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昭和49年 南海道前西條 伊曽乃宮例大祭 拾月壱拾六日
川入りへと向かう古屋敷(こやしき)だんじり 天保壱拾壱年(1840)の製作 前のおいさん達の腰巻姿に子供のころ、憧れたものです。 祭衣装ってのは暑いから寒いからと言って変えてしまうものでは... ないと思ってます。 この姿を頑なに守り続けたいですね。 |
伊曽乃宮大祭 懐かしの風景
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自分が子供の時から撮影した写真が押入れのダンボール箱から
出てきました。
約30数年前からの懐かしい伊曽乃宮例大祭の様子を順次に
掲載させていただきます。
写真の裏に年月日を書いてあるものとないものがあり、
年代は1〜2年前後するかもしれません。
ご了承ください。
出てきました。
約30数年前からの懐かしい伊曽乃宮例大祭の様子を順次に
掲載させていただきます。
写真の裏に年月日を書いてあるものとないものがあり、
年代は1〜2年前後するかもしれません。
ご了承ください。
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今日も郷土博物館で見てきました^^
昭和2年の川原町だんじりだそうです。 子供たち中に、昭和19年にグァム島で戦死した、私の 叔父(父のお兄さん)が写ってるかもと思うと、いてもたってもおれず 撮影してしまいました・・・(渡辺館長さん、ごめんなさい(・_・;)) この写真をグループホームに居る親父に見せてやろうと思います。 ... このだんじりに、幼い時に乗せてもらい見た光景は、今でも目に
焼き付いてます。 自分のだんじりバカの原点であると言っても言い過ぎでない だんじりです。 1階後ろの孔雀の彫刻が、うちの親父のいちばん好きな彫刻だそうな^^ 親父が子供の時、だんじりに着いて行きながら いちばん目にした彫刻だそうです。 なんか、その気持ちがわかる気がします(T_T) 祭とか何とか言うより、だんじりが好きなんですよね!(^^)! 写真に写っている、すでにもう亡くなられた方たちであろうと 思う人たちの姿を見てると、なんや知らんけど目頭が 熱くなります・・・ うちの町内、「御所通」のだんじり。 だんじりの歴史で言えばね新興ではありますが、 それなりのプライドは持ち続けたいと思ってます。 自分が青年団副団長の時に死に物狂いで新調したものです。 それが誇りです! ! ! 水引幕、見送りの牛車も私の案を採用したものです^^ 小丸提灯の緑の神紋も当時の青年団長を中心として 作ったものです。 もちろん、あの水引幕も^^ すべて誇りです! ! |
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平成元年まで伊曾乃宮例大祭に奉納されていた「川原町」だんじり。
昭和四十八年 大町四つ辻で撮影。 以前にもここでアップした画像ですが・・・ 大正15年建造、それまで奉納されていた二階だんじりは明神木を経て 現在は喜多川中が所有、奉納されてます。 川原町は、うちの母屋があり 子供の時は ...このだんじりに乗せてもらったりしてました。 子供心に川原町と言う町名が好きで、どっしりとした 風貌のだんじりが好きでした。 二階高欄にある羽を閉じた鷹?が妙に気に入ってました。 親父からよく聞かされたのは、一階後ろの孔雀の彫刻の事。 いちばん、印象に残り好きな彫刻だったらしいです。 親父のお兄さん・・自分にとっては叔父さんになる人ですが 兵隊検査を受ける年の祭の事を書いた日記を見せて もらった事があります。 もっとだんじりを担ぎたいけど、怪我をしては検査に 受からないので、心残りだがここらでやめよう。といった事が 書かれていたと記憶してます。 グァム島で玉砕、戦死をし それが最後の祭になったそうです。 グァム島での戦友の話を母屋の叔父さんが高知県まで 聞きに行った事があり 名前を言うと、覚えていたそうです。 鍋の底を太鼓代わりにだんじり太鼓を叩いていたそうです・・・ せつなくなる話です・・・ 平成二年に川原町だんじりも新調され、このだんじりは 愛媛県歴史文化博物館で展示されてます。 |
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昨晩、だんじりバカの○○君から頂きました。
うれしぃぃぃぃぃぃ〜♪
これと同じ写真を持っていたのですが、昭和60年の大火で焼失・・・
思わぬプレゼントに嬉しくて懐かしくて。。。
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昭和30年か31年頃だと思います。 |


