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食うに困って、八路軍の担架隊として仲間十三人と一緒に入隊した。
当時、八路軍と国府軍の戦闘が絶えず続いていた。戦闘と移動は必ず夜になって始まった。
飛び交う弾丸のなかを走り回った。食うものも無く。着の身、着のまま、寒さと戦いながら移動、戦闘、前線へと飛び回っている間、十三名は散りぢりになり、気がついてみると、泉君と二人だけになっていた。彼にたずねても、同じような行動で、生死の境をさまよいながら、牛馬なみの生活が毎日続いた。
行軍中、病弱者はいつのまにか消えてなくなっていた。おそらく、野垂れ死にしたのだろう。
八路軍について、何処をどう行軍したのか覚えていないが、他の八路軍と出会ったとき、同行している同胞に聞いてみたが、彼らも疲れきっていたし、八路軍は語り合いをさせなかった。
戦闘も八路軍と九軍(国府軍)、互いに負けたり勝ったりで、一部落の取り合いが続いた。場所も不明、時期も不明で引き回された。
ある日の戦闘で、八路軍が負け、国府軍の統治下に入り、捕虜となった。今君と後ろ手に縛られ、日夜、行軍して引き回され、将校の前に引き出された。八路軍の状況の説明を求められた。それ以後は縛られることは無かった。
八路軍との戦闘も終わり、国府軍による八路軍の捕虜の集結がはじまった。トラックに乗せられて一週間、昼夜を分かたず揺られて着いたのが、奉天監獄だった。大きな門を開き、トラックのまま入ってゆく。捕虜は日本人のほか、中国人も朝鮮人も居たが、各国別に宿舎に投獄された。日本人の宿舎に入ってみれば、先輩が数人いた。久しぶりに日本語で話し合うことが出来た。いつ、何処から、何県の出身か、此処は何のために入れられたか、等々。
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