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戦後に作られ、大ヒットしたアメリカのミュージカル「南太平洋」。。。

覚えていますか?

「バリハーイ」とミステリアスに歌うブラディー・メリー、フランス人のプランテーションのオーナーとアメリカ女性の熱い恋、そして若いアメリカ人オフィサーとブラディーマリーの娘の悲しい恋物語。。。

私が大好きな心に残る映画の一つです。

実はその映画はここエスピリット・サント島が舞台だったのです。。。

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第2次世界大戦中、ソロモン諸島に一番近く、バヌアツで一番大きな島、エスピリット・サント島がアメリカ軍の南太平洋最前基地に選ばれ、ルーガンビルの町が作られ、5つの飛行場、病院、倉庫とあっという間に基地が作られ、当時10万人の兵士がこの小さな島に滞在した。

あまりにもたくさんの若いアメリカ軍の兵士がこの島に滞在するというので、当時フランスとイギリスの共同領地であったニュー・ヘブリデスの政府はバヌアツ人、白人、アジア系すべての女性を近くの一つの島に安全に隔離することにした。。。。。

アンバイ(AMBAE)島である。

軍の高官しか訪れることの許されない島。

若い兵士にとって、その島は美しい若い女性がたくさん住む憧れの島、夢の島「バリハイ」と呼ばれ焦がれていた。。。

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実話である。フランス人プランテーションオーナーが住んでいた6角形の家(今はぼろぼろだが。。)もブラディーメリーが経営していた売春宿もまだ私用地内に残っている(見ることはできないが)。

病院跡にはそのコンクリートのベースが残り、プランテーションの中あちらこちらにかまぼこ型の倉庫が残っている。

残念ながら映画が撮影されたのは、タヒチのあたりらしい。


<写真について>
1.当時のルーガンビルの町
2.病院跡からアンバイ島を眺める。。。ほとんど雲がかかって見えないが、雲ひとつ無い澄んでいる日にはバリハイが見える。
3−5.違う病院跡に作られたカルチャーパーク内に残るアメリカ軍の名残り。。。。

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ジミー・スティーブンス(本名:Moli Jimmy Tupou Putuntun Moses Stevens)は1910年代か1920代に生まれたとされる。

トンガ人とスコットランド人の血を引く父とバヌアツ人(アンバイ島)の母を持ち、若い頃はブルド−ザーのドライバーをしていた。

1963年、ヨーロッパ人の移住によって薄れてきた慣習守ることとプランテーション・オーナーが使っていない未開の土地を取り戻そう、とブルク酋長とジミー・スティーブンスが「ナグリアメル運動」を引き起こした。

ナグリアメルとは古代から今まで続くサント島奥地の女性が腰に前後つけて局部を隠すのに使う「ナンガリア」の葉と、バヌアツ人がカスタムリーフと呼び慣習儀式のみに使うナメレの葉を合わせた名である。

1965年、酋長とスティーブンス等はファナフォにベースを置き、2年後に近くのヨーロッパ人の土地を勝手に占めて拘置された。

しかし、その事件がきっかけで彼等はバヌアツ北部に住むカスタムを守るマンブッシュ達にとってヒーローとなった。

1968年、アメリカのフォエニックス・ファンデーションが彼等とサント島の土地に目を付け、当時フランスとイギリスの共同領地であったニュー・ヘブリデス諸島に大金持ちのアメリカ人が無税で引退暮らしができるタックス・ヘブンをつくろうと近づき、US250,000ドルを彼等に渡し、土地を買い、分譲してアメリカ人に売り始めた。

当時の共同政府はこれを受けて海外からの土地売買は政府の許可無しではできないようにストップをかけたが反対にフォエニックスとナグリアメルの関係はますます強くなり、UNに国の独立を請願した。

その時スティーブンスは20,000のサポーターがいると声明した。

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当時23人もの妻を持っていたジミー・スティーブンスとフォエニックスとフランス系のサポートを持つナグリアメルに反感を持つイギリス・プロテスタント系のバヌアツ人も多かった。

バヌアツ北部で成功していたフランス人のプランテーションオーナーがイギリス系のサポートによる国の独立を避ける為、ナグリアメルに多くの寄付をし、アンチ・イギリスをほのめかしていた。

1975年、選挙に予想外に負けたナグリアメルは、ニュー・ヘブリデス北部を別の国に独立させようという運動を始めた。

1976年の4月1日に分離独立を決定したが、8月10日に変更、当日宣言したものの、ほとんどの国民に相手にされず、無視された。

それに対抗してイギリス系のバヌアーク党が政治に力を出してきた。
国の独立が8週間に迫っていた1980年5月27日、ジミー・スティーブンスとそのマンブッシュのサポーターは弓と矢だけでクーデターを起こし、ルーガンビルの町を占拠し、サント島の独立を図った。
その新しい国名を「ベマラナ(Vemarana)」と呼んだ。

イギリスとフランスの軍が独立6日前にルーガンビルに送られたが何もせず、彼等と入れ替わったパピュア・ニューギニアのクムル軍にファナフォの壁を崩され、9月1日にスティーブンスの次男が撃たれて死亡。。。。。。スティーブンスはここでついに降参し、紛争は終わりを告げ、彼はそれから14年半の間拘置される。。。。

1991年、彼は病気の為に拘置所から出ることを許された。。。。。。。

(以上は旅の本「ロンリー・プラネット、バヌアツ編」の訳である)

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私が彼に出会ったのは、まさにその後であった。。。。。

私がバヌアツに移り住んだのが1988年であったから、その数年後である。

当時ドリフト・ツアーを開催していたオーストラリア人についてファナフォ村のジミー・スティーブンスの村を訪ねた事がある。

村に着くとマルマルを着たバヌアツ人が竹でできたブッシュナイフでハイビスカスの壁のてっぺんを刈っていた。。。

そして村の中に招待されると、カスタム衣装のマルマルの装いをした村人が歌を歌って出迎えてくれたのだ。。。。。。

年老いた白髪のジミー・スティーブンスが少し話しをしてくれたのを覚えているが、何を話したかは残念ながら覚えていない。。。

その数年後の1994年2月28日に亡くなった。。。。。

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それで、何故、私が彼の話をし始めたかというと、、、、、、

後で知ったのだが、私が尋ねた南サント山奥のマラカイの村、、、、、そしてタンメ村は当時のスティーブンスのサポーターであった、とマラカイから帰ってきた後でわかったのである。。。。。。

というのは、2005年に初めてマラカイに着いた時、彼等はウェルカムソングを村人全員で歌ってくれた。。。。。それを聞いた私は、こんな山奥の村でなんで歌など歌うのだろうと不思議に思っていたのだ。。。だが、その時には気がつかず、、、、、家に帰ってきて友人にそのビデオを見せた時に、その歌がナグリアメルの歌であると言われて気が付いたのであった。。。。。

たしかに初めてファナフォにあるジミー・スティーブンスの村を訪ねた時に村人が歌を歌ってくれたのが、マラカイの歌と同じだったと気づいたのだ。。。。。

一番最初に私のマラカイ村へ行く旅のコーディネートをしてくれたグレン・ラッセルがそんな話をしていたが、その時は意味がわからなかったし、多分まともに聞いていなかった。

マラカイ村の私達が泊まらせてもらったゲストハウスには、当時使われていたという木でできたナグリアメルの帽子がおいてあり、その周辺の村の女性の顔や腕にはその刺青が彫ってあった。。。

2回目の旅に行ったタンメの村には大きなコンクリートでできた星があり、たしかその上には旗がたっていた。。。。。

マラカイ村の人々は、ジミー・スティーブンスが亡くなった後、独立後に現れたファナフォの土地の地主に追い出されて元に来た地域に戻ったそうだ。。。。。

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彼等は本当に大自然の中での生活の知恵を持ち、そして純粋な人々である。。。。。。

しかし、彼等の心の奥に潜む熱さはその歴史に現れている。。。

今もそのファナフォに残るカスタム村がある。。。マラカイ村と親戚でもある彼等は以前としてファナフォに住み、慣習を守って暮らしている。。。



<写真について>
1.ナグリアメルに参加した刺青を持つ、チャラカツイ村の酋長の妻
2.ナグリアメルの紛争に使われた木の帽子
3.誇り高く帽子を被ってみせる副酋長のレディアン
4.マラカイの村人
5.タンメ村にあるナグリアメルの象徴の星
6.今もなお、ファナフォ村で昔からの生活を続ける村人。。。

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