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昨年の日本は経済と政治の混迷、それに尖閣諸島問題をめぐる中国の烈しい反日攻勢などで、国民の間には将来についての深い危機感が広がった。年末の総選挙でも、「日本を取り戻す」と、あたかも日本がどこか外国にすでに取られてしまっているかのようにとれる極端なスローガンをかかげて選挙を闘う政党が出てくるような有様だった。
新聞の記事あるいは経済関連書籍の広告の文面(とくに後者)を見ていても、「第2の敗戦」、「このままでは日本は滅ぶ」、「日本は3流国に」、「大恐慌は必至」といった類の、人を驚かせるような文言が横行したし、今もしている。気の弱い人々はそうしたマスコミ上の文言によっても滅入っているようである。
長引いたデフレ、経済の停滞、人口減、政治の不安定、国際関係の緊張と困難の深まりはたしかに憂慮すべき現象であるが、克服できないアポリア(アリストテレスの哲学に由来する言葉だが、一般に、解決できない難問のこと)ではない。
多くの人が抱く不安は理解できるが、当面はとにかく、私は日本の遠い将来については楽観している。その根拠は単純なもので、自らの経験に即したものである。年頭に当たり、その考え方を後続の世代の人々に伝えたいと思う。
そうした私の将来観の出発点は、日本が1945年に経験した歴史上初めての敗戦と外国軍による日本全土の占領という危機である。私はその時16歳で、陸軍士官学校(予科)の生徒として日本陸軍の末席に連なっており(最後の1ヶ月半は病気で入院したが)、当然のことながら敗戦と、それに伴う勝者・連合軍の命令による日本軍の解体(したがって士官学校の解散)に伴い、帰郷(大阪)を命じられた(海外にはまだ膨大な数の日本軍将兵が捕虜として取り残された)。
降伏受諾までの長期にわたる米軍の砲爆撃でほぼ全土が焼け野原と化した日本には、国民が生きていける余地がまだあるのかどうか不明だと多くの国民には思われた。わずかに、ポツダム宣言(1945・7・26。日本はこの宣言を受諾して降伏)の中の次の条項だけが逆に頼りだった。
「日本国はその経済を支持し且公正なる実物賠償の取立を可能ならしむるが如き産業を維持することは許さるべし但し日本国をして戦争の為再軍備を為すことを得しむるが如き産業はこの限に在らず右目的の為原料の入手(其の支配とは之を区別す)を許可さるべし日本国は将来世界貿易関係への参加を許さるべし」(当時の翻訳による。ただし平仮名部分は原訳はカタカナ。六法全書に収録)。
要するに日本には、国民が辛うじて生きていく為だけの産業と貿易は許す、という主旨であった。しかし、敗戦直後期は住宅、食糧、燃料などの不足が厳しく、その上やがて猛烈なインフレーション(ピーク時には平均小売物価は戦前の80倍に達した)が発生して、大部分の国民はとにかく生きていくだけが本当に精一杯という状況であった(いつの時代でもそうだが、この時期にもヤミ取引などのビジネスで利益を得て富を蓄積した人たちはいた)。
当時私は、自分の以後の生涯はやっと最低生活を続けるだけのものになるだろう、と覚悟したものだ。
その日本がやがて世界第2の経済大国となり(最近では中国に追い抜かれて3位となったが)、G7(世界主要7ヵ国)あるいはG8のメンバー国になるとは、当時の状況と気持ちからすると、いわば夢のような出来事だ。しかも日本は、国民の間に反対意見があるものの、事実上の軍備(ポツダム宣言で禁じられた)を持ち、水準の高い軍需産業も持つに至っている。
このような戦後史を振り返ると、あの荒廃、敗戦、占領という苦難と屈辱から立ち上がることが出来た日本国民は、現在も将来も多少の困難で挫けるはずはない、という確信を私は持てる。
逆に言うと、最近の日本の苦境は、敗戦及びその直後期の苦難と比べたらものの数に入らないぐらいのものだと達観できるのだ。
近ごろ「日本は滅ぶ」などと言う人とその言葉を見、聞くと、そもそもこの人たちは「国が滅ぶ」とはどういうものか全くわかっていないな、と思う。実際は、日本は第2次大戦でいったん滅びたのだと言っても過言ではない。全土が荒廃化し、国が外国の勝者に降伏し、そして全国ががその外国軍に占領されるという状態(東京や大阪などの大都市においても占領軍兵士が闊歩していた)は、まさに「滅び」である。現に、敗戦で「大日本帝国」と「大日本帝国憲法」は消滅したのである。
私は(血の気が多かったせいか)日本の敗色が濃くなってから進んで軍に身を投じたのだが(米軍との本土決戦を信じていた)、その間にもアジア太平洋で日本軍が次々に玉砕(全滅)しあるいは敗退して米国軍が歩一歩と太平洋を日本に迫り、空からは連日のように米軍機の大編隊が来襲して無差別爆撃を繰り返す(究極には原爆を投下)のを聞きあるいは見ていると、本土決戦をしても日本は滅んでいくのではないかという実に暗い気持ちに襲われたものだ。そういう体験からすると、近ごろ「日本は滅ぶ」などと言う人には、「簡単に滅ぶなどという言葉を弄ぶな!」と怒鳴ってやりたくなる。
当時の危機感、絶望感と昨今の危機についての私の憂慮とには、まさに雲泥の差がある。
だからといって、日本が直面する経済の停滞、社会保障の危機、財政の巨大な赤字、所得と生活条件での格差、政治の不安定、人口の減少、依然として残る外国軍基地(とくに沖縄での)、近隣諸国との関係の緊張等々の諸問題が重要ではない、ということではない。ただそれらは解決可能だし、紆余曲折を経ても解決するだろうということなのだ。ただ、後述するが、率直に言ってこうした諸問題のうちで最も困難で、解決の道筋がまだ見えないのは人口減少問題だと私は思っている。
この先、中国に続く多くの新興の大国(インド、ブラジル、インドネシアなど)の高度経済成長により、世界における経済規模のランキングで日本の地位が下がっていくことは必至だが、これは植民地体制が崩壊し、世界各国が平等に成長機会を得ることになったことの結果として当然なのだ。そうした相対的な地位の低下について私たちは落胆、悲観する必要はない。
しかし、人口減とそれによる国力の衰退(が起きると私は見る)は憂慮すべき問題である。これは出生率の回復か、移民の増加(あるいは両方)がないと防げないが、これまでのところこの点については国民と政治家の関心が低いことが心配だ。
もっとも、こうした私の考え方(いわば伝統的な考え方)に対して、いまや世界は、人口、経済(したがって市場)の規模、産業と労働力の配置などについて一国規模でその適否を考えるべき時代ではなくなりつつあり、もっと広い諸国民の連合体の規模で考えるべきだ、という考え方があり得る。その点では、EC(ヨーロッパ連合)の経験、その中でのユーロ圏諸国の経験はもっと深く研究されるべきだと思う。
そうした「諸国民の連合体」(どのような国々と連合するか、出来るかという点を含め)の方向に活路を見出せるとすると、仮に人口減を阻止できなくても、日本の長期の将来を楽観的に設計することが可能かも知れないと思う。(終り)
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