雁の天

水すましおのが水輪の外に出ず

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友2の手記・その5

 春も近いある日、監獄から出られることになった。奉天市内にある民営の宿舎、日本人だけの宿舎に移った。昭和二十二年三月の頃だった。
 監視も無く、自由に自分の生活が出来るようになった。働きに出て稼いだ。着るもの、日用品などを買い求めて帰国の日を、今日か、明日かと待っていた。その宿舎は国府軍の監視下に置かれていたが、責任者は日本の士官学校を卒業した将校だった。日本語が達者で、時々来ては内地の状況を説明してくれた。状況が分かるので、ある程度落ち着いた気持ちで働くことが出来た。
 二十二年六月、日本の貨物船が岩塩を積みに胡濾島に来たという。この船に乗ることとなり、帰国の準備に入った。奉天から乗る車両は牛馬を運ぶための貨車であり、又、臨時列車のため、停車駅も不明、昼夜を分かたず走った。駅でないところでも停車する。止まったら最後、いつ出発するのか一向に動こうとしない。みんなは下車して大豆や米を持ち寄り、焚き火をして、煎り豆煎り米を作り、貨車の出発に合わせて食べ物の準備をした。走行中は水は無く、トイレも我慢して暗い貨車の毎日であった。一週間をかけて胡濾島に到着した。例の貨物船は既に待機していた。乗船前に荷物の検査、身体の消毒(虱防除)をMP監視の下に行われた。

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私も、満州で生まれました。昭和22年に胡慮島より引揚げ佐世保に上陸しました。両親、兄弟五人 叔母二人の九人。私は3才、何も覚えていません。満州には一度行って見たいと想っています。今でもその工場は在るそうです。勿論、設備等は違ってますが、製紙工場は同じそうです。

2006/10/17(火) 午後 0:32 ゆうぞう

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青山さん、今頃になってコメントを発見しました、返信が遅くなって申し訳ありません。俳句のほうばかりに集中していたものですから、古い記録はおろそかになっていました。 貴方も満州生まれだったのですね、何処でした?やはり安東ですか。

2006/10/29(日) 午後 2:36 山笑

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命・・・大切にしないと・・・と今の若い世代の方々に伝えるために。苦労されての日本への帰国。貴重な体験を是非冊子にして下さい。読ませて頂けて感謝です。

2007/4/22(日) 午前 11:55 mai**o14200*

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手製で印刷し親族にはg配布しましたが、活版印刷で製本し一般に販売するところまでは勇気がありませんでした。

2011/12/5(月) 午後 7:55 山笑


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