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失言の責任を問われていた柳田稔法務相が昨11月22日に辞任した。同法相が自ら辞任しなければ、自民党などの野党が22日に参議院に問責決議案を提出する予定であったことが、自発的辞任の決め手になった。この問責決議案は可決が確実であったこと、それが可決された後で柳田大臣がこれを無視して居座った場合には野党が補正予算の参院での採決を拒否する構えであったことから、いずれにせよ法相の辞任は避け難かった。
自民党などは柳田辞任の後は馬淵澄夫国交相と仙石由人官房長官の問責決議案を出し、法相の場合と同様にこの両大臣を辞任に追い込み、最終的には菅直人内閣の退陣あるいは衆院解散に追い込みたいかのようである。最近の世論調査(産経とFNN《フジニュースネットワーク》が20,21日に実施)によると菅内閣への支持率は21.8%に下落(不支持率は59.8%)、政党支持率でも民主党(25.4%)は昨年4月以来はじめて自民党(28.3%)を下回った(msn産経ニュース、22日)ことも自民党などを勢いづかせている。 しかし、危機に直面しているとはいえ菅内閣がこの一連の閣僚問責決議によって総辞職する見込みは当面はないし、まして上記のような世論調査を見ては解散を決断することはあり得ないだろう。 たしかに、もし仙谷官房長官の問責決議案が可決され、同氏が辞任に追い込まれるようなことになれば、仙谷長官が菅内閣の要の役割をしてきただけに、内閣が倒壊の危機に直面する可能性が大きい。だから、菅首相としては、仮に仙谷長官の問責が可決されても同長官の続投を強行せざるを得ないだろう。
この問責決議案に関して起こり得るケースは二つである。一つは、仙谷長官らへの問責決議案提出が補正予算案の参院での採決前となる場合、もう一つはその採決後の場合である。 仮に、補正予算案採決の前に馬淵、仙谷両大臣の問責決議案が提案、可決された場合に、両大臣とくに仙谷長官が辞任を拒否すれば、野党は参院での審議に応じないだろうし、国会は動かなくなる。その場合でも、補正予算案はすでに11月16日に衆議院本会議を通過しているので、予算案の衆院議決優先の憲法上のルールにより、政府は現在の国会会期を延長して衆院通過後1ヵ月後における補正予算成立を期すであろうが、そうなると明年1月以降の通常国会(2011年度予算審議など)の運営が極めて難しくなるはずだ。こうした事態が起これば、その時には菅内閣は本当の危機を迎えるだろう。 しかし、補正予算案採決前の問責決議提出には、公明党がそれに慎重なので実現が困難なようだ。すなわち22日の野党7党の国対委員長会談で、みんなの党が「すぐにでも提出すべきだ」と述べたのに対し、公明党が「補正予算案などが成立したあとに提出するのが望ましい」と述べている(NHKニュース、22日17:15)。また、自民党はこの会談で、補正採決前に「小沢民主党元代表の国会招致を実現する必要がある」とも主張したのに対し、共産党は「補正予算案と絡めて議論すべきではない」と述べた(同上)。
このように、野党の足並みが一致しないので、問責決議案は補正予算の成立後となりそうだが、その場合には仮に仙谷問責が可決され、かつ仙谷氏が官房長官に居座っても、明年における2011年度予算案の審議・採決までは、すなわち明年3月頃までは苦しくても現内閣は政局を乗り切る心づもりだし、それはできないことではない。 こうした国会乗りきりの危機に直面した場合に政府がとり得る有力な対抗策は衆議院の解散であるが、菅首相が任期(現衆議院議員の)いっぱいは解散しないと民主党議員に公約した(民主党代表選に際し)ことに加え、上述のような最近の菅内閣支持率の低下のもとでは、菅首相としては解散を実行するわけにはいかないだろう。 また、野党が政府を本当に解散に追い込もうにも、衆院では与党が過半数を占めているのだから不信任決議案が可決される見通しもない。といって、野党が多数を占める参議院で菅首相の問責決議案を可決しても、首相が居座ればそれまでだ。なにせ、菅首相は「石にかじりついても」総理を務めると公言しているほどだから。 では、民主党が自ら代表・総裁の取り替えに動くだろうかと考えると、党内の気運はそこまで成熟していないようだし、また、最近の世論も“早期の首相取り替え”に否定的なので、与党はその方向へも動けないだろう。 したがって、現在の参議院での予算審議をめぐり、政府・与党と野党との攻防が盛んであるが、そこに何か緊張感が欠けているように感じられるのも当然である。そうした国会の動きをマスコミ報道を通じて知らされる私たちは、うんざりし、白けてしまう。 いろいろの大臣の失言・失策があり、それに対して毎日のように野党が当該大臣の解任や辞任を迫り、不信任案(衆院)や問責決議案(参院)の提出をちらつかせ、政府はまた毎日のように大臣の辞任あるいは罷免を拒否し、そうした野党の攻勢への対応を鳩首協議する、そしてマスコミがそれをさも大事なことのように事細かに(不必要に)伝える、という繰り返しだ。 そんなことをダラダラやっているのではなくて、野党は問題の大臣の罷免・辞任を要求してそれが受け入れられないのであれば、四の五の言わずに不信任や問責の決議案を出せばいいのだし、政府はそうした大臣をかばいきれないと読めば、首相が指導性を発揮してさっさと辞任させるか、問責決議などを受けて立つかすればいいのだ。 本来は政府・与党と野党議員には、このような“大臣首とり合戦”に熱中する(それには議員は勉強は要らない)のではなく、現下のわが国の本当の諸問題、とくに外交・経済の重要問題を真剣に議論する責務がある。
ところが今の国会での審議を見聞きしていると、そうした実のある議論はごくわずかしか聞かれない。 政府は今後の対中国外交をどう立て直すのか、ロシアとの領土問題の行き詰まりをどう打開するのか(あるいは棚上げするのか)、普天間基地の移転問題をどう解決するのか、景気回復の促進とデフレ克服のために今後何をしようとするのかなどを一向に明確にしようとしない。中国との関係を例にとれば、菅首相は二言目には「戦略的互恵関係」と口にするが、それがいったい何を意味するのかは皆目わからない。 野党の側を見ると、尖閣諸島問題についての政府の対応を弱腰と批判しているが、では例えば自民党はこの問題にどう対応すべきと考えるのか、何も言わない。いま言っているのは、尖閣での漁船衝突事件のビデオ映像を公開せよ、というぐらいのものだ。そんなことは尖閣問題への対処策などではない。第一、国民はほとんど皆そのビデオ映像をテレビ等を通じて見て知っている。また、それを正式に公開しても、当「診断録」(11月10日号)で指摘したように、そのことは別に中国に対する牽制にはならないのだ。
このような政府・国会の現状を見ていると、国会制度すなわち議会制民主主義に対する不信の念さえ生まれてくる。戦前のわが国が立憲君主制の下にありながら、次第に軍部独裁・政党否定へと傾斜していった一因は、政党政治家への不信にあった。今の日本にそれと同じような現実的な危機があるとは私は思わないが、その芽はたしかにある。 だから、政治の今後については、常識的な与野党交代や新たな合従連衡による政治の建て直しではなく、抜本的な政党再編成及び新しい政治指導者の登場、すなわち政治の新規まき直しが必要なのである。 (この項 終り)
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エコノミストの時評
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Fed(米連邦準備制度=中央銀行)が11月3日に決定した「量的緩和政策の第2弾」(いわゆるQE2=quantitative easing 2)を契機に、ドル安・円高が一層進むのではないかと予想されていたのとは逆に、むしろ3日以後は円に対してドル高(円安)が進んだ。
私は当「診断録」11月4日号で「3日のNY為替市場では、ドルは主要通貨の大半に対して下落」したが、「ドルは対円で0.7%上昇し、1㌦=81円20銭をつけた」と指摘、ブルームバーグの報道では「FRB(Fedの理事会)の政策で高利回り資産の需要が高まるとの思惑が働いたと説明していたが、目下のところ実相は不明である」と書いた。 その後はドルは円に対してだけではなく、ほぼすべての通貨に対してジリ高傾向をたどっている。この原因について今は私は、FedのQE2で米国のインフレが進むのではないかとの見通しが出てきたことが主因で、中間選挙(3日投票)でFedの政策に批判的な共和党が勝利し、とくに下院で同党が過半数を制するに至ったことが副次因だと考えるに至った。 日経紙は17日に「円高・ドル安転機の兆し」との見出しの下、1面トップで 、G20(主要20ヵ国)首脳会議(11〜12日)などにおける「米国への量的緩和への各国の批判などから追加金融緩和観測が後退、米長期金利の上昇でドル安に歯止めがかかっている…」と報じたが、すくなくとも今の米国は他国の批判で容易にその政策を変えるようなことはしないものだ。それに、米国市場ではドル高への転換は3日から、また長期金利(10年物国債利回り)の上昇は5日から(すなわちG20より前に)始まっている。
FedのQE2の目的は、長期国債の市場からの買い上げにより長期金利を引き下げ、それを景気回復促進に役立てようとするものだった。
「しかし、Fedが6000億ドルの債券買い上げ計画を3日に発表して以来、逆のことが起きた。月曜日(15日)には債券市場では再び処分売りが見られ、基準(長期金利の−引用者加筆ー)となる10年もの財務省証券の利回りは2.96%に上昇した(4日には2.48%−引用者加筆ー)。この利回りは、Fedにより3ヵ月前に新政策としてのいわゆる量的緩和(QE)がはじめて示唆された時の水準に近い」(NYTimes電子版、15日)。 まさに元の木阿弥というわけである(17日には2.88%とやや下落)。 このように、Fedの意図とは逆に金利が上昇した原因については、「数ヶ月前からFedの債券買い上げの予想をもとに市場では金利とドルの下落が進んでいたので、その効果により、今や今後における成長加速の期待が生まれたからだ」とする説もあるようだが、米国景気にまだそれほどの好転は生じてはいないから、やはり「Fedがインフレ・コントロールを失いつつあることへの市場の警報」とする見方(NYTimes、同上)が説得的である。
すなわち、インフレが進めば、名目金利が同じでも実質金利が低下するから、同じ実質金利を維持するためには当然に名目金利は上昇する、というわけである。実際には、インフレが進む状況では、確定利付きの債券の保有は敬遠される傾向となり、債券相場の下落すなわち利回りの上昇が生ずる。こうして米国の金利が上昇すれば、日米の金利差は拡大して、日本(円)から米国(ドル)へ投資・投機資金が向い、ドル高・円安傾向が生ずる。 他方では、一層の金融の量的緩和により、過剰なドル資金が内外の市場に行き渡り、それが株式、不動産などの資産価格の上昇を促進してバブルを発生させる可能性も大きい。G20の場などで中国その他の新興国やドイツがFedの政策を厳しく批判したのはそのためである。
この側面から見ると、Fedの量的緩和政策は株式相場など資産価格を上昇させる傾向を持つ。しかし、日々発表される米国の景気指標に今なお見られる弱さ、欧州での債務危機の再燃、中国をはじめ新興諸国で強化されているインフレ抑制策などの影響で、このところ現実には相場の上昇が抑えられてきた。 これに対して、日本の株式市場と相場は長らく停滞してきた結果、むしろ株価は国際比較で割安感が出てきている。そうしたことと、デフレ的な日本経済にはインフレの恐れはないこと、それに円高の頭打ちとが相まって、目下のところ株式市場はむしろ活気を取り戻しているようである(18日には日経平均は6月22日以来の1万円台を回復)。 そう見ると、本稿初めに再録したドル高・円安の原因についての推察、「FRBの政策で高利回り資産の需要が高まるとの思惑が働いた」(ブルームバーグ)との説が当たっていたと言えるのではないか。
すなわち、インフレ見通しから、株式などの資産への需要の高まり→債券(固定金利)への需要の減退→債券相場(米国での)の下落(すなわち利回りの上昇)→日米金利差の拡大→ドル安・円高の逆転という論理である。 しかし、他方で、もし日本の資産市場へのドル資金の流入がこんご増加すれば、それがドル安・円高の新たな要因となることも想定できる。 以上に加えて、米国で金利が上昇したことの原因については、本稿初めに触れたように、その副次的な要因として米国中間選挙の結果としての共和党躍進の影響をも見ておく必要がある。
共和党の議員は中間選挙前からFedによる量的金融緩和に批判的であったが、16日にはマイク・ペンス下院議員を代表発起人とする共和党上下両院の重鎮議員数名がバーナンキFRB(連邦準備制度理事会)議長に書簡を送り、Fedが現に背負っている「物価の安定と雇用の最大化」という二重の政策目的を改め、「今こそ連邦準備は単一の使命、すなわち米国ドルの基本的な強さと完全さ(integrity)を守るという使命に帰る時である」と主張した(NYTimes電子版、16日)。 しかし、ペンス議員の記者会見における発言によると、実際には「最近のFedによる量的緩和という債券買い上げの行動は、ドルの価値を弱め、さらに世界的な金融システムを混乱させる以外の何ものでもない」(同上)。 Fedは独立性を持つ機関(中央銀行)であるが、議会多数派(さしあたり下院の)の意見を無視することはできないのではないか。そうしたことから、Fedは今回の措置以上の(QE2以上の)金融緩和を実行することはできないばかりでなく、QE2における6000億ドルの国債買い上げの計画も完遂困難ではないか、との見方も出てきている(FRB当局者はそうした見方を否定)。
現にその影響で、17日の米国債券市場ではQE2への「批判を背景に先行き不透明感が高まり、相場を圧迫」、国債利回りの上昇をもたらした(ロイター電子版、17日)という。 ただし、そうなると、金融の量的緩和がインフレ警戒から金利の上昇をもたらすという見方と、量的緩和へのブレーキが金利の上昇をもたらすとの見方が交錯することになり、いったい市場の大勢はどちらを向いているのかが不透明になる。実際には、市場自身が両様の見方が交錯する中で方向を模索しているのであろう。 もちろん、米国の金利は金融政策や政治の影響だけによって動くわけではなく、弱い景気指標が出れば金利は下がり(債券相場は上昇)、その逆であれば金利は上昇する傾向がある。
したがって、今後の米国金利については、そうした実体経済の動きと政策の影響の総合的な結果で決まるわけで、単純に方向を見通すことはできないが、すくなくとも“Fedの金融緩和で米国金利は低下”という単純な公式が当てはまらなくなったことは確実である。その意味で、外部世界(米国の)が危惧した“Fedの金融緩和政策によるドル安の推進”という推論も、その通りには当てはまらないと言えるであろう。 円相場についても、その今後は円安持続と単純に見通すことはできないが、すくなくとも、米国の金融緩和と低金利の政策の影響によるドル安・円高の進行に絶えずおびやかされる、といった状態からは脱却できるのではないかと思う。 (この項 終り)
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菅直人首相は13日、APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議(横浜)に出席中のメドベージェフロシア大統領と会談、先に(11月1日)同大統領が日本の北方領土である国後島を訪問したことに対して抗議したのに対して、同大統領は「国後島はロシア領であるからロシア大統領が訪問するのは当然だ」と反論した。これは、いわば型通りの抗議と型通りの返答である。そうした応酬の上で、日露両国首脳は、両国の協力関係を発展させていくことで一致した(各紙、14日)。
菅首相のこうした抗議からは、北方領土問題を実際に解決しようという真剣さ、意気込みは感じられない。国会や国民、マスコミに向けて、一応の政治姿勢を示しただけのことと言っても過言ではなかろう。おそらく菅首相もこの領土問題を本当に解決できるとは思っていないのではないか。 そして、それは当然で、北方領土を日本の主張通りに解決することは、過去の関連国際条約から見て至難のことだからだ。日本の歴代内閣は、そうした真相に蓋をしてきた。 問題の核心は、「日本との平和条約」(いわゆるサンフランシスコ講和条約、1952年)と 「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言」(日ソ共同宣言、1956年)、及び「樺太・千島交換条約」(通称。1875年)である。 平和条約はその第二章領域・第二条(c)で、次のように規定した。「日本国は、千島列島(the Kurile Islands、クリル諸島)並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」。すなわち、国後島、択捉島が千島列島の一部分(南千島)であるならば、日本はサンフランシスコ条約でその領有権を放棄したことになるのだ。日本政府は後にこれらの島は千島には属さず、日本固有の「北方領土」であるとの主張を行うに至ったが、同条約締結時にはそれを主導した米国も日本も上記両島は千島の一部だと認めていた。
すなわち、講和会議の冒頭でこの条約を説明したダレス米国務省顧問は、千島列島の範囲について次のように述べた。「第二条(c)に記載された千島列島という地理的名称が歯舞群島を含むかどうかについて若干の質問がありました。歯舞を含まないというのが合衆国の見解であります」。すなわち、「ダレスは千島列島の範囲問題が歯舞群島問題だということを明確にした」のである(和田春樹『北方領土問題』、朝日選書、1999年 p.220)。
また、この会議に日本の首席全権として出席した吉田茂首相は、この領土問題について次のように演説した。 「千島列島及び南樺太の地域は日本が侵略によって奪取したものだとのソ連全権の主張は承服いたしかねます。日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアもなんらの異議も挟まなかったのであります。ただウルップ以北の北千島群島と樺太南部は、当時日露両国人の混在の地でありました。1875年5月7日、日露両国政府は平和的な外交交渉を通じて樺太南部は露領とし、その代償として北千島諸島は日本領とすることに話合をつけたのであります。…千島列島および樺太南部は、日本降伏直後の1945年9月20日一方的にソ連に収容されたのであります。また、日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島も終戦当時たまたま日本兵営が存在したためにソ連軍に占領されたままであります」(同上p.222)。 吉田はここで、択捉、国後両島は千島列島の一部であり、色丹島及び歯舞諸島は北海道の一部であると述べ、「千島列島の範囲についてはその時までの国際通念に完全に同調していた」のだった(同上、p.224)。
吉田が引き合いに出した1875年の日露両国の交渉とは、上述のいわゆる「樺太・千島交換条約」のことである。 なお、この「交換条約」についても、外交評論家の伊藤憲一氏は「千島列島がウルップ島以北の十八島をさすということは1875年の千島樺太交換条約に…明確に定義されている」と解釈・主張したが、この主張は「千島樺太交換条約の日本語訳文に含まれる誤訳に基づくもので、正文であるフランス語のテキストをみれば、クリル諸島(千島列島−引用者加筆ー)のうちロシアが所有する一部が日本に割譲されたということになるということがわかった」(p.288)。すなわち、この交換条約においても、ウルップ島以北は北千島であって全千島ではなく、それに隣接する択捉島と国後島は南千島、すなわち千島列島の一部であるととらえられていた、というわけである。 ちなみに、私が戦前・戦時の小学校及び中学校(旧制)で教えられたところでも、千島列島とは北海道からカムチャツカ半島に至る諸島とされていた。この点を確かめるために、当時の教科書(東京書籍附設『東書文庫』の所蔵本による)を調べた結果は次の通りであった。
小学校の教科書(尋常小学地理巻一、文部省、昭和15年=1940年)では、「千島列島は北海道本島とロシヤ領のカムチャッカ半島との間に連なり、択捉島その他、多数の島々から成り立っている」。なお、ここでとくに代表として択捉島があげられているのは、同島が千島列島の最大の島で、同島の紗那(しゃな)が千島の主邑(しゅゆう)であったからである。 また、中学校の教科書(守屋美津雄著『新選地理・日本編 中学校用』、修正版、帝国書院、昭和15年)では、第十章「北海道地方」の「概観」で、「北海道本島と千島列島から成る」とした上で、「処誌」の「千島列島」で「三十余の島々から成り、外側に日本海溝がある。…択捉島の紗那が主邑である」と記されている。すなわち、択捉島は千島の一部であるとされていた。 以上が戦前・戦時中における千島列島についての日本政府の定義であった。これは、サンフランシスコ条約における千島列島の範囲とほぼ同じである(ただしサ条約では歯舞・色丹は北海道の一部と解釈されている)。 さらに、当「診断録」10月3日号でも触れたが、サンフランシスコ条約の批准国会で西村外務省条約局長は千島について次のように答弁した。「条約にある千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含むと考えております。…なお歯舞と色丹島が千島に含まれないことは、アメリカ外務当局も明言されました」(和田、同上、p.225)。
要するに、日本はサンフランシスコ平和条約で択捉、国後を含む全千島列島(歯舞、色丹は含まれない)の領有を放棄したのである。ただし、これは日本による放棄であって、千島の帰属先については何も決定されていない(ソ連はサンフランシスコ会議には出席したが、1949年成立の新中国が会議に招請されていないことを理由として、条約の署名を拒否した)。 とにかく、これは当時の吉田自由党(今日の自民党の源流)政権が犯した戦後最大の外交的失策である。吉田茂元首相は後に自らの回想録である「回想十年」第三巻で、「ダレス氏が…三度目に来訪した時には、南千島が案文(平和条約の−引用者加筆ー)にいうところの千島列島に含まれぬことを明記されたいと要請した」と弁明したが、米国の外交文書にあるこの会談のメモその他から、「吉田の回想の記述は後の政治的考慮からする偽りの言葉である」ことが証明されている(和田、同上、p.210)。 下って、鳩山一郎首相(1955年の保守合同による自民党政権)が署名した「日ソ共同宣言」(1956年)では、「平和条約・領土」については次のように取り決められた。
「日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。ソヴィエト社会主義共和国連邦は日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との平和条約が締結された後に引き渡されるものとする」。 ソ連のこの領土についての方針が、自国は署名しなかったが、サンフランシスコ平和条約の内容に沿ったもの(ただし同条約では千島列島の帰属先は決定されていない)であることは明らかである。 この日ソ交渉に際して、日本国内とくに自民党内で、ソ連に対して国後、択捉島の返還をも認めさせるべきだとの論が台頭したので、鳩山全権団は「平和条約の交渉を継続する」という「共同宣言」部分の最初に、「領土問題を含む」との一句を挿入するよう求めたが、フルシチョフソ連共産党第一書記は次のように述べてこれを拒否した。
「この数語(領土問題を含む、という数語−引用者加筆ー)を削除してくれるように求めるのは本協定の解釈の面で将来紛争が起こる余地をとりのぞいておくためである。なぜならわれわれが一年有効の文書を締結するのではないからだ。おそらくこれは十年あるいは百年有効のものとなるだろう」(和田、p.259)。 こうして、ソ連側は「共同宣言」では、日ソ間の領土問題は歯舞、色丹両島の問題に限定したのである。 ちなみに、サンフランシスコ平和条約の批准後、そして日ソ交渉以前の段階では、日本でも「ソ連に対して要求できる領土問題は歯舞、色丹の返還だけという点で国会も一致していた」。すなわち「53年7月31日に衆議院は平和条約発効に伴い、残る領土問題の解決を政府に要望する決議を採択したが、そこでも沖縄、小笠原諸島とともに挙げられたのは、ハボマイ島、シコタン島のみであった」(和田、p.228)。
ところが、日ソ交渉の最中から、上述したように自民党内から四島返還論が台頭し、さらに鳩山首相、石橋湛山首相(病気のため2ヵ月で辞任)を継いだ岸信介首相は、日ソ共同宣言後の57年5月16日に参議院で、「ソ連が南千島を返還しない限り平和条約を結ばない」と述べるに至った。そして、池田勇人内閣の時(61年)に、サンフランシスコ平和条約における千島列島放棄の条項との矛盾を解消しようとして、国後、択捉両島と歯舞、色丹島を含む四島を「北方領土」と呼ぶやり方が生み出されたのである(和田、p.275)。 以上のような経過を見れば、歴代の日本政府が対日平和条約の領土条項と、日ソ共同宣言の領土条項を無視しながら北方領土返還要求を行ってきていることが明白になる。そうした点はマスコミにも反映している。例えば最近の読売(10年11月11日)は「基礎からわかる日露関係」という解説を掲載したが、その中の「北方領土問題とは」においてはサンフランシスコ平和条約のことには全く触れていない。
逆に、ロシアはこの条約と宣言(さらにはその背景をなすヤルタ協定など)をしっかりと踏まえて対日交渉に当たっていることは疑い得ない。そうであれば、日本が19世紀の樺太千島交換条約などを根拠に択捉、国後両島(南千島)を含む四島の返還をロシアに要求しても、ロシアがそれに応ずることはないと見るべきだ。 したがって、日本が北方領土(大まかに南千島)の返還を要求し(そのこと自体は正しい)、本当にその実現を目指すなら、まずサンフランシスコ平和条約の主要な締結国 (米英仏など)との間で、同条約の領土条項(日本の千島列島の放棄)の修正あるいは解釈の変更(択捉、国後両島を千島列島に含めないように)を交渉して同意を取り付け、その上でロシアと平和条約締結を交渉するような方法、すなわち問題の条約上の、あるいは法的な解決を図るべきだと思われる。そうすれば、日本の対露領土要求は国際的なバックアップを得ることになり、より強力なものになるだろう。(この項 終り)
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尖閣諸島沖での(日本の巡視船への)中国漁船衝突事件(9月7日)のビデオ映像が無断でインターネット上に流出した事件(11月4日に判明)に関しては、政府がその一般公開を拒んできただけに、それにより「政府の危機管理の土台が根本から崩れた」とか、「政府の内部崩壊だ」といった耳目を驚かせる見方が政界やマスコミ上を飛び交った。
しかし、ちょっと冷静に考えればわかることだが、流出したビデオは、その存在自体も、そのおよその内容もすでに一般に知られていたことであり、なにも国家機密に属するようなものではない。したがって、それが政府の意図に反して公開されても、そのことでわが国の国益がとくに害されるようなものではない。たしかに菅直人内閣は中国を刺激することを恐れてこのビデオの一般公開を拒否してきた。その政府の方針が頓挫したことはたしかだが、その結果として(すくなくとも今までは)特別な事態は日中間に起きていないのである。 それなのに、いったい何故、何について、政界とマスコミはこのような大騒ぎをしたのか。 問題のビデオは海上保安庁・石垣海上保安部の巡視船乗組員が撮影し、同保安部が那覇地方検察庁に提出したもので、中国漁船が意図的に日本の巡視船めがけて衝突してきた様子が見て取れる内容のものだと前原誠司国交相(当時。海上保安庁の所管大臣)が明らかにしていた。
衝突してきた中国漁船の船長を逮捕した海上保安庁及び船長を起訴した那覇地検としては、予想される船長の裁判でこのビデオを船長の公務執行妨害容疑の証拠として使用するつもりであった。 このビデオについて自民党などはその公開を早くから要求してきたが、政府は当初はそれが公判の証拠物件であるとの理由でそれらの要求を拒否していた。しかし、9月24日に那覇地検が船長を処分保留で釈放した結果、船長の裁判はなくなり、したがってビデオ公開を拒否する政府の理由(法的理由)もなくなった。 そうすると政府は、こんどは「11月に横浜で開催のAPEC首脳会議が終わるまでは、中国を無用に刺激しないため」という外交上の理由をあげてビデオの公開に反対したが、国会の決議により、11月1日に衆参両院の予算委員会理事に限定して、編集されたビデオを公開したのである。 ビデオのネット上への流出は、この予算委員会理事への限定公開直後に起きた。その映像は5日にはすぐNHKなどで放送されたが、たしかに前原国交相(当時)らによって事前に告知されていた通りのものである。ただし、予算委員会理事に公開されたものが約6分に編集された要約版だったのに対し、流出したものは44分余のものであった。
この流出が明らかになると、中井治衆院予算委員長(民主党)は5日朝に鈴木久泰海上保安庁長官を国会へ呼び、「厳重に真相を究明してほしい。国会に申し開きが立たない」と流出経緯の調査を要求した(読売、5日夕刊)のを手始めに、石原伸晃自民党幹事長は「(国交相らの)罷免を要求する。国民をばかにしている。(問責決議は)当然だ」と述べ、井上義久公明党幹事長は「政府の責任は極めて重い。予算委員会で政府から説明を求めたい」と述べた(読売、同上)。 与党からも、枝野幸男幹事長代理は「過失で出たわけではないだろう。流れたことについて内閣として責任がある」との声が上がった(日経、7日)。 以上のような政界の反応は、ビデオの流出を「非」とし、流出を招いた政府の責任を問うものだった。同時に、石原自民党幹事長は「海上保安庁が撮影したすべてのビデオの全面公開を強く求めていく考えを表明」した(読売、同上)。
さらに“過激”だったのはみんなの党の渡辺喜美代表で、「菅政権の内部崩壊そのものだ。菅直人首相や仙石由人官房長官の言っていることが定まらない規律のなさに由来する。もし国民の生命にかかわる機密情報だったら本当に恐ろしいことだ」と述べた(msn産経ニュース、5日)。 この発言は、尖閣ビデオは「国民の生命にかかわる機密情報」では“なかった”にもかかわらず、あたかもそれと同性質の情報であるかのように聞く者を錯覚させた上で、「政権の内部崩壊そのものだ」と断じているのだ。これは詐欺的なレトリックであるとともに、かんたんに「政権の内部崩壊」などと言う渡辺代表の言葉がいかに軽いものかを痛感させる。 マスコミも渡辺みんなの党代表と同様に“過激”だ。読売はビデオの流出は「政府の危機管理の甘さや、公務員の情報管理のあり方が厳しく問われる事態だ」、「厳重に管理していたはずのビデオが流出したとなれば、政府の情報管理能力に大きな問題があったと言わざるを得ない」と断じた(5日夕刊、木下敦子署名)。また日経は「危機管理の土台が根本から崩れ落ちてしまった状態で、国際的な信用力の低下は免れない」と憂えた(6日、坂口祐一編集委員署名)。
だが、実際には、ビデオを扱った石垣海上保安部と那覇地検を通じて、「問題の映像にアクセスできた職員は合わせて数十人と見られる」(読売、7日)。つまり、なにも国家機密として当局者によって厳重に保管されていたわけではないのだ。言いかえれば、このビデオ映像は「リスク・マネジメント(危機管理)」の対象とされるほどの機密資料ではなかったのだ。 それは、本稿初めに述べたように、このビデオの存在とその内容の骨子がはじめから公表されていた(言葉でだけだが)からだ。それを「危機管理の甘さ」とか、「危機管理の土台が根本から崩れ落ちた」などと嘆くのは、勘違いジャーナリストの“騒ぎ過ぎ”というべきだ。 他方、永田町(国会のこと)やマスコミ以外では、公職者でもこの情報流出を「是」(ぜ)、「当然」と受け止めている人たちもいる。
石原慎太郎東京都知事は「これは内部告発だ。みんな知りたいことなんだから」と語っている(msn産経ニュース、5日)。要するに、役所であれ企業であれ、トップが表に出したくない内部情報でも、内部から「告発」というかたちで外部に流出するのは当然かつ健全な現象だと見るわけである。 また橋下徹大阪府知事は「プライバシーにかかわる個人情報が出るのはよくないが、それ以外の情報は国民の情報。世に出回る社会である方がよい」と述べた(同上、8日)。つまり、日本は北朝鮮や中国とは違うというまともな意見である。 海上保安庁へは、この問題についての電話やメールによる意見が約200件あったが、「そのうち約8割が流出を支持する内容だった」。しかし、「情報管理が甘いといった批判はわずかだった」という(同上、6日)。永田町やマスコミより余程まともだ。 それでは、ビデオの一般公開を拒否した際に政府がこだわった中国への外交的配慮とは何だったか。
それは、尖閣問題をめぐって9月に起きてしまった衝突と、尖閣諸島の領有権についての両国の主張の対立は仕方がないものとして、以後はこの問題の鎮静化を図ろう、そのためにはいたずらにこの問題を掘り起こすようなことは避けよう、という日中両国の暗黙の合意ができたからではないかと思う。 具体的には、日本による中国船船長の釈放の後も強硬態度を変えなかった中国に対して国際的な批判が高まった結果、9月末には中国も態度を軟化させはじめた(当「診断録」9月30日号参照)ために、話し合いによる問題鎮静化の見通しが生まれた。 その後、10月半ばにいたり、突如として中国内部の諸都市で反日デモが頻発し、日中和解への道が再び閉ざされたように見えたが、これは、その間に起きた中国人反体制活動家劉曉波氏へのノーベル平和賞受賞のニュースから国民の目をそらせるための、当局の暗黙の指導による陽動作戦であった(当「診断録」10月21日号参照)。
仮に、これらの反日デモが中国のナショナリスチックな若者による自発的な行動であったとしても、もはや中国政府としてはそれを奨励する立場にはなく、むしろそうしたデモの鎮静化を図りはじめていたと言える。 ただし、この間に、10月29日にハノイ(ベトナム)でセットされた日中首脳会談が、土壇場で中国によってキャンセルされる事件が起き、再び両国間の緊張が高まった。だがこの原因は、「国内で反日デモが相次ぐ中で、安易に日本の首相に会えば中国指導部内での立場が危うくなるだけでなく、世論が沸騰する」と危惧した温家宝首相側近の緊急判断によるものであった。 このためであろう、翌30日午前、「ブルネイのボルキア国王と懇談していた菅首相に温首相から歩み寄り、手を差し出した」とされる(毎日jp、4日)。 なお、以上に加えて、予定された首脳会談の直前に、、前原外相がクリントン米国務長官と会談し、尖閣諸島が日米安保条約の適用対象である点で合意し、その旨を公表したことが中国側を痛く刺激したようだ。
このような経過を見ると、私は尖閣ビデオの公開を躊躇した政府の判断は理解できる。
それでも、日本のマスコミはビデオは公開すべきだったし、それがネットに流出した今も全面公開すべきだという。例えば読売は社説(6日)で、「もし、これが衝突事件直後に公開されていれば、中国メディアが『海保の巡視船が漁船に追突した』などと事実を曲げて報道することはできなかったのではないか。これほど『反日』世論が高まることもなかったろう」と主張した。 しかし、こうした考えは中国の強引さを理解しない全くの“甘ちゃん”の意見だ。中国は尖閣諸島は中国の領土だと主張している。そこから、日本の巡視船が“中国の領海内で”中国の漁船に対し「ここは日本の領海だ、速やかに外へ出よ」と呼びかけたという解釈になり、そのこと自体が違法だという立場をとる。現に中国外務省は、ビデオについて、「日本の行為自体が違法だ。いわゆるビデオ映像でこうした真相を変えることはできず、日本側の行為の違法性は隠せない」とする報道官談話を発表しているのだ(msn産経ニュース、7日)。 今回のビデオ流出事件は、むしろその公開を政府に迫っていた野党やマスコミの攻勢をそらす結果をもたらした点で、一面では政府の立場を救ったとも言えるし、他方で政府は流出させた犯人の割り出しに懸命になることによって、国内に対しては情報管理への努力を示し、中国に対しては火消しの“誠意”を見せる努力をしているように思える。
そう考えると、この事件にはなかなか奥深いものがあると言えるのではないか。 (この項、終り) |
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11月3日に行われた米国の中間選挙(注)の結果、民主党が大敗し、獲得議席数は下院では民主党がマイナス60、共和党がプラス60で、総議席数は民主186,共和239、未定10(4日、米東部標準時午前7:42時点の結果)となり、共和党が下院の過半数を制した。上院は民主がマイナス6、共和がプラス6で、総議席数は民主52、共和46、未定2となり、民主が辛うじて過半数を維持した。しかし、米議会は上下両院でいわゆる「ねじれ」現象が生じたわけで、オバマ民主党政権は今後大きくその行動を制約されることになる。
オバマ大統領は2年後の大統領選挙での再選を期して巻き返しを図るわけだが、その見通しは明るくない。つまり2年後にはまた共和党大統領が生まれる公算が大きくなった。 他方、わが国では菅直人内閣が今や四面楚歌の状態にあり、最近の世論調査では内閣支持率が下落して、不支持の率が支持率を上回るに至った。次の総選挙が何時になるかは未知数だが、次には民主党が大敗して政権を失うことはほぼ確実になってきた。 ただ日本では、民主党が政権を失ったあとに自民党がまた政権に復帰するかどうかは全く疑問だ。むしろ今後は見せかけの2大政党制が崩壊するのではないか。 (注)4年ごとの大統領選挙の中間の年の11月に行われる議会上下両院の議員選挙。下院の全議員435人と上院議員100人のうちの1/3が改選される。同時に任期満了の州知事の選挙なども実施される。
今回の米国の中間選挙で民主党が敗北した基本的な原因は、①大規模な政府景気対策の下で米国経済が景気回復に入ったはずなのに、雇用の改善があまり進まず、失業率が依然として9.6%(2010年9月)という高水準に高止まりしていること、②景気対策のほか、医療保険の改革などで国民生活への政府の関与が強まっているという選挙民の認識とそれへの反感、すなわち「大きな政府」への反感である。そうした国民の感情は、ティー・パーティ(茶会)運動(注)に象徴的に示された。さらに、③オバマ氏へは初の黒人系大統領として期待が大きかっただけに失望も大きくなった、と言えるだろう。
今後は、連邦財政の赤字が2年続きで1兆ドルを超える状況であることに加え、下院が「大きな政府」に反対する共和党に支配されるので、政府支出の増加を伴う追加的な景気対策を実施することが一層困難となった。そのため、2年後の大統領選挙時までに抜本的に雇用状勢を改善することもかなり困難である。 (注)これは、独立前1773年の米国マサチューセッツ州で、宗主国英国による茶への課税に反対する運動が起き、過激派の市民が茶を積んだ英国船に乗り込んで茶をボストン湾に投げ込んで抗議した事件に因む。このボストン・ティー・パーティー運動は米国の独立運動ののろしとなり、その後広く米国における自由主義的運動のモデルとなった。
最近では2009年初めに、オバマ政権による大規模な政府支出計画に反対する共和党系・保守派の国民の運動として始まり、全米に広まって、10年の中間選挙においてはティー・パーティー参加の共和党候補者が多数当選する結果となった。 政府が景気と雇用の回復のために財政を出動させることが困難なため、Fed(連邦準備制度。米国の中央銀行システム)は11月2,3日のFOMC(連邦公開市場委員会。Fedの政策決定会合)で大規模な追加的金融緩和措置を決定、明年6月までにFedが米国債6000億ドル(1㌦=80円換算で48兆円相当)を買い入れることになった。これにより、民間金融の一層の緩和と長期金利の低下が見込まれている。
しかし、今の日本と似て、米国経済においても景気回復力が弱いのは、民間の需要(消費、住宅建築、企業設備投資)が弱いためであるので、いくら多額に民間に資金を供給しても、それらの資金はなかなか実需を伴う支出(投資や住宅建築)には結びつかず、その多くは商品・証券などの市場へ投機的資金として流れることになるだろう。それは、資産バブルとインフレーションの昂進をもたらすリスクが大きい。 Fedによる金融緩和と低金利の推進は、またドル価値の低落、その為替相場のさらなる下落を引き起こすリスクがある。
現に、FOMCの決定後の3日のNY為替市場では、「ドルは主要通貨の大半に対して下落」、ユーロに対しては「一時は1月26日以来の安値となる1ユーロ=1.4179㌦」へ1.1%下げた(Bloomberg電子版、3日)。 しかし、「ドルは対円で0.7%上昇し、1㌦=81円20銭をつけた」ほか、「円はすべての主要通貨に対して下落」したという(同上)。この点は予想外のことで、ブルームバーグは「FRB(Fedの理事会)の政策で高利回り資産の需要が高まるとの思惑が働いた」(同上)と解釈していたが、目下のところ実相は不明である。 その点はとにかくとして、当「診断録」の前号(10月30日号)でも述べたように、今や先進国はもっぱら金融政策頼みでは景気対策・雇用対策で大きな効果を上げるとは期待しにくい。したがって、米国経済がこんご新興国主導の世界経済成長から好影響を受けるなどにより、より確かな成長軌道に乗るのでなければ、オバマ政権が国民の支持を回復し、オバマ氏が大統領に再選されることは難しい。 かつて1994年の中間選挙においては、第1期の任期中にあったクリントン大統領の民主党は上下両院で大敗し、両院とも共和党が過半数を制することになったが、以後クリントン氏は共和党と妥協しての議会対策に努め、96年の選挙で大統領に再選された。 オバマ大統領はこのクリントン氏の例にならおうとするだろうが、経済問題でも、外交問題(アフガン問題や対中国政策を含む)でも、当時よりも多くの難題が山積しているだけに、支持の回復は容易ではないだろう。 ひるがえって、日本の民主党と菅内閣の今後をどう見るか。最近では尖閣列島問題をめぐって中国との関係が悪化し、加えてメドベージェフ・ロシア大統領の国後島訪問で対露関係がギクシャクし始めた。
また対外経済面では、急速なドル安・円高に対して、財務省が一度は市場介入をしたけれども、基本的には放任・無策である。 内政面では、2010年度の補正予算案を閣議決定して国会に提出したものの、野党から小沢一郎前民主党代表の国会への招致を補正予算審議の条件として求められたために、審議入りが遅れた。結局、岡田克也民主党幹事長が「この国会で(招致を)実現するよう努力したい」と野党各派幹事長に約束することでようやく11月2日から審議入りした。小沢氏自身は、「司法で取り上げるものを立法府で議論するのはあまり妥当ではないし、必要もないのではないか」と語り、国会で自ら説明はしないとの意向を表明した(読売、4日)。おそらく、この問題は国会開会中蒸し返され、政府・与党を悩ませることになりそうである。そういうことにも影響されて、補正予算成立の見通しは立っていない。 それやあれやの難問に追われる中、世論調査における菅内閣への支持率が急落している。 日本経済新聞社とテレビ東京が10月29〜31日に実施した世論調査では、菅内閣の支持率は40%で、9月調査における71%から31ポイントの急落となり、不支持率の48%(前回は24%)が支持率を上回るに至った。不支持率が支持率を上回ったのは6月の菅内閣補足後はじめてである(日経、11月1日)。 また産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が10月30,31日に実施した調査では、菅内閣支持率は36.4%(前回9月調査では48.5%)、不支持率は46.6%(前回は34.8%)で、やはり不支持率が支持率を上回った。 このほか、10月24日に行われた北海道第5区の衆院補欠選挙(7月の参院選後の初の国政選挙)で民主党候補は自民党候補(町村信孝氏)に大差で敗れている。 上述の日経世論調査における菅内閣不支持の理由(複数回答)は、「指導力がない」が56%、「政府や党の運営の仕方が悪い」が41%、「国際感覚がない」が31%であった。 また産経調査における菅首相の指導力についての評価は、「評価しない」が77.3%、うち「外交・安全保障政策」についてが71.8%、「政治とカネの問題」についてが71.0%などであった。 いずれの場合も、要するに菅首相に指導力がないという点が不支持の最大の理由で、同首相にとってはまことに不面目なことだ。 「政治とカネ」については、かつて小沢氏自身が検察審査会から起訴の議決を受けた際の10月7日に、「国会で決めた決定に私は何時でもしたがう」と語っていた(各紙、10月8日)のだから、首相が指導力を発揮して国会の政治倫理審査会などで招致を決議してもらえばよいのである。それを、岡田幹事長に小沢氏の政倫審への出席を働きかけさせるだけなのだから、問題を無用に長引かせるだけになっている。 尖閣問題での中国の不合理な対日高姿勢や、ロシアの北方領土問題での最近の強引な対日態度については、マスコミなどは「外交の基軸である日米同盟を民主党政権がないがしろにしてきたこと」(読売、11月2日)が中露の対日強硬外交の根本原因だと主張している。 しかし、日米同盟に忠実だった自民党政権下でも、鳩山一郎内閣による「日ソ国交回復に関する共同宣言」(1956年)、田中角栄内閣の「日中共同声明 (71年)以後は、政府はこの両国と平和条約を結ぶ(領土問題の解決を含む)交渉を行うと約束しながら何も解決してこなかったのだから、むしろ菅内閣は今そのツケを払わされているというべきだろう。 ただし、菅内閣にも自らの明確な対中露外交の方針が欠如していることについての責任がある。 振り返ると、09年9月に発足した民主党の鳩山由起夫内閣は、日本の対米対等化、対中、対露関係の正常化と友好促進という旗を掲げた。ただし、鳩山前首相には理念があってもそれを具体化する政策が欠けていたために、普天間問題で迷走し、また日中、日露交渉も具体的に進めることがなかった。
しかし、鳩山前首相の姿勢は中国、ロシア両国に日本への大きな期待を抱かせたことは否定できない。菅内閣はその鳩山内閣を継承したが、中身では「脱鳩山、脱小沢」が最大の特徴で、とくに脱小沢の点が世論の大きな支持を得たのだった。だが、そうした脱鳩山・小沢路線は、中露両国からは対中露外交方針の大きな修正、かつての自民党路線への復帰と受け取られたのであろう。 そうした外交姿勢の転換を含め、菅内閣からは昨年9月に発足した際の民主党政権の理念・特徴が大幅に消え失せたのではないか。
したがって、昨年8月の総選挙で民主党を大勝させた国民も、今ではその多くが民主党支持ではなくなりつつあると見ていいだろう。 だからといって、かつての民主党支持者の多くが自民党支持に回帰することはないだろう。昨年の民主党の大勝は、長年の自民党政権の支配にノーを突きつけた点に歴史的な意味があった。その自民党の単純な政権復帰は考えにくい。日本ではまだ二大政党制は定着していないと思う。 したがって、次の総選挙に際しては、あるいはそれに先だって、新しい政権を目指しての政治理念及び政界の再編成が不可避ではないか。おそらく、しばらくは一種の“政界戦国時代”の到来を覚悟した方がよさそうである。 (この項 終り) |


