岡山後楽園は、岡山藩主池田綱政公が家臣津田永忠に命じて、貞享四年(1687)に着工、元禄十三年(1700)には一応の完成をみました。その後も、藩主の好みで手が加えられましたが、江戸時代の姿を大きく変えることなく現在にて伝えられて来ました。 また、江戸時代の絵図や池田家の記録、文物が数多く残され、歴史的な変遷を知ることのできる。地方では稀な大名庭園となっています。 後楽園は、かって藩主の静養の場、賓客接待の場として使われましたが、日を定めて藩内の人々にも観覧が許されていました。 藩主はお城から舟に乗って延養亭に入りました。 明治十七年(1884)に岡山県に譲渡され、一般公開されました。 昭和九年の水害、昭和二十年の戦災では大きな被害を被りましたが、江戸時代の絵図に基づいて復旧を行いました。 芝を大量に使った庭園 日本に広く自生している野芝を使った、広々とした庭園です。建築当時は、芝は「沢の池」のにしがわの「延養亭」から見える範囲だけでした。園内の大半は田畑でした。園全体に使われたのは明治以降の事です。 名称は、岡山城の後に作られた園という意味で後園と呼ばれていましたが「先憂後楽」の精神に基づいて作られている事から、明治四年(1871)後楽園と改められました。 昭和二十七年には文化財保護法による「特別名勝」に指定されました。ミシュランガイド☆☆☆です。 文は後楽園パンフレットより転載しました。 写真は2012年5月22日撮影 場所はワイワイマップ『公園・景勝地のmap』にスポット投稿します。 |
岡山県
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製紙関連の仕事で、愛媛、徳島への帰りに後楽園に寄った思い出があります。
30年も前の思い出ですね。
2012/7/13(金) 午前 8:08 [ pok**hino*324 ]
pokoさん、今も変わらず美しい芝生が見れます。
岡山城も美しく見えるように剪定をこまめにしているようです。
2012/7/15(日) 午前 9:42 [ ビュート ]