雁の天

水すましおのが水輪の外に出ず

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 投獄は教育改革の場であった。覚えでは昭和二十一年の十月ころであった。中での食事は、一日二食(粟、高粱の飯と白菜の塩汁)だった。
 午前と午後の二回、全員を集めて国府軍からの訓練教育を受けさせられた。冬に向かう時期、寒さが厳しくなった。着るものも無く、板張りの上での生活だった。同胞は帰国を夢見ているものばかりだったが、寒さに負け、病に倒れ、栄養不足などで、死亡するものが多く出た。年末までには帰れる、いや、春先にはと思いながら、毎日、虱捕りに余念のない日が続いた。
 昨日まで足を組み合わせて寝ていたものが、今日はもう一つの物体になり、宿舎から運び出された。こんなことが毎日のように繰り返される生活であった。これは何時の日か我が身も同じ運命かと泉君と相談し、できるかぎりの使役に出ることにした。炊事当番(朝四時から活動)、死体搬出、分配等の使役に率先して出た。使役に出ると、ある程度の行動の自由があった。普通は日本人の宿舎から外に出ることは許されないが、使役には自由に出入りを認めてくれた。病や栄養不足で死亡したものの衣服はすべて取られ、死体は男女とも裸のまま積み重ねられていた。その衣服は着の身着のままの活きている人が着用した。十二月、一月の寒さは格別厳しく、また、病にたおれる者も多かった、私の隣村の出身で一人息子だといっていた人も、物体になった。


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山笑
山笑
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