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引き揚げ船 「高砂丸」
列車で僅か、三十分、胡濾島に着いて見ると、岸壁には国旗「日の丸」を掲げた船が着岸している。鮮やかな白と赤だった。確かに日本の国旗だ、其処はもう祖国なのだ。船首の船名は「高砂丸」と読めた。埠頭の広場に整列し、何故か、米兵に引き渡された。そして、いきなり、首筋から腹の中、ズボンのなかまでも凄まじい勢いで白い粉を吹き込まれた。あれよ、あれよという間に全身が真っ白になった。DDTという殺虫剤だと後から知らされたが、なんとこれが一度だけで、血を分けた同胞の「虱」たちが完全に退治されたのには驚きだった。
船内は蚕棚のようになっている。割り当てられたところへ潜り込む、安心と疲れが一気に出てきたようだ。前後不覚に眠り込んだ。感激の出港風景は知らぬ間の出来事だった。目覚めたときは、山東半島の沖を南下しているところで、九月初めの月が明るく黄海を照らしていた。月明かりの中で、眼を凝らしたが、但東の方角は霞んで黒いかたまりにしか見えない。不覚にも息が詰まり、眼が熱くなった。あの街にはまだ、同胞達が不安な日を過ごしているに違いない。じっと、見つめていることが出来ない。まぶたの中にはこの一年の但東での生活が走馬燈のように映し出されてくる。
この一年間は、私にとっては青春の真っ只中の一年であるが、どんな意味を持っていただろうか。無駄に過ごしたようにも思えるし、どれほどの金を積んでも味わえない貴重な体験をしたともいえる。経済的にも、文化的にも最低の生活であり、どう考えても人生設計の軌道上に置かねばならない事柄だとは思えない。やはり、取り戻すことの出来ない無駄な時間だったのだろうか。立ち遅れたことに焦りを感じてきた。
昭和二十一年九月十五日、博多港に上陸した。入港してから、四日目のことだった。船の中で、赤痢が発症し、陸地を目前にしてまた、隔離されたので無駄な日を過ごしたのだ。
上陸前に、検便と再度のDDT粉末の洗礼を受けた。
此処が祖国だ、日本なのだ。もう、誰からも迫害されることは無い。安心して生活できる故郷なのだ。陸上の収容所で久しぶりの風呂に入り、垢を落とした。一度では綺麗にならぬ、心の垢を落とすには更にまだ、時間がかかることだろう。
博多から、汽車に乗り、まっしぐらに廣島に向かった。一緒に帰った芳賀君や大里君の住所を聞いたはずなのに、とうとう、連絡が取れなくなった。大里君は大阪の家が戦災に会い、北海道旭川に転居すると連絡があったきり、音信不通になった。残念なことだ。(この手記がきっかけで、連絡が取れるように祈るばかりだ。関係者の方が居られましたらご連絡を御願いします。)
岡崎、高谷、水野、堀、中野、堀内、和泉、と、すくなくとも、これだけの者は死線を乗り越え、私達から一年遅れで帰国した事は今までの交信で分かっている。もう、一度会って古い話をしたいものだ。無駄に過ぎたような時間を取り戻すために。
次回からは、二人の同僚の手記(昭和63年本書と同時に発刊したもの)を搭載する予定です。
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大道芸観覧レポートのkemukemuです。ブログの方へコメントありがとうございました。私は団塊の世代ですが、両親(他界)、姉、兄も満州からの引き揚げを経験しています。コロ島→博多で昭和21年7月です。父は満鉄の列車区勤務でした。若い人たちに経験をぜひ伝えていっていただきたいと願っています。
2006/12/18(月) 午後 0:16 [ kemukemu ]
比較的早い帰国でしたね。北満の人は二十二年以降になったようです。それだけに苦労も被害も多かったそうですね。
2007/10/14(日) 午前 10:33
平成19年、プログを開設しその記事の中で知り合った「お局さん」の斡旋で、一番遠い、上記の大里君に連絡がついた。これから昔話を盛り返して懐かしんでみたい。
2008/2/1(金) 午前 10:33
「国旗「日の丸」を掲げた船が着岸している.」についてお聞きします。当時はGHQの指令により日本船は「日の丸」旗を掲げることは禁じられています。高砂丸は黒旗を船尾に、船腹中央にはSCAJAP NO.「A016」と大書されている筈です。山笑さんが見られた日の丸はどこに掲げていましたか?
2009/10/10(土) 午後 3:44 [ 問 ]
船尾だったように思います。なにせ、60年前のことですから、はっきりしません。とにかく、日の丸の鮮やかだった印象は心に残っています。
2009/11/17(火) 午前 11:43 [ 山笑 ]
高砂丸を検索していたら、辿り着きました。
ココで模型を見かけたので
呉インターネット写真ニュース / 平和祈念展
http://www.kure-news.com/news/000504.html
広島沿岸中心部の三原には、與安丸の錨があるんですが。
2009/11/23(月) 午後 10:25 [ エリガフルート ]
エリガフルートさん、よくおいで頂きました。呉にも見原にも勤務したことがありますが、高砂丸の錨があるとは知りませんでした。今度行ったとき探してみましょう。
2009/12/11(金) 午後 2:44
故郷の家は母が独りで守っているのだが、その母の実家の隣の洋服店の小母さんに広島から乗った芸備線の列車の中で同じ席に乗り合わせた。久しぶりに出会う故郷の知人が彼女だったのはなにかの因縁なのだろうか。母はいま実家に帰っているという。まっすぐ帰郷していたら留守の家に帰るところだった。幸運はまだ続いている。
2013/5/20(月) 午後 7:33 [ 淳吾 ]