田舎の風景

俳句一句と喜怒哀楽日記

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母の七回忌によせて

No.2447

山陰も昨日梅雨入り宣言・・
雨の続く日となっています。

本日は母の忌日で早いもので七回忌となります。
お寺での法要は10日にあらためて、わが一族と母の里でつつましく行う。イメージ 5

「思い出」写真は五十代前半ですね、弟と金閣寺の前で写したやつ。⇒

母とは生前、仲が悪かったのですが、今となってはお互いに反省ということですな〜、向こうは知らんけど。とにかく口うるさい母で、ちょいといいとこの生まれの長女でしたから、自分の思うように子どもも夫までもしつけたいという気が合ったのだと思います(笑)
親父は温厚でしたから、口ではいつも負けていた。
プライドばかり高く、世間体を特に気にする母でしたね。
小庭を気にしたり、庭に草一本あっても抜いていました。
「人が見たら何と思うか」・・そればかり。
息子の私も口の立つ方でしたから、お互いが負けん気で対立したと思います。
沢山の格言を知っていて、何かにつけて格言をのたまい躾をしようというところがあった。
よく聞かされた格言「武士は食わねど高楊枝」とか・・これも世間体のことですな。
「能ある鷹は爪をかくす」・・知ったかぶりや傲慢になるなという意味で、私と口げんかで負けたときによく使った負け惜しみの格言。納得。
「鷺と客は早く発つほど美しい」・・人様の家に上がったらさっさとおいとましなさい。納得。

勤めていたら多少は出世する・・そこでよく言われた言葉「上は黙れ」という格言。
上に立つ者は、いちいち下の者に小言を言うなという意味と、子どもが大きくなったら、親はもう説教はするなという意味です。え?あれ?母の普段と違うこと、自分は口うるさくないと思っていたのですな。(笑)
おしゃべりで、おっちょこちょいで・・仕草もおかしい母でしたが、外では私のことを随分自慢していたようです。私に嫁が来たら、あっさりと台所を嫁に任せて、食事部門を引退した・・そこはすばらしい(笑)。嫁と姑のいさかいは台所から始まるということを知っていたのですな(^^♪ 
家の中の真ん中を任されたこと、いまでもイコ婆は感謝をしています。母とイコは他人の空似で
よく似ていました。それで私は初対面の人に「お婿さんですか」とよく言われたものです。
いずれにしても
父、母、弟と逝き・・今はわが身だけが残されている、。こういう忌日には寂しさがわいてきます。
イメージ 6

紫陽花に雨
イメージ 1

イメージ 2
「母植ゑし紫陽花母の忌に咲きぬ」 さんせい」

イメージ 3

忌日には母の俳句が一句浮かびます。
過去句を拾って、もう一度載せておきましょう。
イメージ 4

「寺の鐘止むとき鳴けりほととぎす」 「喪に服す雨となりけり濃紫陽花」
「袖しぐれ来ぬ夜は寂し初蛍」 「南無精進妙順日澄遅蓮華」
「紫陽花にたつぷりの雨忌日くる」 「郭公の声明にあり五輪塔」
さんせい

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こんばんは。

お母さま、もう七回忌ですか。
あらためてご冥福をお祈りします。

いろいろな方のブログを拝見していますが、
本日のさんせいさんブログのように本音で書かれた記事にはめったにお目にかかれません。
内容に迫力を感じました。

2018/6/6(水) 午後 6:31 [ 記紀いっぱつ ] 返信する

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今晩は。
最初奥様のお写真と思いましたら、お母様でしたか。
とても清潔で聡明でお綺麗なお母さまでしたですね、
さんせいさんの母親に対する厳しい思い出や奥様へ潔いの引渡しへの感謝、本音で掲載する心の広さに感服しました。
どこの親も、やはり長男にしつけは厳しいものですね。
その分、弟や末子には優しく育てますね。
従妹はさんせいさんと同じように、故母親の感想は何時も厳しい思い出を話しますが、小中学校は一番と一方では敬服しているのですから。 相反する思いは誰でも同じですね。
私は次男でお婆さん子でした。
母の育児は末子の弟が独占していましたので、どちらかというと私も母親には当然感謝していますが、一方、厳しい思い出もあります。
ご両親や短かった弟さんの分も含めて、余り先のことは考えないで、これからもごゆっくり自由に、好きなことをやりながらお過ごしましょう。

2018/6/6(水) 午後 7:46 [ とくらこ ] 返信する

(^。^) > 記紀さん、こんばんは。

ありがとうございます。
早いものです。ずっと前のような気がしていましたが、まだ七回忌ですね。夜九時過ぎに静かに息を引き取りました。またあの情景が思い出されます。蛍が一匹庭にいましたね。シトシトと今日のような雨になりました。治らない難病で、自宅で休ませて良かったと思います。

2018/6/6(水) 午後 8:08 さんせい 返信する

(^。^) > とくらこさん、こんばんは。

ありがとうございます。
うるさくもあり、厳しい母でしたが、子を思う気持ちは人一倍だったと思います。
格言ひとつ思い出しました。
「親思う心に勝る親心」
私が親を思う気持ちより、私の子を思う気持ちの方が強いということですね。母に言わせればそれが家庭安泰、円満なのだそうです。
自分も親になって気が付くということですね。
口うるさく言われたことは、全部正しかったのだと思うようになりましたよ。
祖父母に可愛がられて来ましたが、やはり親の影響が一番だと思います。孫を持つ歳になってやっとわかりました。

イコさんは今母親の介護中ですが、あとで後悔のないよう世話をしていると言います。私の両親から自分の両親、嫁として長女として、宿命とはいえ、よくやってくれています。頭が下がります。

2018/6/6(水) 午後 8:23 さんせい 返信する

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こんばんは〜
お母様おきれいですね!
い子さんに、どこか面影が似ています。
忌日が来れば、親たちを思い出します!

私は末っ子で厳しい両親を知りませんが、姉2人は厳しかったと言います。
それだけ親も若くて理想に燃えていたのでしょうね!
自分も周りを見ても長子には厳しいですね!(*^_^*)

2018/6/6(水) 午後 8:42 みつき 返信する

(^。^) > みつきさん、こんばんは。

子供にうるさくするのは親心、愛情からですね。
甘やかすのが愛情ではありませんねー。
戦争を体験した親たち、特別な思いで我々を育てたと思います。
どん底から頑張った親の世代。健康な体に育ててくれて感謝したいと思います。、、長崎の叔母や、尾道の叔母からも忘れずに電話がありました。これも感謝です。

2018/6/6(水) 午後 8:55 さんせい 返信する

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こんばんは。

梅雨入りのようですこちらも雨です。

お母様の七回忌ですか。
亡くなられた日に蛍が一匹飛んで・・・

母親が厳しく躾をされたんですね。
お父様は温厚で夫婦は上手く行くんですね。
色んな格言も的を得ていましたね。

い子さんがお嫁に来て台所を任せるとても粋なはからいですよ。
今日は色んなことが思いだされますね。

2018/6/6(水) 午後 9:00 [ iku ] 返信する

(^。^)> ikuさん、こんばんは。

早いものです。思い出すと亡くなったのはついこないだみたいな。
今日はお仏壇に手を合わせるだけでしたが、いつもより長い時間座っていましたね。位牌に向かって何を喋るわけでもないですが、なんかなぁ、仏になっても親にはすがりたい、甘えたい、、そんな心境かな。

子ども頃はねー、うるさすぎて、この親は心底自分を嫌いなんだな〜とひねくれていましたが、今となってはね。それが正しかったかも、かもですよ(笑)

2018/6/6(水) 午後 9:24 さんせい 返信する

なんだか私の母と似てますね、私の母も威圧的でした。長男の私は家から逃げ出し、大学、就職した会社の寮からアメリカと家から逃げ出しましたが、二人の妹は支配され、大学中退で嫁に出され、ずいぶん母を恨んでいました。

妹たちは、私が熱心に母の介護をするのを、不思議がっていましたが、妹たちにも交代で入浴介助をさせたり、お泊まりで温泉に連れて行かせたりしました(費用は全部私持ちでしたが)。

母が逝った時は妹も泊まりで看取りしたので、悔いはないと言ってました。

私は意識的に妹たちを引き込みましたが、妹たちも悔いを残さず、良かったと思っています。

2018/6/7(木) 午前 0:38 [ sunford ] 返信する

いつか自分だけが残る…
私にもそんな日が。(合掌

2018/6/7(木) 午前 2:38 遠船帆 返信する

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当方を生んで育ててくれた恩はありますが、虐待された心の傷はいえません。
幼児虐待のニュースを見るといてもたってもおられません。

2018/6/7(木) 午前 9:22 [ Shinsuke ] 返信する

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お母上の慈愛に満ちた御心、句の中にしっかり感じ取れます。さんせいさんのすばらしい感性も、お母上譲りだと勝手に確信しました。

2018/6/7(木) 午前 10:17 [ 菖枯堂 ] 返信する

(^^♪> sunfordさん

こんにちは。
家族に対しては頑固で、譲らないとこがありましたね。
その反面、外づらは良かったようで、世話好きではありました。
町屋から山家によく嫁に来ました。戦後の食糧難の時だから、田んぼのある農家がよかったとか話していました(笑)
父と同じく、百姓とお勤めをしてきた女性ですね。休みなく大したものです。
母が亡くなったとき、知らない人がお母様にはお世話になりましてね〜と言われて意外でした。

私は女兄弟がいませんので、介護はカミさんと役割分担でした。
私は20%、カミさんが80%でしたね。男には出来ないことがありましたから。

2018/6/7(木) 午後 0:53 さんせい 返信する

(^^♪ 遠船帆さん

いつかは誰でもですが・・それを考えてもなるようにしかなりませんからね。ぽっくり楽におさらばも良いと思っていますが、、これも分かりませんよね(笑)
今を楽しみましょう。苦しんでいる人が沢山いるのに、私たちはまだ元気で居ることが幸せです。

2018/6/7(木) 午後 0:58 さんせい 返信する

(^^♪> Shinsukeさん、こんにちは。

私も幼少時代、どうしても聞かん子だったらしく、夜に外に放り出されたこと何度もあります。鮮明に覚えています。
大抵は祖父母が助け舟をくれました。お蔭で肝が太くなり、怖いものがなくなりました(笑)
でも、現代の虐待とはちょっと違ったと思います。いまはニュースで見ると最初から殺す気で虐待する奴ばかりですよね。死刑にしましょう。
母親はあとで、もう解ったか?と聞いて頭をなでてくれました(^^♪

2018/6/7(木) 午後 1:18 さんせい 返信する

(^^♪ 菖枯堂さん、こんにちは。

子どもの頃は、怖い母でしたが、母も涙を流しながら叱ってくれたと思います。自分の理想の子育てをしたかったのは分かりますが、
押しつけ教育・躾だったかもと思う訳です。
まあ、でも今日65になるまでの健康な体を賜りました。
七回忌を機に、母に子育て100点をあげたいと思います(^^♪

2018/6/7(木) 午後 1:25 さんせい 返信する

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七回忌ですか
僕は妻の八回忌がすんだ所ですが、妻はまだ僕の側にいて「生々しい」存在です
さんせいさんのお母さんのお話を読み、ぼくも妻のことをしっかり描いておかねばと思いました
母の二十三回忌を去年実家であったので、僕が50そこそこの時母は逝ったのでした
さんせいさんのお母上と似ていたなあと思いました
ただ、ぼくは「仕事」にかまけ、父がしっかり付いていたこともあり、母の最後の時冷たい息子だったという思いが残っています

2018/6/10(日) 午後 0:16 Obaa 返信する

(^。^) > Obaaさん、おはようございます。

どこも家庭やそれぞれのご事情がありますからね〜、後になって後悔することばかりですね。致し方無いと思います。

わたしには母親の思い出に強烈な事が今も残っていますよ。
母親の畑からの帰り、母の背中に荷物を背負う木で作った「負いこ」というものがあり、それに乗せてもらい母と家路に着きました。
嬉しくて背中ではしゃいで、そのオイコから田溝に落ちました。
畔にあった杭で額を打ち怪我をしたんですねえ。4-5歳くらいかな、今でも痛さと場所はここだったとはっきり覚えています。
母の乳が出なくて、オッパイを吸った記憶はありません。
母は毎朝四時に起きてかまどにいましたね。暖かいのでわたしもそばにいました。大きなあくびを連発していた母の顔が浮かんできますよ。

受験ころには毎晩夜遅くに、食パンをフレンチトーストにしてネスカフェと一緒に夜食を持って来てくれました(笑)
口喧嘩はよくしましたが、わたしへの愛情に溢れたよい母親と思って感謝をしています。

2018/6/11(月) 午前 8:34 さんせい 返信する

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