雁の天

水すましおのが水輪の外に出ず

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脱出成功

 悪戦苦闘の末、草河口の町を左に見て、ようやく安全らしい道に出ることが出来た。気がついてみると、大里君が居ない。探しに戻るわけにもいかず、芳賀君と暫くは息を詰めて物陰から窺っていたが、ひょっとして先に行ったのではないかと思われないことも無く、日も傾きかけたので、腰を上げざるを得なくなった。 
馬車を曳く農民に出会った。連山関に行く道を尋ねると、自分達も其方の方え行くから案内してやるといい、その馬車に乗せてもらった、道は山に向かっている、あまりにも美味い話なので、ちょっと気持ちが悪くなった。暫くしたところで、「これからは山道ばかりだから、明日にしたほうが良い、私の家に泊まって行くが良い」と、親切に言ってくれる。その言葉に嘘はないようなので、親切に甘えることにした。
 山の中の一軒家だった。大家族らしく、大勢の子供が居た。我々を連れてきたこの家の主人は、我々の荷物に眼をつけていたらしく、盛んに、その荷物は何かと、尋ねる。着物なら欲しいと言い出した。中を見せると、例の毛糸の腹巻が珍しいもののようで、非常な執着を示した。断りきれない雰囲気もあって、手放すことにした。巣食っていた虱も一緒にだが、気にしていないようだ。とうとう、荷物は親父の写真のほかは何もなくなった。

 夜が明けると、久しぶりに好天に恵まれ、この分なら、山道は容易に超えられるものと思われた。途中まで案内するという主人と一緒に家を出た、暫くすると、「ちょっと用事があるので此処で待て。勝手に動いてはならん。」と言い置いて脇道に入って行った。脇道の先にある家のあたりに、兵隊らしき姿を見たときは、心臓が止まったかと思うほどに仰天した。昨日からの親切はこのことにあったのかと、思い当たり、愕然とした。我々を八路軍に売り込もうとしているのだと、解釈した。
 走った、昨日と同じことの繰り返しだ。山道は一本で、下り坂だった。どの位走ったか見当も付かないが、時間にして二時間は走り続けた筈だ。好意で案内しようとしていたのだったら、申し訳ない失礼な行為だったが、疑心暗鬼のときでもあり、やむを得なかった。一気に山を抜け、平地に出た。幸い、途中で人に出会うことも無く、息の続く限り走った。
 ほっとした途端に、前方の川のあたりから銃声が聞こえてきた。それを合図にしたように、激しくなった。人気も無い山間の部落だったが、山に木魂して頭にがんがん響く。一難去って、又、一難。数十人の遭遇戦のようだ。気付かぬまま、戦場に迷い込んだものらしい。道理で、道で人に会わなかったのだと気がついた。巻き込まれては大変だ、身の危険を感じて、運良く近くにあった水車小屋にもぐりこんだ。戸をピッタリ閉め切って、息を殺し、外の気配を窺っていた。
 銃声と人の叫び声が近付いてきた。戸の隙間から覗いて見ようとしたが、死角になって見えない。全身を耳にして気配を探る。ここは、話に聞いていた、八路軍と国府軍との勢力境界に当たるらしい。思いのほか、八路軍の前線は後退していたのだった。とにかく、我々は今、戦場にいるのだ、下手に動けば巻き込まれてしまう。
 どの位の時間が経過したのか、見当も付かないが、数の上でも劣勢だった八路軍は今来たほうの山に撤退を余儀なくされたもののようだ。小屋の外を国府軍が走り抜けて行くようだ。銃声も遠ざかった。心配していた前線突破は、向こうから通り過ぎてくれたのだ。

 長い緊張した時間が過ぎていった。

 もう大丈夫だと思ったので外へ出てみる。さっきまでの騒動は嘘のように静まり返っている。人影一つ見当たらない。相変わらず太陽が光り輝いている。まだ、正午を少し過ぎたころだろうか。音の去った方向より反対の方に急ぐ。
 部落に出た。見慣れない服装の兵隊が遠望される。国府軍だと思ったので、こちらから近付いてゆく。
 将校の前につれて行かれた。
「日本に帰りたいので、此処まで来た。国府軍は助けてくれると聞いてきたのだ、どうか、帰国をかなえさせてください。」たどたどしい我々の中国語が通じたのか、八路軍のスパイでないことの確認のための、いくつかの尋問を受けたが、疑いは晴れた。
 回国を約束してくれ、後方の町へ輸送された。
 そこは、各地から来た、難民の収容場所であった。図らずも、別れ別れになっていた大里君が先着しており、再会できた。奇遇を喜び合った。一人で暗夜の山越えは心細かったに違いない。よく頑張ったものだ。
 その町は連山関といい、目指す瀋陽までの道のりの半分の位置まで来ていた。
但東を出発して八日目で脱出に成功したのだ。考えてみると、恐ろしいほどの幸運の積み重ねだった。  我々の後から出発した第二陣も居るはずだが、どんな運命を辿ったのだろうか。一緒に出て途中で別れたものたちの消息は知るよしも無い。

(帰国後、最近になって分かったことだが、捕まった組は但東に送り返され、その後、八路軍の担架隊に編成され前線に送られたらしい。また、二日目からは状況が悪いと言うことで、出発は中止になった。結局、この計画で成功したのは我々だけだったようだ。全員の帰国は一年後に、国府軍によって開放されるまで待たねばならなかった。(担架隊に駆り出された者たちの記録は、別のタイトルで紹介する計画だ。)


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山笑
山笑
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