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			<title>＞＞草の根ブログ主義が日本を救う＜＜</title>
			<description>小泉さん、自分が丸投げするからって、国民にも真似しろって？民主主義国家に必要なのは、国民一人一人、議員一人一人が主権者として、自分の頭で考えることが始めの一歩。長いものに巻かれろ！の安易な道は、お任せや白紙委任の無知・無恥・無関心・無責任の風潮を招くだけです。僕もブログを書きながら自分の頭で、憲法・人権・政治・マスコミ・教育・食と農・生命など、いろいろな問題を足元の暮らしの中から考えます。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sansyouhiriri</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>＞＞草の根ブログ主義が日本を救う＜＜</title>
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			<description>小泉さん、自分が丸投げするからって、国民にも真似しろって？民主主義国家に必要なのは、国民一人一人、議員一人一人が主権者として、自分の頭で考えることが始めの一歩。長いものに巻かれろ！の安易な道は、お任せや白紙委任の無知・無恥・無関心・無責任の風潮を招くだけです。僕もブログを書きながら自分の頭で、憲法・人権・政治・マスコミ・教育・食と農・生命など、いろいろな問題を足元の暮らしの中から考えます。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sansyouhiriri</link>
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			<title>耐震偽装事件とマスゴミ問題に想うこと</title>
			<description>姉歯一級建築士によるとされた「耐震偽装事件」が発覚する１０日ほど前のことだった。近所に１５階建てのマンションが建設されるという問題が突然沸き起こり、近隣住民に対する説明会が開かれた。広い道路もない、民家が多い地域でなぜそんな建物が？という驚きと疑問が会場に満ち溢れていた。デベロッパー側は、認可が下りているのだから説明するだけの場所で交渉の場ではないという横柄な態度に終始した。住民からは「せめて１０階くらいにならないか」という日照や強風を心配する声が相次いだが、採算面から１４階建てにする譲歩が精一杯だと一方通告のような説明会の雰囲気だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
僕も民家が密集している地域での１４階建ての建物が建っている光景は記憶がないので、その点に絞ってまずは質問してみた。若き頃に労働組合の書記長・委員長などの経験があり、交渉には場慣れしているので、“一肌脱ごう”精神が頭をもたげてきたのだ。「どこが認可したものなのですか？」という切り口から始めたら、予想外の返事が返ってきたのだ。僕の意図したところは「役所のどの部署なのか？」のつもりだった。ところが返事は「イーホームズという会社です。」という？？？だった。さらにその点をただすと「数年前から、主事が居れば、民間の会社でも認可できるようになった。」という説明だった。僕はそんな馬鹿なことがあるのかとあっけにとられてしまった。法改正があった当時、報道されていたのかもしれないが、記憶に残っていないという事は認可作業の民営化は大きな問題含みだというマスコミによる問題指摘や問題提起はなかったのだと思う。会場がざわついたという事は、他の住民達も知らなかったし、そんなことがあるのかとビックリしたのだろう。自治体などの公の機関が関わっていれば、そこへの住民交渉の道は残されているが、営利を目的とする株式会社が検査機関では暖簾に腕押しになるのは目に見えている。そこで「儲け仕事として行なわれる認定審査や検査は、信用できない。なぜなら、厳密な審査をじっくり行なうところには、誰も審査を依頼しないからだ。食品関係でも、偽装表示や審査機関の不正が発覚しているのが良い例だ。近隣住民の不安や迷惑を考えて、建設計画を再考せよ。」と指摘した。さらに「当時、どういう狙いでの制度改定だったのか？」と質問したが、デベロッパー側は「それは知らない」と誰も答えられなかった。そのあと、住民の不安・不満の声を言いたいだけ言わせたのだから形は整ったという態度で、彼らは「１４階以上でないと採算が合わないので、計画変更はできない。１１月中には着工する予定。」と言い切って説明会は終了した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、まずは更地にするための旧建物の解体工事は近隣と足場問題などで揉めながらも着々とすすめられた。そのタイミングで、耐震強度偽装問題が発覚したのだ。そして、なんと説明会で名前が出ていた「イーホームズ」の名前が偽装当事者の一つとして登場した。「やっぱりそうだったか！」近隣地区で同じ問題で揉めていたところも同様だったそうだ。&lt;br /&gt;
今は、更地になった看板には、施工者のところが空欄になったまま、静寂が訪れているが・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、マスゴミはあいかわらず、真相解明には及び腰でマスゴミのままである。なぜ、独自取材でこの制度矛盾を問題にしないのだろうか？必死で個人やモラルの問題にすりかえようとしている金権亡者たちの代弁者になっている。&lt;br /&gt;
この問題でも、安いコストで建てろと要求したところに震源がある。役割分担していても専門家ではないか、わからぬはずはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
食品や農産物の偽装表示問題でも、根本には大手スーパーの無理な安値納入の要求がある。業者間で競わせるのだ。そして、偽装が発覚すると納入業者のみが悪者になる。強大な販売力を武器に無理難題を要求した大手スーパーにはお咎めなしだ。今回も「総研」の内河という黒幕が報道に登場するまでかなりの日数を要している。僕の愛読している女性のブログでは、２週間も前からその名を指摘していたのに。報道を飯の種にしている諸氏が知らぬはずはないではないか。では、なぜ名を出すのをためらっていたのか？&lt;br /&gt;
国民の生命と財産に深く関わる審査や検査を何のために「民営化」したのか？株式会社に任せて、儲け仕事にしたら、なにが起こるかは子どもでもわかることではないのか？政府関係者は、必死に「制度自体の問題でなく、運用の問題だ」と繰り返し主張している。本当にそうなのか？検査を行なう会社には、ゼネコンが出資した会社もあるというが、それでまともな審査がおこなえるのか？株式会社は、利潤追求が使命であることを考えるとそこに働く者は例外なく儲けるために行動することが要求されるのに。公務員は公けの利益（とくに弱者に配慮して）行動することが仕事であり、そのことで税金から給料を貰っている。審査は、明らかに公務員が担うべき仕事ではないのか？「民にできることは民に」とお題目を唱える首相がいるが、審査業務はあきらかに儲け仕事を任務とする民にできることではない。審査業務に人が足りないなら増員すれば良いではないか。尻拭いのための費用を負担するくらいなら。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マスゴミの調査や報道が敏速さと鋭さを欠き、民営化の誤りがこの問題に根っ子にあることを指摘しないのはなぜだろうか？誰の顔色を上目づかいに覗っているのか？耐震偽装の当事者と親交があり政治献金まで貰っていた森派をはじめとした政治屋どもをこの際一掃する機会にして欲しいのだが・・。&lt;br /&gt;
マスゴミは、日本の権力構造に巣食う金権亡者のメンバーの一員と考えるほかはない。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sansyouhiriri/19034469.html</link>
			<pubDate>Sun, 11 Dec 2005 09:49:13 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>庶民の立場から、“教育”を考える！</title>
			<description>全国一斉学力テストを４０年ぶりに復活するという。ゆとり教育が学力低下を招いたという反省からだそうだ。反省というからには、ゆとり教育の導入はそもそもどんな子どもたちの現状の改善を意図したものだったのか？その結果はどうだったのか？そこを明らかにして欲しい。違った物差しをあてがっての議論では、教育という多目的な能力・活動を評価するには、あまりにも雑に過ぎる議論である。時の文部科学大臣の関心のありかや思いつきや功名心でコロコロと決められてはたまったものではない。日本は人こそが資源で立国してきた国なのだから、なおさらである。&lt;br /&gt;
マスコミも政府の広報誌のような発表ジャーナリズムに終始していないで、国民にとって身近な『教育問題』くらいは、猫の目文部行政をしっかりと批判し、じっくりと腰を落ち着けた問題提起を庶民に対してして欲しい。かつての議論の経過の詳細な資料もしっかり握っているはずだし、あらためての取材で明らかにすることも可能なのだから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
目新しいことがイコール改革なのだろうか？広域の通学範囲で各家庭に公立学校を選ばせることが行なわれている。競争原理が働くからよいことなのだそうだ。ところが、ここには、大きな落とし穴が潜んでいる。３月の人事異動だ。校長に民間企業の管理職経験者なども登用して校長の裁量権限を大きくしてきたこととも矛盾する。校長の異動があれば、新しい校長のもとで今までの実践が踏襲される保証はないのだ。仮に現場の先生による実践次第だとしても、その実践をリードしてきた先生の異動もあるから、異動で司令塔を失うことになるから、同じ問題が指摘できる。極端に言えば、入学してみたらもぬけの殻だったということがありうるのだ。実践を評価して選んだ家庭にしてみれば裏切られた思いに陥るだろう。詐欺にあったくらいのショックを受けることもあるに違いない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本の子どもたちの現状の問題点は、一言で表現するなら“自信の喪失”だ。だから、「教育とは、自信をつけてやること。自信を回復させること。」に尽きる。基礎学力を強化する実践も、総合学習で様々な体験や発見をする学習も、得意分野や旺盛な知識欲や興味関心をぐんぐん深めてやることも、すべての教育は『自分の力を信じさせること』につながってさえいれば、価値ある実践である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
では、学力とはなにか？これを一言で表現するなら、“自分で考えて、自分の課題をとらえる力”だ。与えられた課題をこなす力では、本物の学力とは呼べない。自然も社会も変化するのだから、生きぬく力の要である『学力』とは、定められたレールを走る力ではなく、自分でレールを敷く力なのだ。こう考えれば、教師も親も本人も、主体的に「考える力」抜きの学力はありえないことでは一致できるはずだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とすれば、家庭にも学校にもあらゆる場面を捉えての“教育”が溢れかえっていていいのに、どこか溌剌としたところが失せているのは気のせいだろうか？型にはめたり、ノルマをこなしたり、同じレール上を走らせようと親も教師も汲々としているせいではないだろうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ゆとり教育でいう「ゆとり」は、子どもたちの成長をじっくりとみつめる親や教師の側にこそ必要な重要ポイントなのだ。&lt;br /&gt;
総合の学習でいう「総合」は、人間として“生きる上で必要な能力の総合力”と捉えるべきだろう。教科をまたがる総合という意味では、「教える」に重点がかかるので狭すぎる。&lt;br /&gt;
ふだん教室では、評価の対象とはならないような様々な能力の出番があり、子どもたちの中に自分を誉めたくなるような『自信』を芽生えさせる絶好の機会となるのが、総合の学習の最大の魅力なのだから。&lt;br /&gt;
この時間を安易に切り捨ててしまって後戻りでは、教室のものさしからこぼれる子ども達は救われない。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sansyouhiriri/13545189.html</link>
			<pubDate>Sun, 16 Oct 2005 09:37:00 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>&amp;gt;&amp;gt; 庶民の立場から愛国心を考える &amp;lt;&amp;lt;</title>
			<description>「愛国心」が語られるとき、戦争のきな臭い匂いと軍靴の靴音が遠くから不気味に聞えてくるように思うのは気のせいだろうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分の生まれ育った風土・故郷を懐かしく思い、大切に思うのは、多分例外なく自然に人の心の中に生まれている感情だと思う。だから「国」を故郷という意味に限定して使うなら、僕は「愛国心」という言葉に全く違和感を感じない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、昨今の「愛国心」を声高に叫ぶ人々は、「自虐史観」に問題ありという考え方とセットで主張しているようだ。「自虐史観」という、この主張に強い抵抗感を覚えるのだ。そこから強制される「愛国心」って、何なのだろう？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「自虐史観」とは、日本が行った侵略戦争に対する評価が根本の問題だ。僕は、庶民の立場から、侵略戦争だったと断じたい。理由は、他人の家に土足で凶器を持って上がりこめば、理由の如何を問わず、それは「侵略」なのだ。その家に先に侵入していた強盗や泥棒がいたかどうかは問題ではない。強盗同士が獲物を巡って、殺し合いを始めても、残ったほうに感謝の念が生じるわけがない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
米国における先住民族であるアメリカンインディアンの土地を征服することを開拓とみる問題は、米国社会に根を下ろしたままだ。ベトナム戦争の真っ只中の時代には、ＴＶで「西部劇」残虐な野蛮人が善良な白人開拓者を襲うという描き方が多く放映されていた。それを僕はハラハラドキドキしながら、白人の騎兵隊が助けに来るのを心待ちにして観ていたものだ。しかし、ベトナム戦争終了後、インディアンの側から描いた作品が発表された。ショックだったというより、そのときは既に世の中の裏側を見抜くことも知りつつあったので、アメリカの良心を見た思いだった。しかし、これは米国の固有の問題ではなく、実は日本にも存在する問題だ。「日韓併合」は言うに及ばず、アイヌ民族の征服問題や琉球王国の征服問題がある。「日本民族」という言葉を使用する日本人としては、将来も意識に留めておかねばならぬ問題である。しかし、ふつうの日本人にとっては、今や観光の対象でしかないほど、教育の中においても、社会の中においてもその位置付け、意味の問い直しは希薄である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「バカチョンカメラ」という言葉は、ほとんどの人が耳にしたことがあるだろう。今でも悪意なく使用している人もいると思う。でも、「チョン」は動作のことではない、朝鮮人の意味をこめて使われた言葉だそうだ。戦前や戦争中に教育を受けた世代の年輩の人々との会話の中では、今でも「チャンコロ」のような表現がでてくるから、中国人にたいしても同様の蔑視する意識が植え付けられ深く根付いているようだ。それが何よりの侵略の証拠である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
軍拡が国是とされる時代には、反戦を叫ぶ者も平和主義を唱える者もすべて、戦争非協力者は、全て「非国民」扱いされ、弾圧された。その史実が庶民にとっての戦争とは何なのかを象徴している。 殺し合いを拒むことが犯罪とされるのだ。狂気の沙汰である。戦場で殺し合いをさせられるのは、戦争当事国の双方の社会において庶民兵士同士なのだ。爆撃にさらされるのは、庶民の家族と財産なのだ。「不正義の戦争を始めるぞ！」といって始める戦争はない、常にもっともらしい開戦の口実は用意されており、「国を守る正義の戦争だ！」といって始めの一歩は踏み出される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、現在は紛れもなく、＞＞核兵器の時代＜＜である。広島・長崎の何十倍・何百倍の威力の破壊力に違いない。ボタン一つでこの世の終わりである。庶民は誰も戦争を望まないはずである。自分が死ぬなら、みんな巻き添えにしてやるという奴がいるかもしれないが・・・。しかし、簡単に庶民が手にできるものではない。現実的に危ないのは、国家権力を握っている輩の独善と狂気だ。それをコントロールする力は、権力者に迎合する人々や「核抑止論」に立って核兵器を容認する人々にはない。戦争だって核兵器だって、現在も将来も望まないという圧倒的な世論の包囲が権力者の手を縛るのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そう考えたときに、日本の「教科書問題」と共に中国や韓国の「反日教育」も真摯に検証することは必要だと思うが、僕は最大の核兵器保有国であるアメリカの教科書問題にこそ、注目してみたい。アメリカの歴史教科書をみて驚いた。広島長崎への原爆投下をどう説明していたか？「日本本土には、２００万の兵士が残っていた。民間人も武装して、本土決戦に備えていた。米軍兵士の犠牲を増やさないためにやむを得ず投下した。そして戦争は終わった。」そんな記述であった。ここには戦争の真実が、書かれているだろうか？原爆投下への反省は読み取れるだろうか？僕が米国人に「原爆投下についての考え」を訊いたとき、戻ってくる答えは多くが「リメンバー、パールハーバー」である。「自虐史観」を問題にする人々がこの米国の教科書問題を取り上げているのを聞いたことがない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
僕にいわせれば、現代の世界の核の恐怖という深刻な課題から考えても、庶民にとっての最悪の「自虐史観」は、アメリカ政府に対して、罪のない多くの庶民の命を奪い、家族も財産も奪ったことに沈黙し（容認し）「原爆投下」や「大空襲」について謝罪の要求をしないような歴史認識だ。アメリカ人にだって、アメリカ政府と異なる人道的な意見も持ち主は、数多くいるのに。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sansyouhiriri/12524043.html</link>
			<pubDate>Tue, 04 Oct 2005 23:08:34 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>庶民にとっての「安全」とは何？</title>
			<description>庶民にとっての「安全」とは何？&lt;br /&gt;
自分と家族の生命・健康・財産・子育て・人間らしい暮しを守ることかな？&lt;br /&gt;
では、誰から守るの？&lt;br /&gt;
第一に、野獣・悪人（無法者）&lt;br /&gt;
第二に、権力者（支配者）&lt;br /&gt;
第三に、疫病・天災（自然災害）&lt;br /&gt;
第四に、外国の軍隊・爆撃（侵略者）&lt;br /&gt;
第五に、老い⇒死は不可避！肉体の老化による衰えも不可避！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
では、どうやって守るの？&lt;br /&gt;
第一と第三は、政治権力がルール（法）に則って「秩序」を人間社会に形成して。&lt;br /&gt;
そして、第一・第三は、地域の共同体社会への協力と支援。（ブッシュはこれを怠った為に大災害！）&lt;br /&gt;
第二は、これが最も厄介！制度は権力の三権分立の建前を歯止めとし・・さらに、国政選挙で権力を代表者に付託する方式が代議制民主主義だが・・選挙制度のトリックが要注意！&lt;br /&gt;
現実に、〇〇のように、権力の暴走や悪用が始まったらどうする？&lt;br /&gt;
第四は、戦争とは何か？の考察がかかわるから、単純には論じられない。単純に論じると非常に大きな落とし穴が口を開けている。歴史から学ぶ教訓が大切だ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　崚┐箸蓮誰だ？」「敵国とはどこ？」&lt;br /&gt;
仮説敵国にだって、好戦的政権に反対する国民はいるはず。ここが重要だ。犠牲者の大半は、両国の庶民同士なのだから。ここへの働きかけの努力をしないで、危機感を煽って、人殺しの武器に莫大な血税を注ぎ込むのは？？？大疑問。結局、だれが喜ぶの？武器商人でしょ。彼らはいつも新しい戦場が生まれることを待望しているんだ。そして、札束で政治屋の背中を押しているんだ。今日の日本の財界は、きな臭い。&lt;br /&gt;
ブッシュのイラク戦争開戦の口実もウソだったことがばれた。小泉だけが、なぜか今だに認めないが・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
◆岾吠軸鐇鐐茲始まったら、地球上の人類の生存環境が破壊され、汚染されて・・・」&lt;br /&gt;
そんな悲劇は、誰も望まないはず・・・。と庶民は思うのだけど、広島に原爆落したエノラゲイの乗組員は「原爆投下は、後悔していない」といっているとか。一人を殺した殺人者でも「死刑判決」を受けるというのに、国家による殺人の功労者には、勲章が出るという矛盾。それも非戦闘員の武器も持たない一般市民の大量虐殺だというのに・・・。国家の名においての殺人は、イラクでは、現在も「誤爆」か「テロリスト一味」で片付けられているのではないか？&lt;br /&gt;
その意識がある限り、「通常兵器」も「化学兵器」も「核兵器」も人殺しの道具として、平気で使われる危険性がある。というより、現実にベトナム戦争での「枯葉剤」投下も、イラク戦争での「劣化ウラン弾」使用も、米軍によって躊躇いもなく行なわれている。戦争の中に見えるのは、国家の名による殺人奨励と強制と庶民の犠牲である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Ｆ椶軍備を整えるより、ずっと安上がりで、世界中の小さな国々からも尊敬を集め、国連安保理常任理事国になる大義のある道は、唯一の被爆国としての反戦平和の活動を支援し、自らも展開することだ。それが他国の領土に足を踏み入れて始めた戦争と支配によって、アジアの庶民・日本の庶民の尊い生命と幸せを奪ったことにたいする反省を込めた供養となる。&lt;br /&gt;
日本がなすべきことは、今からでも遅くないから、核保有国の国家元首や指導者を一国づつ招き、広島・長崎の原爆記念館訪問を促すことである。そして、その様子をその国はもちろん、全世界の主だった新聞に広告料払ってでも、そのつど掲載し報道してもらうことである。庶民の平和を願うこころを信頼して・・・。武器に金をかけるくらいなら、生きたお金として、よほど大きな抑止力として、将来大きく育つと思うがどうだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こういう今すぐ、やる気があればできることをやらないで、「憲法９条改正」を視野に入れた動きだけを急いでいるのは、自民・公明も民主も、庶民からみたら胡散臭いよ。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sansyouhiriri/11705719.html</link>
			<pubDate>Sun, 25 Sep 2005 12:55:15 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>小泉教のお題目を唱え続けている、マスコミにも、国会議員にも、使命感ってあるの？</title>
			<description>「小泉教」のお題目である「小泉改革」っていう正体不明の言葉の連呼は、選挙が終っても、ＴＶからは毎日聞えてくる。郵政民営化法案の成立が確実になった今でもなのだ。小泉首相が言っていた「郵政民営化が改革の本丸」というどう考えても？？？のお題目を批判してきたはずの「反対派議員」も、新党を旗揚げした面々以外は、大半が首相指名投票で小泉に投票したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小選挙区制というトリックで、議席の数こそ、「小泉教」側が圧勝して３分の２を超えているが、得票数では、賛否半々なのだ。小泉流に言えば、全選挙区に郵政民営化法案賛成の候補を擁立しての結果で、国民の半数は、否の意志表示をしたのだ。しかし、小選挙区制という大量の死票が出る悪魔の選挙区制度によって、国民の反対の叫びは消されてしまったのだ。半数の反対の叫びを十分にわかっていながら、そのことに触れようともしないマスコミの病巣は、相当に深く骨の髄まで「マスゴミ」になったようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「放送法」の中立性なんて糞食らえとなりふり構わぬ、「小泉教」を何がなんでも選挙に勝たせるという与党側に偏した報道姿勢は、大都市部での歴史的大勝利を議席数で「小泉教」にもたらした。ところが、&lt;br /&gt;
勝たせるという目的を達したのだから、反対派が危惧し指摘してきた「郵政民営化法案」の問題点について、特に従米問題について、少しは客観的な分析をしてみせるのかとマスゴミの良心のかけらの存在を僅かに期待していたら、それさえも見事に裏切られた。&lt;br /&gt;
半数の反対の叫びを無視しつづけて、あいかわらずの「小泉教」旗振り役に徹しているのだ。半数の国民を敵に回してでも、権力者側からのエサを食べつづけたいという意志表明のつもりなんだろう。忠誠心くらべのレースを展開しているかの如き、信じがたいほど醜い無様なマスゴミの様相だ。ジャーナリストは、ただの飯の種なのか？民間放送が、公共性をかなぐり捨てて、利益追求を優先するのがＯＫなら、「民営化」そのものが公けの使命感を不可欠とする仕事には、不向きということを証明しているのではないのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、反対派議員の面々は、どうしたというのか？衆議院議員選挙を無所属で戦った者も、参議院で反対票を投じた議員も、「重大な欠陥のある法案」だからこそ、反対の意思表示をしたのではなかったのか？&lt;br /&gt;
今また、何の修正も加えられないまま、国会に提案されようとしているのに、一転して「賛成」とは、どういうことなのか？前回の国会で反対した論拠を示して、選挙を戦ったのではなかったのか？全く不可解である。参議院の面々も、参議院という議員の性格をもう一度思い起こして、自分の取るべき行動を考えて欲しい。とくに、「弱者切り捨て」と「従米売国」という、この法案のもつ危険な側面についての心配を取り除く「法案修正」をしっかり要求するのが、使命だと思うのだが・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それをせずに、ただ小泉教の信徒の仲間にいれて欲しいと教祖の前にひれ伏すというのでは、国会議員という職をただの飯の種としか考えていない輩だということになる。だから、議員年金は手をつけないのかとか、企業からの献金は禁止しないのかとか、他の公共の性格を帯びた組織には、税金の無駄づかいとか、民で出来るものは民でとかいって「民営化」を金科玉条の如く押しつけているのに、ちゃっかりと政党は税金からの収入をしっかり確保しているのはどういうことか？政党助成金をもらうことを拒否している共産党以外は、その収入に占める比率からして「官営政党」といえるのではないか？政党こそ、率先して民営化するべきでないのか？という具合に、議員諸氏の使命感に疑いの目を向けたくなる連想ゲームが無限に広がってくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「マスゴミ」も「欺員」諸氏も、小泉教のお題目の連呼は、もう真っ平御免だ！という国民も半数いることを忘れるな！！！使命感を再生して、小泉教・従米売国に組せずに、『マスコミ』『議員』として、主権者国民のために、名誉ある独立国とするために、しっかりした仕事をして欲しい！！！その願いを裏切って、国民の大半を占める負け組と負け組予備軍の庶民をなめると手酷いしっぺ返しに遭うぞ！勝ち組の尻馬に乗って自分も勝ち組と錯覚しているブロガーは、別にして自分の頭で考えているブロガーがスパルタカスのごとく、各処で立ち上がり始めているから・・・。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sansyouhiriri/11453030.html</link>
			<pubDate>Thu, 22 Sep 2005 08:07:00 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>ギョギョッ！郵政民営化法案反対票が、賛成票より上回っていた！</title>
			<description>１６日発売週刊現代の調査集計によると、全国の小選挙区の立候補者の郵政民営化法案に賛成と反対の立候補者の得票の合計を集計した結果、賛成３３８９万票、反対３４１９万票で、なんと３０万票反対票が上回っていたそうだ。私は「大手マスコミ」を『マスゴミ』と改称しその堕落ぶりに失望を通りこして憤っていたが、骨のある地方紙や週刊誌記者まで魂を売ったわけではないと信じていたら、タイムリーヒットの記事が登場した。小選挙区制のマジックによって、＞＞郵政民営化は圧倒的多数の国民の声＜＜は、産み出されたのだ。賛成は半数以下なのに＞＞圧勝！衆議院の議席は３分の２超え！＜＜となったのだ。&lt;br /&gt;
法案に反対した政治家にはどんな手を使ってでも政治生命を絶つ！という非情さを正当化できるような数字は、選挙の結果からは全く出ていないのだ。そこに見えるのは、欺瞞に満ちた独裁政治への志向そのものだ。考える時間もなく、熟考する情報ももたない一般大衆をマインドコントロールするために、マスメディアへの露出度を高くして、耳ざわりのいい言葉「私の任期中は消費税を上げません」と明確な短いメッセージで語り、「改革を止めるな」のスローガンを繰り返すというのは、ヒトラーも顔負けの計算された小泉流パフォーマンス戦略なのだ。そもそも、論理的に考え、歴史の教訓からも考証する、彼にとって厄介なタイプの人々は、はじめから彼の眼中になかったのだ。そのような彼の土俵内で、いくら彼に論理的に反論して噛み付いたところで、暖簾に腕押しだったのは、そのためだったのだ。&lt;br /&gt;
しかし、自分の頭で考える人々は、その多くがこの選挙の結果で目覚めた！終盤で反対票が賛成を上回るところまで届いていたのだ。どんな運動が、どんな声が、自分の頭で考える人々の中から生まれてくるか楽しみだ！☆☆☆輝ける抵抗運動（護憲）の誕生だ！☆☆☆</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sansyouhiriri/10994863.html</link>
			<pubDate>Thu, 15 Sep 2005 15:22:35 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>国を守るとは？愛国心とは？国家とは？</title>
			<description>言語は、語句に共通の意味を込めて使用しないと、コミュニケーションの手段として機能しません。また、誤解が生じてしまいます。そのために、広辞苑などの国語辞典でスタンダードな語彙を示しています。しかしながら、毎日、頻繁に使用されながら、実に曖昧な、かつ多様な意味合いを各人の思い込みで使っている言葉があります。それが『国』という言葉です。&lt;br /&gt;
だとすれば、『国』という言葉をつかうことを封印して、コミュニケーションすれば、一致するにせよ、違いを確認するにせよ、共通の理解に到達しやすいんじゃないかと僕は考えたわけです。国土、国民、国家権力、国語、、国旗、国教のように、「国」という字を使うのは構いません。どうしても使う場合は、意味合いを規定してつかえば誤解は生じませんからＯＫですが・・・。ようするに、僕がとても気になっているのは、『愛国心』『国防』の二つの言葉の『国』なのです。&lt;br /&gt;
皆さんどう思いますか？</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sansyouhiriri/10988273.html</link>
			<pubDate>Thu, 15 Sep 2005 13:16:33 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>二大政党制は、本当に民主主義的なのだろうか？</title>
			<description>衆議院で自公の議席数は、３分の２を超えてしまった。誰も予想がつかなかったほどの自民の大勝利で、二大政党と煽てられて政権奪取を目論んでいた民主党は、大幅に減らし議席獲得では惨敗の結果に終った。しかし、得票率でみると自公で５１％に過ぎない。圧勝は、「小選挙区制」という選挙区制のマジックでもある。&lt;br /&gt;
民主党の敗北は、都市部の無党派層の支持を失った結果だという。これは、前回の衆院選を思い出してみると、マスメディアによって、「二大政党の時代が到来した！」という一大キャンペーンが繰り広げられた結果、民主党が都市部で自民党を圧倒して、大躍進を遂げた。今回のマスメディアは、「郵政民営化」＝改革、反対派＝抵抗勢力、改革を止めるな！利権で温く温くしている職員を減らせ！という政府の主張を図式化して分りやすく描きながら全国各地に同じ演説を繰り返してＴＶに流した。その結果として、都市部で自民が獲得議席数で民主を圧倒するという雪崩現象を引き起こしたのだ。メディアのコメント次第で、どうにでも誘導され、操られる層が存在するのだ。しかし、今回の常軌を逸脱したマスコミの小泉応援団ぶりは、戦前の大政翼賛会のようだとも云われる。特に見過ごせないのは、「憲法９条改正」問題が&lt;br /&gt;
国会でとりざたされ、審議されるのを知っていながら、「郵政民営化＝改革派」のイメージを流し続けていたことである。まあ、明るい材料といえば、護憲の旗を掲げた共産・社民の２党が議席を減らさず、踏みとどまったことかな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回の選挙で学んだことは、「マスコミの堕落！」と小選挙区制選挙の危険性　であった。&lt;br /&gt;
比例代表部分の議員数が削減されるのも、小選挙区のウエートが高くなる分、死票が増えて、少数意見を封じ込めることに繋がるので慎重な審議がのぞまれるのだ。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sansyouhiriri/10822627.html</link>
			<pubDate>Tue, 13 Sep 2005 01:03:37 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>アメリカの災禍の復興の資金は、日本と中国からだって！</title>
			<description>アメリカ経済は、イラク戦争の泥沼化からの出口が見えない中で、ハリケーン・カトリーナの直撃で生じた大災害の復旧・復興に、莫大な資金が必要だということが誰の目にも明らかになっている。では、その資金はどうするのか？米国で生活している義妹からＴＥＬがあった。「フジサンケイニュースの解説で、この費用資金は、日本と中国に担ってもらうことになる。とはっきり言っていたよ。」というのだ。米国の国債の大量購入ということになるんだろう。&lt;br /&gt;
戦争とテロ対策に血眼になって、自然災害の防止策を怠ってきたブッシュの失態をポチ首相は日本の国民の蓄えで尻拭いすることになるのだ。借金大国日本の最後の頼りになる貴重な資産なのに・・・。日本はアメリカの属州になるんだろうか？アメリカ国民だって、ブッシュ批判が高まっているというのに、ブッシュに従純（従順）なポチ君とポチ君ファンの国民はどこまでもブッシュに、お金も命も良心も、丸ごと白紙委任してしまうのだろうか？こうなると教祖様ブッシュへの信仰心に近いんじゃないかな？誰かが比喩でつかっていたけど、「リホーム詐欺に引っかかる人たち」を見る思いがする。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sansyouhiriri/10666965.html</link>
			<pubDate>Sat, 10 Sep 2005 18:56:57 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>今年度の流行語大賞の有力候補は、＞＞★ マスゴミ ★＜＜に決定！</title>
			<description>マスコミには、民放労連加盟の労働組合もあったはずではないのか？無力化されているのだろうか？今回の選挙で、ここまで権力側に立った偏向報道に徹している姿は、異様に映るほどだが、現場の人間は、どう感じているのだろうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
報道機関の使命は、国家権力からの独立を守り、国民の知る権利を保障することだ。そもそも、報道の自由とは、「権力からの自由」をその本質としているはずなのに、自らすすんで権力のための宣伝を請け負って、権力のご機嫌をとっている。まるで主権者である国民は操作する対象としかみていないようだ。報道機関としての社会的責任を放棄して、スポンサー企業および国家権力の顔色を窺いながら、利益至上主義の企業間競争にこぞって邁進しているのではないか？&lt;br /&gt;
ニュースＴＶ番組も人気キャスターの採用で視聴率を上げようとしている。知名度が上がると彼らは、フリーになり、ギャラを稼ぎまくっている。時事問題を扱うニュース番組というより、一種のトークショーだ。彼らの頭の中には、国民の知る権利のことなど、微塵もないのであろう。でも、選挙前の党首討論会などの最も慎重に公平を期さねばならない場でも、自分のパフォーマンスを演じてしまうような司会者が民放に目立つのは、公共性の高い放送メディアの優先すべき、公正という社会的責任を考えるとき、極めて重大かつ深刻な問題だと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
利益至上主義が同様に鉄道という公共輸送事業で優先されたとき、ＪＲ史上最悪の事故が発生したのは、記憶に新しいことである。事故の結果、多数の尊い生命が失われた。&lt;br /&gt;
では、公共放送事業で、利益史上主義が優先されれば、何が失われるのだろうか？権力者にとって都合のよい情報だけが流され続けると何が起こるかは、多くの犠牲者を出した戦前、戦中の歴史を振り返れば歴然である。今や泥沼化したイラク戦争突入時のブッシュ政権の情報操作も徐々に明るみに出つつある。&lt;br /&gt;
国民は、流された情報を頼りに行動を選択するのだから、メディアの社会的責任は、一人一人の生死や人生の在り様を決してしまうほど大きい。にもかかわらず、今回の選挙においては、まるでタブーがあるかの如き、権力寄りの報道に終始しているといわざるをえない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あと数日も、このままの報道姿勢がつづくならば、ＪＲ同様、史上最悪の事態が発生したといってよいと思う。マスコミは、＞＞マスゴミ＜＜に転落してしまったと、結果、国民は痛みだらけの地獄に誘導されてしまったと・・・後世の歴史に刻まれる。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sansyouhiriri/10438058.html</link>
			<pubDate>Wed, 07 Sep 2005 18:07:50 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
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