、同氏は「この衛星発射計画は金正日総書記自身の決定だった可能性が高く、後継者の金正恩氏らは『決定を覆す立場にない』として発射は避けられないだろうとの見方を示している」という。米政府もこのリビア氏と同様の判断を下している可能性が大きい。
北朝鮮自身も27日に外務省報道官の談話で、「衛星打ち上げは故金正日総書記の遺訓に基づき以前から推進してきた正常な事業」と位置づけ、それが衛星の「平和利用であると示すため、米航空宇宙局(NASA)に専門家派遣を要請した」と表明している(日経、28日)。
このような報道を見ると、オバマ大統領がサミット前にソウルで行った北朝鮮非難や38度線視察は、やはり韓国抜きで行った2.29米朝合意に関して韓国を慰留するためであった(「診断録」同)との感を深くさせる。 実際には、こんご米国と北朝鮮との間でこの衛星打上げや核の問題をめぐって交渉と対立の曲折はあるだろうが、2.29合意の線上での米朝協議が継続されることはほぼ間違いないように思われる。要するに、米国と北朝鮮は実は深いところで相互に理解しあっているということであろう。それは、米国は朝鮮半島全体を自らの勢力圏と見なしており、他方で北朝鮮も自らの存立の保証を、終局的には中国やロシアにではなく米国に求めているからだと私は理解する。
私がこうした見方をとるのは、米英ソ3ヵ国によるヤルタ協定(1945年2月)を念頭に置くからだ。
この協定を生んだヤルタ会談は、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、スターリンソ連首相がソ連領クリミア半島のヤルタにおいて、日本の敗戦の半年前に、ソ連の対日参戦や連合国による戦後世界の処理の方針を協議し協定した重要な会合で、ソ連の対日参戦の代償として千島列島(今日、日本が北方領土と称している南千島を含む)をソ連へ引き渡すこともこの協定の密約で決められている(もちろん私はその正当性を認めていないが、後に吉田茂首相の日本政府は1951年のサンフランシスコ講和条約で千島列島全体の放棄を認めた)。
このヤルタ会談において、米国は朝鮮半島(日本の植民地化されていた)をその独立の時まで米ソ及び中国の3ヵ国共同の信託統治下におく構想を提案、「アメリカはフィリッピンの独立を準備させるのに50年間近くかかったから朝鮮の場合は20年から30年間」 を信託統治期間とし、「信託統治下の朝鮮にはいかなる外国軍隊の駐留もゆるさない」とした(藤村信「ヤルター戦後史の起点」、1985年、岩波書店、p.105)。
以上のような朝鮮処理の方針は正式のヤルタ協定とそれに付随する「極東問題に関するヤルタ密約」には明文化されていない。しかし、朝鮮処理の方針をルーズベルト米大統領が提案し、他の2国がこれにとくに反対しなかったことに見られるように、朝鮮半島の戦後のあり方は対日戦争勝利の主力であった米国の方針にもとづいて決めるというのが連合国のいわば当然の合意であったと見ることが出来る。
では、日本敗戦後の朝鮮の実際の経過はどうであったか。「日本が降伏したとき、38度線以北の日本軍はソ連軍に降伏し、以南の日本軍はアメリカ軍に降伏するという暫定取り決めが米ソ軍事当局の間で結ばれました。軍事目的に限られた分割はやがて米ソ占領軍を隔てる垣根となり、果ては一つの民族を二つの国に分割する閉鎖的国境になりました」(藤村信、同上、p.108)。
ところが、ソ連はこうして北朝鮮を事実上の支配下に置いたものの、朝鮮戦争(1950〜53年)に際しては軍事的には非介入だったのに対し、中国は国連軍(実質的には米軍及び韓国軍)が朝鮮・中国の国境に迫ったときに義勇軍というかたちでこの戦争に介入して国連軍を押し戻した。以後、中国はソ連に代って北朝鮮に強い影響力を持つようになったわけである。
しかし、その後北朝鮮は中国に対して自立性を強める傾向にあり、中国も北朝鮮を重荷に感じ出したように見える。
そうした経過をたどり、結局朝鮮問題処理の方向はヤルタ会談での“原点”に戻りつつあるようである。
もちろん、北朝鮮が米国の指導権を易々と認めることはないだろうし、まして朝鮮半島の南北和解からその統一へという方向が簡単に出て来るとは思わないが、ヤルタ協定(正式文書には書かれてはいないが)は朝鮮半島問題を理解する上での重要なヒントになるであろう。(終り)
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ヤルタ協定(1945年2月)
1945年2月に署名されたヤルタ協定では、樺太の南部及びこれに隣接するすべての島はソ連に「返還する」こと、及び千島列島はソ連に「引き渡す」ことが書かれています。
ソ連は従来から、北方領土問題についてヤルタ協定を引き合いに出していました。
しかし、ヤルタ協定は、当時の連合国の首脳者の間で戦後の処理方針を述べたに過ぎず、日本はヤルタ協定に参加していないため、この協定に拘束されることはありません。
また、そもそも同協定の内容はカイロ宣言に反しており、また米国政府も1956年9月7日のこの問題に関する同政府の公式見解において、この協定に関する法的効果を否定しています。
2013/1/1(火) 午前 11:05 [ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]