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日々思ったことや車についての雑記

事件とか

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24日午前7時55分ごろ、京都府八幡市八幡双栗(そぐり)の府道で、同市の派遣社員の少年(18)が運転する乗用車が集団登校中の市立八幡小学校の児童の列に突っ込んだ。府警八幡署によると、1年生の男児(6)が頭などを打って意識不明の重体、1〜5年生の男児と女児計4人が軽傷を負った。同署は少年を自動車運転過失傷害容疑で現行犯逮捕し、事故原因を調べている。(毎日新聞)

>車種は分かる人はすぐ分かる日産のZ34、フェアレディーZのマニュアル車ですね。
側道から左折してすぐ左のガードレールにぶつかり、その後反対側の歩道と車道の間の柵を乗り越え、
大きくジャンプし、小学生の列に突っ込み、道路脇の民家で止まったというもの。

事故車両を見ると、左のリアのフェンダー部分に白いガードレールの傷痕があることから、左折後アクセルを踏み過ぎて、故意かミスかでドリフト状態になり、リアが流れたのでカウンターを当てて、左リアがガードレールに接触、その後アクセルを踏み続けたため、反対車線に急加速して飛び出したものと推測される。

免許取りたての18歳の少年ということ、スポーツタイプ(?)の車ということ、マニュアル車ということ
などから、これらの事実を原因の一端として「いかがなものか」と批判していた訳知り顔のコメンテーターがいたが、今回の事故を起こしたバカは知らないけど、若くても一生懸命貯めた金で、自分の好きな車を買って何が悪い。これが80過ぎの爺さんがオートマのクラウンで同じような事故を起こしたら、また同様に批判するんだろ?オートマだからアクセルとブレーキ踏み間違ったんだろって。原因は、メカニカルトラブルや欠陥車ではない限り車にはない。100%運転手に帰せられるべきだ。いや仮になんらかのトラブルでアクセルが戻らなくなったとしても、免許を持ってるなら、ギアをニュートラルに入れる、フットブレーキを踏む、サイドブレーキをかける、最終的にはハンドルでコントロールしてできるだけ安全に車を停止させることをするべきだ。これができないなら運転するべきではない。

ただこの種の小学生の列に突っ込むという事故は、運転手の技能やモラルに頼っていたのでは、絶対になくならない。なくす方法は唯一、物理的に突っ込めなくすることしかない。突っ込むことが可能だから、事故が起きる。突っ込めなくすれば事故は起きない。簡単な論理だ。自宅から集合場所までは経路が、天文学的に存在するので現実的ではないが、集合場所から学校までならある程度ルートが絞れるので"本気になれば"対策は可能だろう。

現状なぜ突っ込むことができるのかと言えば車と小学生の列が物理的に接触できる状況にある為だ。端的に言えば、車道と歩道がほぼ同一平面上にあることと比較的近い距離で存在することが原因だ。ガードレールや歩道の縁石一定の効果はあるだろうが十分ではない。

まず、同一平面上いう点では、車は2次元平面上を移動する乗り物なので、歩道をこの平面からズラすことで車の進入を物理的に100%防ぐことができる。ただし重力の関係上、歩道を上方向にズラすことが必須だ。下にズラしたのでは、自然落下により接触する可能性がある。ズラす距離としては今回のように多少ジャンプする可能性も考慮して約1メートルは必要だろう。バスやトラックなど大型車の被害を完全に避ける為には、可能なら2メートル以上が望ましいが費用と利便性から、最低1メートルとしても良いだろう。

行政や地域、学校が"本気で"取り組めば不可能ではない。道路の拡張のための立ち退き、歩道の整備を行う必要がある。都市部ではこの方法で解決できる。

また田舎では、歩道と車道を完全に分離することが有効だ。時間を区切るなどして、登下校の際には、完全に歩行者のみが通行可能な道を実現すること。これで物理的接触はできなくなり、完全に事故はゼロになる。根本的に事故を起こせなくすること以外、完全に事故をなくすことはできない。モラルや運転技量、車の技術向上では不可能だということを知るべきだ。

冤罪という犯罪

先日、足利事件の冤罪被害者である菅家さんに栃木県県警の本部長が直接謝罪した。

これは画期的なことだが、事件(冤罪の)の全てはまだまだ終わってはいない。


この冤罪事件の原因は、大きく3つある。

1、警察の捜査・取調べ段階
2、検察の起訴段階
3、裁判の経過

まず1では、不完全なDNA鑑定の絶対視、取調べの際の刑事による暴行、自白調書の任意性(偽造)など。

2では、不十分な証拠による起訴、目撃者の証言の変更(証拠の捏造)など。

3では、DNA鑑定の再鑑定請求の無視、控訴・上告の不当棄却など。

もちろん、これらは分かってるだけで、この他にも様々要素があると思われる。

求められるのは、どのようにして冤罪が生まれたのかを、

具体的に事件に関わった刑事、検察官、裁判官を実名で公表し、

精査すべきであろう。


そして前述の問題点はどれをとっても、"犯罪"と呼ぶべきものであり、

取調べをした刑事、担当の検察官や裁判官は、職務怠慢どころか、

不十分な証拠に基づき不当に逮捕された被害者を暴力で脅し、

証拠を捏造し、自らの過ちを明らかにするであろう証拠を無視隠蔽し、

一般市民を不当に長期にわたって犯罪者として、

その自由を奪い拘束した罪により、

裁判により裁かれ、相応の刑に服すべきだ。

そうまでしないと冤罪は決してなくならない。

妄想のつづき

この前書いた、三浦氏他殺説の妄想のつづきです。

今度は無罪だったバージョン。

あっ、この無罪は「共謀罪」での話ね。

日本で裁かれた「殺人罪」と「暴行罪」ではなくて。


ロス市警は、三浦氏の共謀罪での立件のなんらかの証拠を握ったと思った。

(証人か共謀犯か物証かはわからないけど…)

それで逮捕に踏み切った。

が、サイパンでのイザコザの間に、実はその証拠が使い物にならなくなった。

そうこうしている内にロスへの移送が決まってしまった。

裁判になってしまうと、証拠が無いのがバレてしまう。

そうなると鳴り物入りで逮捕に踏み切った手前、ロス市警は大恥をかくことになる。

大恥どころか責任問題、

いや日本で無罪が確定した市民を、不当に逮捕したことで国際問題にもなりかねない。

どうにかして裁判をしないですむようにしたい。

というわけで、三浦氏には死んでもらうことにした。

もちろん、自殺というかたちがベスト。

これでロス市警の面子が保たれた。


ってな感じ。

以上、妄想終わり。

三浦氏自殺

いや、ほんと残念です。

というか衝撃を受けました。

ボクの勝手なイメージでは、自殺なんてするひとじゃないって思ってたから。

ロスへの移送で相当まいってたのかな?

ボクは、事件の詳細を後の資料などでしか知らないが、

あの騒動自体はテレビで頻繁に目にしていたので、

彼の印象や当時のマスコミの過熱ぶりは記憶に残っている。

マスコミを一人で相手にし、強靭な精神力で永い裁判を戦いぬき、

弁舌の巧みさと商才を持ち、強大な敵を前にしても動じない胆力を有する人として、

若いころの三浦氏は憎らしいほどに強く見えた。

自殺した時点で61歳ということだが、

年齢的なものが彼のような人間でも弱気にしたのだろうか?

それとも、勝算がなくなったと判断したのだろうか?

はたまた、ほんとに自殺なのだろうか?

などといろいろ邪推してしまう。

とにかく、80年代以降を代表する疑惑/事件がひとつ終わったという感じです。

ほんとに、残念です。
今日、本屋をぶらぶらしてたら新刊のコーナーだったかに、

『親の品格』という新書が置いてあった。

いや〜、最初は『国家の品格』にはじまり、

一時期『女性の品格』が話題になり、こんどは親かい!

もういいよって感じ。

つうか、こんなパクリのタイトル使ってる時点で品格が疑われるんだけど…。


最近、親族間の殺人がマスコミでよく報道されてる。

親が子どもをとか、その逆とか、孫が祖父を、兄が妹をなんてのも。

理由は様々で、介護に疲れてとか、無理心中とか、むかついたとか。

酒鬼薔薇事件からだろうか、

少年の猟奇的、凶悪犯罪が取りだたされて少年法改正論が巻き起こった。

テレビなどで、少年による凶悪犯罪が増えてきたとか、

子どもがおかしくなってきているとかまことしやかに語られた。

でも近年、少年の犯罪は減って来ている。

警視庁の統計によると、

少年による犯罪の検挙数は平成9年以降ほぼ右肩下がりで減ってきている。

凶悪犯罪(殺人、強盗、放火、強姦)に至ってはその傾向は顕著で、

平成9年と比較し、平成18年ではほぼ半数にまで現象している。

これは子どもの数自体が減少してきているので、

犯罪の数自体減るのは当然なのだが、

少年の人口比でみても、1000人あたりの刑法犯少年の数は緩やかな減少傾向にあると言える。


では、凶悪犯罪に占める未成年の割合はというと、

強姦事件では、全体に占める未成年の割合はほぼ1割程度。

殺人では全体数に占める未成年の割合はここ10年間ほぼ5%程度で変化はない。

つまり95%は大人がやっている。

逆に、65歳以上による殺人事件がここ10年で1.6倍と著しく増加している。

これももちろん高齢者の数が増えてきているので増えるのは当然だが、

10年で1.6倍は人口増加率に比べても少し多い。


『戦前の少年犯罪』って本を見ると昔の少年犯罪が如何にとんでもないかがわかる。

これらのことを鑑みての印象は、

はっきり言ってそんなに悪くなってはいないんじゃないの、って感じかな。

親のしつけが悪くなったとか学校が悪いとか、ちょっと的外れじゃない?

いつの時代もバカな親はいるし、学校に過度の期待をするのも違うんじゃないかって。

学校ってのはそもそも徴兵制があった時代に、効率よく兵隊を育てるためのものでしょ。

国への忠誠心を植えつけて、国のために人を殺し、立派に死んでくるって。

まあ現在ではそんなことは間違ってもないだろうけど。

基本的に学校が子どもをすばらしい人間にしてくれるなんて期待しちゃいけない。

もちろん、中には友達や先生との交流の中ですばらしい人間に成長する者もいるだろうが。


さて、教師の質の問題もずいぶん昔からある問題だ。

70年代にもマスコミなんかが大きく取り上げて社会問題化してた。

だけど、そもそも大学出たての二十歳そこそこの人間がそんなに立派なわけないじゃん。

ついさっきまで学生でバカやってて、いきなり聖職者にはなれないって。

自分の子どもの頃を思い出してみても、色んな先生がいた。

人気のある先生もいたし、

人格面・技術面ともにダメな先生もいたし、

生徒になめられてた先生もいたし、

ヤ○ザみたいに恐れられてた先生もいた。

今では暴力的として問題となるようなこともいっぱいあった。

でも、それはそれでいいと思う。

ダメな先生も、学校や地域、生徒がひっくるめて許容していたような気がする。

「ああ、この先生はちょっと指導力ないな」とか、

生徒も分かってて、でもまあしょうがねぇかって。

学校側としても、教頭や他の指導力のある先生がフォローしてたり。

親も見て見ぬふりしたり。

すべての先生がどこかの進学塾みたいにテンション高かったら、

生徒としても微妙じゃないだろうか?

変な先生がいたり、楽な先生がいたり、すぐ怒る先生がいたり。

授業そっちのけで色んな話をしてくれる先生がいたりしたほうが楽しいと思う。

均一な授業が望みなら、予備校みたいに衛星使ったりネット使ったりして、

全国同じ授業流せばいいだけのことだろうけど、

そうなると教師なんて今の1万分の1の数で足りる。

となると学校という制度自体疑問になってくるが。


教員免許を更新制にするとかしないとか。

これあんま意味ないと思うけどなあ。

簡単に免許取り上げることはできないだろうし、

とんでもない問題を起こした教師はどうせ辞めざるをえないだろうし。

あんまり、教師にも学校にも負担かけるのはやめたほうがいい。

基本的にいつの時代も、

若者が悪い、教育がなってないって言うのが大人の責任逃れのパターンなんだよね。

今の親は品がないとか、今の女性は品がないとか、

そのうち「子どもの品格」って言われるかな?

…ないだろうけど。

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