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総選挙の公示(12月4日)を前に、与野党11党首による討論会が11月30日に東京の日本記者クラブで行われた。私はこの中継をNHK・TVで視聴した。その内容の要旨については当日のNHKその他の放送のニュースでも、12月1日の新聞各紙でも大きく報じられたから、大方の皆さんはその内容をご存じだと思う。
この論戦の内容についての評価はさまざまであろうが、私が強く感じたことは、現在の日本の政治で最重要テーマの一つである、普天間基地をはじめとする沖縄の負担の問題がまったく取り上げられなかったことだ。各党首然り、党首の発言後に出席記者達を代表して質問をした4人のジャーナリスト達も然りだった。
ただ、会場内の一般記者席から沖縄の新聞(沖縄タイムスだったか?)の記者が、普天間基地移設とオスプレイの問題についての党首達への質問を記者代表に伝え、それが披露されただけだ。対する野田民主党代表の答はまったく型通りのもので、総選挙に臨み沖縄県民に強いメッセージを発するものではなかった。
こうした有様を見聞きしていると、日本の(沖縄を除く)政党・政治家もマスコミも、沖縄の基地負担のことを真剣に考えていないことがよくわかる。このことは、一般国民(私も含む)についても大なり小なり当てはまることではないだろうか。あるいは、尖閣問題で日中関係が悪化して以来、多くの人は沖縄の基地は安全保障上必要だと考えるに至ったのだろうか。それならそうと沖縄県民に言って理解を求めるべきだ。
主な政治家の中では鳩山由起夫元首相がただ一人、首相として普天間基地の国外・県外への移転を主張し(社共両党も単に主張だけは続けているが)、そして孤立無援のまま敗れ去った。私は、鳩山氏を(小沢氏についても同様に)その首相就任前から首相の器と見ていなかったし(当「診断録」2009年5月16日号)、また首相退陣後に「政界を引退する」と公言しながらそのまま議員に居座った引き際の悪さにもあきれたが、とにかく普天間問題に真正面からの解答を試みた勇気は評価する。
政界・政治家とマスコミは、そうした鳩山氏を嘲笑をもって送り出し、併せて彼が提起した普天間の国外・県外移設問題をも葬り去りたいように見える。
このような日本の、というよりいわゆる本土(沖縄の人が言うヤマト)の政治家と国民の沖縄基地問題についての無策・無関心ぶりと、それに対する沖縄県民の落胆ぶりを見ると、今後は沖縄県民は沖縄(むしろ琉球と言うべきか)の独立を目指した方がいいのではないかと私には思える。
沖縄が独立国となれば、国として強く米国に対し沖縄基地の撤去を要求し、交渉できるし、あるいは日本に対して対等の立場で在沖縄基地の「引き取り」を求めることもできる。
もし独立すれば、沖縄は経済的に自立が困難になる恐れはあるが、弱点は貿易と観光立国でカバーし、必要に応じ、米国、日本、中国などの“隣国”と連携・提携の道を探る(日本との連携がよいと私は思うが)ことも可能だろう。
さかのぼれば、沖縄県はかつては琉球王国(首府は首里)として独立国(日中両国と国交を持つ)だったが、1609年に薩摩藩の武力侵入の結果、琉球王国のまま薩摩藩の直轄領となった。その後1872年(明治5年)に明治政府が琉球王国を日本の琉球藩とし、79年には琉球藩を沖縄県として、ここに琉球王国は最終的に消滅した(以上の様な明治政府による琉球王国消滅への過程を「琉球処分」という)。
したがって、沖縄の立場から見れば、“沖縄の独立”とは琉球国としての“独立の回復”である。すでに本土(旧来の日本)との政治・経済・社会的な統合が進んだ沖縄があらためて分離することには私は積極的にはなれないが、しかし沖縄の人々がそれを良しとするなら、その意思を受け入れるべきだとも思う。
第2次大戦後の世界では、一方ではEU(ヨーロッパ連合)のように既存国家の統合への歩みが見られると共に、他方ではソ連邦の解体に伴う旧連邦構成の諸民族の独立(ウクライナ、グルジア、カザフスタンなど)、ごく最近ではスペインのカタルニア州(州都はバルセロナ)における独立支持派の州議会選挙での勝利(今年11月25日)など、既存国家内での分離・独立への動きも根強い。中国内におけるチベットやウイグルの人々の自立・独立要求も同様であろう。
そうした独立あるいは民族自決への希望・要求は尊重されるべきだと私は思う。
果たして今日、沖縄県の人々が独立を望んでいるのかどうかを私は不明にして知らないが、本土が沖縄基地問題の解決に冷淡・無力である以上、沖縄に独立を志向する政党、政治運動が出てきても当然だと思う。すくなくとも、そうした動きは本土の政党・政治家に対する大きな圧力になり得るだろう。
むしろ、こんどの総選挙を機会に、沖縄の選挙にそうした強力な新政党が登場してもいいように思う。(終り)
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