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『趣味の中国通史』

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魏王・曹丕が漢帝の禅譲を受けて帝位に即きました。

東漢時代467 献帝(百四十九) 献帝譲位 220年(5)


曹丕が即位するまでの経緯を『三国志魏書二文帝紀』裴松之注が詳しく書いているので、以下、紹介します。
 
左中郎将李伏が魏王曹丕に上表して言いました「昔、先王(曹操)が初めて魏国を建てた時(魏公になった時)、境外の者はそれを聞いても詳細が分からなかったため、皆、王位を拝したと思いましたが、武都の李庶と姜合が漢中に羈旅(寄居)していて、臣にこう言いました『魏公になるに違いなく、まだ王にはなりません(必為魏公未便王也)。天下を定めるのは魏公子桓(曹丕の字)で、それは神が命じるところであり、符讖(預言書)に合致して天人の位(天と人が望む地位)に応じるでしょう。』臣が姜合の辞を鎮南将軍張魯に語ると、張魯もまた姜合に出所となる書を知っているか問いました。姜合はこう言いました『孔子の玉版(玉板に文字を刻んだ書)です。天子の暦数は百世(の後)でも知ることができます。』その一月余り後に、ある亡人(亡命者)が来て、冊文を写して得ましたが、果たして姜合の辞と同じでした(原文「写得冊文卒如合辞」。亡人は預言書を書写できたようです)。姜合は内学(讖緯学)に長じており、関右(関中)で名が知られていました。張魯は懐国の心(国を思う心)がありましたが、異道に沈溺して(態度の)変化を果たせませんでした(沈溺異道、変化不果)。しかし姜合の言によって目が覚め(寤合之言)、後に秘かに臣と議して質(委質。朝廷への服従)を策しました(計画しました)。国人が協せず(協調賛成せず)、ある者は西(劉備)に通じようと欲しましたが、張魯はすぐに怒ってこう言いました『魏公の奴隷になることはあっても、劉備の上客になることはない(寧為魏公奴,不為劉備上客也)。』その言は惻痛(悲痛)を発し、誠に由然(道理)がありました。姜合は先に王師(官軍)を迎えましたが、往歳(往年)に鄴で病亡(病没)しました。臣は朝(朝廷)にいるようになってから、いつも親しい所となる度に(誰かと知り合う度に)この意(姜合の言葉)を宣説(宣伝説明)しましたが(每為所親宣説此意)、まだ相応しい機会がなかったため、敢えて顕言(広く公言すること)することはできませんでした(時未有宜弗敢顕言)
殿下が即位した初年(魏王になった初年。本年)、禎祥衆瑞(吉兆や多数の瑞祥)が日月に至りました。天からの命があることは顕著にされています(昭然著見)。しかも聖徳は妨害されることなく(聖徳洞達)、符表(預言書)があらかじめ(天命を)明らかにしており、実に乾坤(天地)が慶賀を伸ばし(乾坤挺慶)、万国が信服しています(万国作孚)。臣はいつも慶賀し、姜合の験(姜合の予言の結果。姜合の言葉が正しかったこと)を述べたいと欲していました。しかし君に仕えて礼を尽くしたら、人は諂(へつらい)と考えます。しかも臣は名声品行が穢れて賎しく(名行穢賎)、入朝して日が浅く、(このような者は)言が罪尤(罪過)となってしまうので、自分を抑えていたのです(自抑而已)。今、洪沢(大きな恩恵)が四表(四方)を被い、霊恩が天地に達し、海内が翕習(集合)し、殊方(遠方)が帰服し、兆応(吉兆と徳に応じた瑞祥)がそろって集まることで、休命(美命。天命)を宣揚し、全てが完善になっています(始終允臧)。臣は喜舞を抑えることができないので、謹んでこれらの事を詳しく上表報告します(臣不勝喜舞,謹具表通)。」
 
魏王曹丕が令を発しました「これを外に示せ。薄徳の人がどうしてこれをもたらすことができるだろう(何能致此)(私は)当たることができない(私に当てはまることではない。原文「未敢当也」)。これは誠に先王(曹操)の至徳が神明に通じたのであって、当然、人の力によるものではない(固非人力也)。」
 
侍中劉廙、辛毗、劉曄、尚書令桓階、尚書陳矯、陳群、給事黄門侍郎王據董遇等が魏王・曹丕に言いました「臣は伏して左中郎将李伏の上事を読みました。図緯の言(預言書の言葉)を考え、それによって神明の応を察し、古代を参考にすると、(天命を受けた者で)このようでなかった者はいません(考図緯之言,以效神明之応,稽之古代,未有不然者也)。だから堯は暦数(天命)が躬(我が身)にあると称し、璇璣(天文を観測する器械)が天道を明らかにしました。周武(西周武王)は戦う前に赤烏が書を口に銜え、漢祖は兆がある前に神母(劉邦が斬った大蛇の母)が符を告げ、孝宣は仄微(卑賎)でしたが木葉に文字ができ(原文「字成木葉」。虫が柳の葉を食べて文を作り、宣帝の即位を予言しました)、光武は布衣(平民)の時、名が既に讖書に刻まれていました(名已勒讖)。これらは天が命じたところであり、それによって聖哲(聖人哲人の存在)を顕著にしたのです。(人々は)言語の声や芬芳の臭(芳しい香り)によって知ることができたのではありません。ただ、縣象(天象)がそれを人に示し、微妙な物がその意を明らかにしただけです(徒縣象以示人,微物以效意耳)。漢の徳が衰えてから、数世にわたって(衰退が)徐々に進行し(漸染数世)、桓(桓帝・霊帝)の末には皇極(皇道)が建たなくなり、大乱に及んで二十余年が経ちましたが、天命は滅ぶことなく(原文「天之不泯」。誤訳かもしれません)、明聖を誕生させてその難を救済しました。だから符讖を先に現して至徳を明らかにしたのです(是以符讖先著以彰至徳)。殿下は位に登って一年も経たないのに(践阼未期)、霊象が上で変じ(変化を示し)、群瑞が下で応じ、四方の不羈の民(束縛を受けない民。政府に帰順しない民)が帰心して義に向かい、人より遅れることを懼れています(唯懼在後)。たとえ典籍が伝えることでも、今の盛(盛大。盛世)のようではありませんでした(未若今之盛也)。遠近の臣妾(男女の民)で喜悦しない者はいません(原文「臣妾遠近,莫不鳧藻」。「鳧」は野鴨です。「鳧藻」は野鴨が水藻で遊ぶことで、歓悦、喜悦を表します)。」
 
魏王曹丕が令を発しました「犁牛の駮(農牛のまだら。「犁牛」は「農牛」「雑色の牛」で、「駮」は「まだら」です)は虎に似ており、莠の幼(稲に似た雑草の若い時)は禾(稲)に似ている。事象にはそれに似ていても実際は異なるということがあり、今日(の事象)がそれである(事有似是而非者,今日是已)。これらの言事(陳述の内容)を見ると、誠に私の不徳を重くさせる(睹斯言事良重吾不徳)。」
そこで、尚書僕射が官寮(官僚)に宣告して全員に聞き知らせました。
 
 
 
次回に続きます。



 

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