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黒田東彦新総裁率いる日本銀行は、4月4日の金融政策決定会合で、「2年間で前年比の物価上昇率を2%とする目標」を達成するための「量的・質的金融緩和」を導入することを決めた(各紙、5日)。具体的には、日銀が市場へ供給する資金量(マネタリーベースと呼ばれるもの。すなわち市中で流通している現金と、金融機関が日銀への預け金《当座預金》のかたちで保有している資金の合計)を、2012年末時点での138兆円から14年末の270兆円へ、2年間に約2倍に増やす(年間で60兆円〜70兆円増加するペースで)というものである。
資金供給量をこのように増やすために、日銀は市中金融機関からその保有する国債などの債券を購入するが、その主なものは長期国債で、この買い入れで日銀はその長期国債の保有残高を年間50兆円ずつ(月間では約7兆円ずつ)増やす。その結果、日銀の長期国債保有残高は2012年末の89兆円から13年末に140兆円、14年末には270兆円に増える。日銀はこの新しい金融緩和政策を自ら「量・質ともに次元の違う金融緩和」と称している(上記政策決定会合についての「日銀公表文」。日経、5日)
いわゆるアベノミクスについての私の基本的な考えは当「診断録」前号(3月31日号)で述べているが、この度黒田日銀の新金融政策が発表されたので、今回はその問題点を中心に論を進めたい。
この度の日銀の「量的・質的金融緩和」(便宜的に2013年金融緩和策と呼ぶ)の最大の特徴は、「2%の物価上昇率」を実現するために“なぜ日銀の資金供給量を2年間に2倍にする必要があるのか”、についてまったく説明されていないことである。別の言い方をすると、そもそも金融というものは資金の借り手(需要者)からの借り入れ希望(資金需要)に対して資金を供給するものであるが、今回は資金の借り手から“日銀の資金供給を2倍にしてほしい”といった資金需要などが一切なかったのに、日銀の方から一方的に“資金供給量を2倍にする”と宣言しているのである。そして、なぜ2倍か、ということについてはなにも説明されていないのだ。
これは、端的に言えば、資金の大規模な「押し貸し」である。それは金融緩和と言えるものではない。そもそも「緩和」とは「きびしい状態がやわらぐこと。また、ゆるめたり、やわらげたりすること」であり、例えば「緊張緩和」「制限を緩和する」などのように使われる言葉である(広辞苑第6版)。
ところが、今回の金融緩和の以前において、民間の金融機関が資金の不足状態にあって、その不足分を日銀からの資金で埋めようとしてもそれができなかった、すなわち金融の(日銀による資金供給の)制約があったというわけではない。このような、資金の借り手からの借り入れ要望がないのに資金を供給するということは、金融の緩和ではなく、放漫な資金の供給、すなわち放漫金融にほかならない。
では、そのように放漫に供給される資金は何処へ行くのか?まさにこの点が今回の13年金融緩和のキー・ポイントである。この点についてのもっとも通俗的な、かつ間違った解釈は次のようなものだ。すなわち、「日銀がマネタリーベースを増やすことで、このお金を元手に銀行が企業や個人に融資し、投資や消費が増え、経済全体にお金が回って経済活動の活性化が期待できる」というもの(讀賣、5日)。
しかし、経済の現状はまさにデフレ、すなわち需要不足と物価下落の状態にあるために、企業は設備投資や雇用を増やすことに積極的ではない。たしかに資金の放漫な供給で金利はまだ下がるだろうが、企業は金利が少し下がった程度で設備投資を増やすものではない。企業が設備投資を増やすには、先行き需要が増える、すなわち経済が成長するとの見通しが必要なのだが、日銀の「異次元の金融緩和」もそうした成長を保証するものではない。
では個人(家計)はどうか。個人が金融機関から資金を借り入れるためには担保が必要だ。ところで個人が差し出せる担保といえば不動産(土地、家屋)か預金であろう。だが、個人は住宅を建てるか購入するとき以外に不動産を担保に資金を借り入れることはまずないし、まして不動産や預金を担保に資金を借りてまで購入するもの(あるいは投資すること)はほとんどないであろう。金利が下がれば、たしかに住宅建築あるいはその購入は促進されるが、それはすでにそうした建築あるいは購入の計画をもっている人の場合であり、金利が下がったからといってにわかに住宅取得を決意する人は多くないだろう。
したがって、上記のマスコミ流の通俗説のように、「日銀がマネタリーベースを増やすことで、このお金を元手に銀行が企業や個人に融資し、投資や消費が増え、経済全体にお金が回って経済活動の活性化」することは期待できないのだ。
もし、民間金融機関の資金がさらに潤沢になる結果として民間投資や個人消費が活発になることがあれば、日銀から金融市場に流れた資金は財・サービスの市場へ回ることになる(「診断録」3月31日号参照)。財サービスの末端取引では、クレジット決済もあるが、現金(紙幣すなわち日銀券及び硬貨)による決済が主流であるからだ。そのため、消費が活発になれば日銀券の流通高(したがって発行高)が増えることになる。これこそ、まさに「お金が市中に出回る」状態なのである。
ところが、日銀自身の予想によっても、銀行券(日銀券)の発行高は2012年末の87兆円から14年末の90兆円へ、13兆円増えるだけなのだ(日経、5日)。この間に市中金融機関が保有する日銀当座預金残高は47兆円から175兆円へ(128兆円の増加)、当座預金残高と銀行券を合わせたマネタリーベース(資金供給量)は138兆円から270兆円へ増える(132兆円の増加)にもかかわらず、である。要するに、言われるようには「お金は市中には出回らない」のだ。
結局、黒田日銀総裁は「2年で2%の物価上昇目標を念頭に、必要な措置はすべてとった」(日経、5日)と胸を張ったが、日銀が2倍に増やす供給資金がどのように、何処へ流れるかについては、なにも説明していないし、むしろできないのだ。要するに、「2年で2%の物価上昇を目標に資金供給量を2倍にする」というのは、市場を驚かすためのハッタリ、当てずっぽうに過ぎないのだ。ただ、金融の放漫化で金利がさらに下がることから、それが為替相場の一段の円安と、それを根拠にした株高をもたらしたに過ぎない。
黒田氏たちが実体経済の今後に期待する唯一のことは、「明確な物価目標を決め、大胆な緩和政策を一気に実施して企業や個人の期待に働きかける」(日経、同)ことの効果である。つまり、企業や個人が“2年先には物価は2%上昇する”と期待(予想)すれば、企業は投資を増やし、個人も消費を積極化するだろうというのだ。だが、当「診断録」前号(3月31日号)でも述べたように、個人は、住宅取得の場合あるいは高額商品購入の場合を別とすれば、仮に物価が先行き上がると考えても物の購入を急ぐとは言えない。むしろ、物価が上がっても所得が増える見通しが立たないのなら、普通の国民は現在の消費を抑える生活防衛を心がけるだろう。企業は、日銀が物価は上がる、デフレは終ると宣言しても、簡単に投資行動を変えることなどはしないだろう。ただし、「診断録」前号でも述べたように、財政面から行われている需要刺激が設備投資に影響することはあり得るが。
以上のように、黒田総裁指揮下の日銀の放漫金融の方針は、具体的な根拠に基づいて決定されているのではない。したがって、新金融政策そのものによっては企業の投資も個人の消費行動も大きな影響を受けないであろう。それでも、日銀は実際にその放漫な資金供給を始めるのだ。では、そうして供給される資金は何処へ行くのか?これがもう一つの大きな問題だ。
日銀による資金供給の受け手である市中金融機関は、そのいわば余剰資金を日銀への当座預金として置いている限りでは、0.1%の利子しか得られない。そこで、こうした資金は、第一に、直接あるいは間接に(金融機関から資金を借り入れる企業やファンドにより)、株式、不動産などのいわゆるリスク資産(値上がり益が期待できるが元本割れのリスクもある資産)に投資される。こうした資金は、また、利子率が高い(日本でよりは)外国で運用されるか、外国のリスク資産に投資される。
外国での資金の運用は、円を外貨に換えて行われるわけだから、当然に円安を促進する。
そして、内外でのリスク資産への投資は、株式、不動産などの投機的価格上昇をもたらす。これが、まさに放漫金融が生み出すリスク資産のバブル的(バブル=泡のように、実体以上に膨らみ、やがては破裂する)な価格上昇である。
昨年末以来、日本の株価が急上昇してきており、そうした上昇が企業の実体(企業業績の実際の改善)から離れつつあり、その意味でバブル化しつつあることは明らかだ。不動産価格も、まだバブル的とは言えないにしても、かなり速い速度で上がり始めている。
日銀の放漫金融は欧米市場にも影響を及ぼしつつあり、「米市場で日本株の上場投資信託(ETF)などの売買高が2倍以上に」膨らんでおり、また「欧州ではフランスなどの国債利回りが最低水準に急低下(価格は急上昇)」している(日経、6日夕刊)。
市中金融機関は、第二に、その余裕資金を当然に新規発行国債の引き受け(購入)にあてる。なにしろ、日銀はこんご市中金融機関からその手持ち国債を毎月約7兆円ずつ買い上げる予定(上述)だが、これは「国債の月間発行額の7割」に上る(日経、5日)のだから、金融機関には新規国債を引き受ける余裕が次から次へと生まれるわけだ。こうして、「日銀による金融機関からの国債買い上げ」→「金融機関での余裕資金の発生」→「金融機関による新規発行国債の引き受け」という道筋ができるのである。これは結果としては、金融機関を介して、日銀が国債を引き受けることを意味する。そこで、こうした日銀による国債の買い上げが「日銀による財政のファイナンス」と呼ばれるのである。
しかし、こうした金融機関を間に介した財政ファイナンスは、日銀による国債の直接引き受けよりはずっと不適切だ。なぜなら、前者は金融機関に必要以上に国債売買の利益をもたらすし、またリスク資産への投資の余裕を残すことになるからだ。
とにかく、黒田日銀による放漫金融で、資産バブル発生の可能性と、政府の財政規律がゆるむ可能性が高まった。資産バブルは破裂の可能性を孕むし、財政規律の弛緩は市場による国債への不信とその相場の下落すなわち利回りの上昇と、その一般長期金利への波及の危険を孕む。それに、円安の進行で輸入物資の価格上昇が進んでおり、このことは安倍・黒田流の円安推進政策への国民の抵抗を生み出すであろう。
円安の進行という点でさらに問題なのは、安倍政権、黒田日銀ともに、株式市場と同じように、円安は進めば進むほどいいと思っているらしいと見えることだ。しかし、円高の是正の範囲を超えた円安の進行は、要するに円の通貨価値の下落、それによる内外からの円への不信の発生・発展をもたらす。そうなれば、円からの逃避、日本国債からの逃避(その売り逃げ)が発生し、財政破綻が表面化し得る。
こうしたリスクについて、例えば米国の資産家で著名な投資家のジョージ・ソロス氏は、5日に行われた経済専門局CNBCとのインタビューで次のように警告している。「実際すでに起きていることだが、円が下落し始めれば、日本国民は円が下がり続ける可能性が高いと気づき、自分たちの資金を海外に移そうとするだろう。そうすれば、円は雪崩を打って下落する可能性がある」と(Bloomberg、5日)。
日本の株式市場や安倍政権は黒田日銀の放漫金融の方針に満足しているが、彼らはやがてこのような放漫金融の行き詰まりに気づかされることになるであろう。(終り)
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