御所通だんじり彫刻

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この方広寺を歴史的に有名にしたのは、この鐘楼に吊り下げられている大梵鐘です。この鐘は1614年に再興した大仏殿の開眼供養にあわせて鋳造されました。この頃、豊臣家をしのぐ力をつけようとしていた徳川家康は、この鐘に刻まれた銘文に難癖(イチャモン)をつけたのです。




この大梵鐘の大きさは、高さ4.2m、外径2.8m、重量82.7トンというもの。この鐘の胴周りにビッシリと漢文が刻まれている。文字の2箇所に白い枠で囲まれた部分があるが、ここに「国家安康」、「君臣豊楽」と刻まれています。
徳川家に、もみ手・すり手の南禅寺僧侶以心崇伝(スウデン)、別名金地院崇伝、またの悪名を大欲山気根院僭上寺悪国師は、豊臣家に恩があるにもかかわらず、この大梵鐘の銘文は「家康を分断」し「豊臣家が栄える」と故意に曲解し、家康に告げ口をしたのです。

1614年7月、家康は大仏開眼供養の延期を命じます。この後、徳川家と豊臣家の関係は急速に悪化し、同年11月に大阪城冬の陣、翌年4月には夏の陣に突入し豊臣家は滅ぶのです。





豊臣家・徳川家の争いで最も得をしたのは南禅寺だったのかもしれません。応仁の乱により解体寸前にあった南禅寺を復興させたのは秀吉でした。
南禅寺の崇伝(スウデン)は、この秀吉の恩を裏切り家康についたことで、日本の僧侶のトップに上りつめ、南禅寺勢力は拡大し、豊臣家・徳川家が消えた現在も隆々とした寺勢を保っています。



こんな説明文をみつけました。

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