源平屋島合戦のとき、敗者がこの神村(こうのむね)へも落ちてきた。源氏の兵に追われた平家の武士が炭焼窯に身をひそめて追手の足音が通り過ぎるのを祈った。しかし、源氏の兵は落人の隠れた炭焼窯へ、どんどん土を盛り、蓋をしてしまった。それから、様々な不思議なことが起こった。 源氏でもない、平氏でもない地元の人達が申し合わせて、お地蔵さんを祀ることにした。炭焼窯のある床にお祀りしたお地蔵さんなので、いつしか「かまとこ地蔵」と呼ばれるようになった。小さな地蔵堂の横に大きな桜の木があった。この木のあるあたりで幾人かの落人が息絶えたという。 地蔵堂の傍らに石碑が建っている。「南無阿弥陀仏」と刻まれた墓石である。触ってはいけないとされ、貧乏神だという人もある。高松市教育委員会説明板より転載しました。 写真は2012年7月6日撮影 場所はワイワイマップ『源平ゆかりの地・伝説の地map』にスポット投稿します。 アクセス:東植田町葛谷バス停より川沿いに登って行きます。川が道の右側から左に変わる小さな橋の所にあります。尚、道は災害復旧工事をしています。時間待ちがあります。塩江方面からは災害復旧工事で通行できないです。(西植田展望台東屋より少し北側付近)2012年7月6日現在 墓石 讃岐の伝説・民話(かまとこ地蔵) 北条令子氏著作
屋島の津から春日川沿いに,一陣の砂けむりがあがった。阿讃の山脈に向かって駆けてゆくのは,屋島の合戦で敗れた平家の軍。それもかなりの数である。源氏の兵が見逃すわけがない。先廻りして待ち伏せていたのが,稗田の植田若狭守の家来たち。激しい争いとなった。 平家の武将の乗っていた,馬の首を斬り落した。乗っていた高畑某は落馬,追われて斬られた。馬も首のないまま,主の後を追ったが息絶えてしまう。西植田町本村,馬切り藪には馬の首を埋めた塚があり,切り谷と屋号のように呼ばれる家では,高畑某の墓を祀ってある。 この一軍は,本村のあたりで全滅したのではない。源氏の兵,それも源氏に味方する地元の兵たちに追われながら平家の落人たちは,神村(こうのむね)まで逃げてきた。 神村は山ぶかいところ,安心はできないが山一つ越えれば或いは逃げきることができるのではないかと 思ったとき隙が生まれた。馬の足音がする,追手が来たのだ。平家の兵は,まだ火を入れていない炭焼窯にかくれた。身を折るようにかがめて,敵が通り過ぎるのを待った。しかし,戦いは無惨だ。源氏の兵は平家の落人が息をころして隠れている炭焼窯を土で蓋してしまった。一瞬のことである。 その後,さまざまの怪異が起きた。源氏でもない平家でもない地元の人たちが,そこへ地蔵を祀った。西植田神村のかまとこ地蔵がこれである。 |
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いろんなことがあっての今なんですね
平和でよかった
2012/7/12(木) 午後 6:54
サンチョさん、勝ち馬に乗る輩が多かったようです。
2012/7/12(木) 午後 10:27 [ ビュート ]
平家の落人は、奄美にまで渡っていました。
戦というものは、そういうことかもしれませんが、各地に哀しい話が残っています。
2012/7/13(金) 午前 7:55 [ pok**hino*324 ]
こんばんは
平家の落人伝説、本当に悲しいですね
地元の人達がお地蔵さんを祀って下さったのが救いです
いつの時代も”戦い”や”争い”が形を変えて続くのは、なぜでしょう。
2012/7/13(金) 午後 8:36 [ NORI ]
pokoさん、九州奄美まで落ちのびたのですか。小さな船で大変だったでしょうね。
四国は平家の悲話が多く残っています。高知の平家の滝では滝壺に身を投げた話も残っています。
2012/7/15(日) 午前 9:30 [ ビュート ]
NORIさん、平家伝説は悲しい話が殆どで山奥でひっそり暮らしたようです。
義経達は平家の追討だけだと思っていたのでしょうか。平家の戦死者は土地の百姓たちが哀れに思って懇ろに葬ったようですよ。後の頼朝の義経追放の原因はここらあたりに有るのかもしれませんね。
戦争は勝つだけでは駄目なんですよね。後の政治がもっと大事なようです。
2012/7/15(日) 午前 10:41 [ ビュート ]