仲津山浄土院西念寺は香川県まんのう町にあります。宗派は浄土宗鎮西派 西念寺は法然上人の御遺蹟に建立された名刹である。寺伝によると建永二年(1207)の法難によって讃岐国小松荘生福寺に遷された法然上人は土器川の東にあるこの丘陵地の風光が京都の東山に似ているのをめでられて、この地に草庵を営み念仏の教を説いて老若男女を教化されたという。 寛文八年(1668)高松藩主松平頼重公は、この古寺を仏生山に移して「法然寺」と称し、その跡地に四条の「真福寺」を移し、その後丸亀の中津から「西念寺」を移し寺の維持のために寺田三反余を寄進された。 新黒谷と呼ばれた「西念寺」の寺地には法然廟があり寺の境内には立華(リツクワ)の名松が聳えている『ここは羽間(はざま)の新黒谷か、仏とられてねれ仏』の俗謡も伝えられている。 寺の東の山腹にある墓地には高松藩の儒者として有名な「小国牛山」「三野元密」両先生のお墓がある。 昭和五十四年三月 まんのう町教育委員会、まんのう町文化財保護審議会 文は現地説明案内板より転載しました。 写真は2011年2月16日・2011年5月7日撮影 場所はワイワイマップにスポット投稿します。 お寺への入口 山門 本堂 鐘楼 境内 ミニ西国壱番石像 <><>西念寺道票と地蔵堂 法然上人所縁の西念寺への道標には、圓光大師御遺跡・巡拝大坂講・左西念寺の銘をもった石柱が立っています。その脇には、香川郡山崎村(現高松市西山崎町)の「久利明四郎」が、街道沿いに建立した七基の地蔵のうちの一基が祀られている。「享保十七年(1733)」の銘などをもっています。 文は讃岐の街道・金毘羅街道より転用しました。 ワイワイマップの見方
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新黒谷は流された地だったのですね。
京都の黒谷に訪れたことがあります。
新黒谷にも訪れたいものですね。
いつになるか分かりませんが、勤行1万日が終わったら…
あと4年と数カ月です。
案内をお願いしようかな。
2011/5/11(水) 午前 7:56 [ pok**hino*324 ] 返信する
京都の黒谷は知らないのですが、南には金毘羅さんの象頭山が見えます。
西念寺も今年は特別な年で行事が終わっても参拝者が多くいます。
金毘羅参詣道も此処まで来ると象頭山の中腹にある松尾寺金毘羅大権現が見えて来たのでしょうね。
旧金毘羅街道を巡っていますと恥ずかしい事ですが知らない事がイッパイありました。
私が元気でしたら御案内させて戴きます。
2011/5/11(水) 午前 8:48 [ ビュート ] 返信する