|
今テレビで先生が大変! と言うドキュメンタリーがありましたが私も本当にそう思います。 私もその道で過ごしてきました・・・昭和何年でしたか・・・・。 初めて先生として赴任した学校は今はもう廃校になっているようです。 私は小学校の発令でしたが5月からは中学校の家庭科も「兼ねる?」と言う辞令をもらいました。 小学校3年生は24名だったと記憶していますが・・・・。 朝は男の先生より早く学校に行き掃除をして「お茶くみ!」をしなければなりませんでした。 小学校と中学校の併置校でしたので今思えば「楽しかった!」と思います。が・・・・・。 ここで私の一生を変える?出来事が起きました。 (今で言う「セクハラ!」に合ったのです。そのことについては後で・・・。) 先生は子どもに勉強を教えることが仕事ですがそのほかに全校的に(公務分掌と言って事務的な仕事があります)することやクラブ活動、地域活動などがあります。 それでも夏休み冬休みがあったのでその時に溜まっていた仕事を一気にやっていました。 若いうちはそれでも余裕?があってゆっくり?でしたが30代になったとたん仕事が山積みになります。 と言うか仕事に慣れてきて仕事をこなせなければその後先生を続けることが出来ないことになります。 当時は夜10時頃まで会議が続き夕食は出前を取り自腹で食べました。 日曜日は洗濯や冬の薪割り?(田舎では薪を学校でも焚いていました。)私は運が良く?中学生の男の子が手伝いに来てくれて大助かりでした。 割ってくれた薪を次は軒下に積むという仕事があります。 お風呂は「五右衛門風呂!」皆さんは知らないと思いますが私はそれに入ることが出来たのです! 私は大きなお鍋を見てびっくりしましたが下駄を履いては入りませんでした? それも共同風呂?で時間を決めて入らなければならずゆっくりお風呂にはいると言うことはありませんでした。 お隣さんは子どもが二人いて小さいのでいつも出来るだけ先に入って貰いましたが・・・・。 何かを買うためには隣の町まで行かなければなりませんでした。 日常の物は「雑貨屋さん」で間に合いますがそれでも月一回は何かと出掛けなければなりません。 中学生のクラブ活動で私は「卓球部」の顧問でした。 顧問になると自分も生徒と一緒に卓球をしなければ生徒は付いてきません。 私はおてんばで??スポーツはたいていのことは出来ましたし中学生に負けることもありませんでしたので生徒からはチョット?人気!がありました。 ここまで書いても先生という仕事の大変さがおわかりかと思いますが・・・休む暇がありません! 私が担任した中で一クラス43人ということがありました。 今思えば「よくやった!」と言うことですね。 さてその頃は先生が足りなく(戦争で男の人が取られていませんでした。)女の先生を増やしていました。 私はラッキーだったのかもしれません・・・・。 一年後結婚していました。 その頃共稼ぎをしても良くて夫婦は同じ住宅から通うことが出来ました。 これは本当に有り難かったと思います。 結婚してすぐ私はバスで10分、汽車では20分、その後免許を取って自動車で10分と言う所での通勤でしたので先生を長く務められたのだと思います。
家に帰ってからは急いで食事を作り週2、3回はそれでもお風呂に入ることが出来ましたがそこでも共同風呂?でした。 その後仕事をしないと言うことはありませんでした。 採点から始まり子ども達の記録(評価に必要ですので)そして月に何回かは「学年通信」を担当します。 夜寝るのは毎日12時を過ぎていました。 それでも私は先生という仕事が好きでしたので頑張りました。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用


