正式名称は「金陵山(きんりょうざん)西大寺」といい、高野山真言宗別格本山で、本尊は千手観音が安置されています。 寺伝によれば宝亀八年(777)、安隆上人(あんりゅうしょうにん)が寺を建てようと瀬戸内海を進んだとき、海中から竜神が現れ、上人に犀のの角を授けた。上人はそれを埋め、その上に寺を建て「犀戴寺(さいだいじ)と名を付けた」とあり、これが西大寺の名の由来といわれています。 毎年二月の第三土曜日の夜に行われる絵陽(裸まつり)は、日本三大奇祭と有名となっています。 岡山市設置説明板より抜粋しました。 現存する本堂は文久三年(1863)に建て替えられ県下最大級の総欅造りの建築物です。 堂内で特異なは宝木(しんぎ)を投下する御福窓(ごふくまど)が設けられ、古来よりここに上がると五福(長寿・財運・無病・積徳・天命成就)の後利益を授かると言われて来ました。 また、縁起絵巻会陽の歴史の紹介や寺宝掛け軸を展示しており正月三が日には朝鮮鐘(重文)を撞ける事ができる。 拝観料大人500円 拝観時間 午前9時より午後4時まで 西大寺金毘羅大権現縁起 当処には、当山の鎮守牛玉所大権現と、もと讃岐の象頭山に安置されていた金毘羅様のご本体である不動明王と毘沙門天の二尊を合わせてお祀りしています。 日本古来の神と、中国から伝えられた仏とは元来同一のものだという説が起こり、鎌倉時代には神仏習合の思想が確立しました。 以来寺の境内に神社を建て、僧侶が神をも祀るようになり、この思想習慣は江戸時代まで続きます。 明治になると日本は神国であり、外国から渡来した宗教は廃した方が良い。仏教や寺院は破壊すべきであるという暴論により仏教は迫害されました。 讃岐の金毘羅さまは象頭山松尾寺金光院の鎮守としてお祀りされていましたが、時の住職はこのとき寺を神社に改め、僧侶をやめて神職として日本の海上安全の神である金毘羅様を祀る事となりました。 金毘羅さまのご本体は仏像であったため破壊されそうになりましたが、松尾寺の末寺萬福寺の住職宥明師はこれを憂い、明治七年自分の故郷である当所津田村の角南助五郎宅に深夜密かに持ち帰り、二階に安置しました。 もとの岡山藩主池田章政公は、廃藩置県によって東京に移り住んで居られましたが、この事を耳にされ、難を避けるため一旦自分の祈願寺に移されました。 明治十五年三月五日、当山の住職長田光阿上人は池田家に相談の後金毘羅さまのご本体である不動明王と毘沙門天を当処に勧請されました。 尊像の納められた厨子には池田章政公によって、『天下泰平・万民豊楽』の祈願文があざやかに記されています。金陵山西大寺 説明板より転載しました。 写真は2012年5月22日撮影 場所はワイワイマップ『寺院・お堂map』にスポット投稿します。 仁王門
本堂 三重塔 三十三観音尊像 手洗舎 境内の建造物 金毘羅大権現 |
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ビュートさん、おはようございます
暑くなりましたね
いろんな複雑な事情があっての現在なんですね。
でも、金毘羅様のご本体の仏像が、無事で良かったと思いました。
4枚目のお写真の後ろにあるのは、小さな観音様ですか? ☆
2012/7/19(木) 午前 10:49 [ NORI ]
NORIさん、4階なので玄関などを開け放つと風が通ると涼しいのですが、止まるとどうにもならないのでACにお願いしています。
本尊は正月だけの開帳で見せて戴く事が出来ませんでした。
小さいですけど33観音には、楊柳(ようりゅう)、円光(えんこう)、蓮臥(れんが)、魚籃(ぎょらん)、一葉(いちよう)、延命(えんめい)、能静(のうじょう)、葉衣(ようえ)、蛤蜊(こうり、はまぐり)、馬郎婦(めろうふ)、不二(ふに)、龍頭(りゅうず)、遊戯(ゆげ)、滝見(たきみ)、徳王(とくおう)、青頚(しょうけい)、衆宝(しゅうほう)、阿耨(あのく)、瑠璃(るり)、六時(ろくじ)、合掌(がっしょう)、持蓮(じれん)、持経(じきょう)、白衣(びゃくえ)、施薬(せやく)、水月(すいげつ)、威徳(いとく)、岩戸(いわと)、阿摩提(あまだい)、多羅尊(たらそん)、普悲(ふひ)、一如(いちにょ)、灑水(しゃすい)「Wikipediaより」があるそうです。(どれがどれやら!)
ポチありがとうございます。
2012/7/20(金) 午前 10:38 [ ビュート ]