==由来 田野々(たのの)地区は大野原町南西部(旧豊田郡五郷村)に位置し、周りを山に囲まれた細長い盆地である。山村だが農地は比較的広く、稲作が盛んであった。しかし、山が浅いので少しの日照りでも直ぐに旱魃に見舞われていた。 慶長の頃、薩摩法師が観音寺市豊浜町和田(旧和田村)に来て、近郷近在の農民が旱魃に苦しむのを見て、雨乞い歌を作り、踊を教え、農民の苦しみを救われた。これが和田雨乞い踊りである。田野々雨乞い踊りもこの時薩摩法師によって教えられた踊りと考えられる。それは和田雨乞い踊りの歌詞の中の四季、屋形、薩摩、目出度は、田野の々雨乞いの歌詞の中にもあり、そのうえ和田遺構墓地には、薩摩法師の墓と宝篋印塔があり、それに両浜、和田、田野々世話人と刻み込まれていることから推察される。 ==祈雨行事 踊りは、編笠のけいご(歌い手)を中心に、浴衣に白襷、手甲、脚絆姿に締太鼓をかけた太鼓打(10数名)が輪を作り、その外に浴衣姿に団扇の踊りの輪(20〜30名)、そしてその外に花笠を付けた子供たちの輪を作って雨乞い歌に合わせて踊っていた。 雨を祈る時には、まず前もって高尾山(496m)の竜王社へご立願に行く。当日は夜半に起きし、太鼓を合図にそれぞれのいでたちで鎌倉神社に集合(笠揃い)、準備を整え午前2時神社を出発して高尾山竜王社へ向かう。山上では法泉寺住職の祈雨の読踊、踊りを2庭踊って朝食をとり、また1庭踊って下山、途中新山の神、むねんどう、釈迦堂、地神さんで踊って昼食、そしてお旅所、学校、金光さんで1庭ずつ、法泉寺では2庭、最後に鎌倉神社で1庭踊って、踊り納めて、祈雨行事は終了する。 ==田野々雨乞い踊保存会 江戸時代の慶長の頃この地にやってきた薩摩法師が雨乞い踊を伝授して400年。昭和九年の旱魃の時、雨を祈って踊りを奉納したのを最後に日中事変から時局が緊迫すれにつき自然に中止されてしまった。昭和四十六年正月から昭和四十七年七月まで先人の残してくれた文化遺産が消滅してしまうと完全伝承復活が地区民全員で始まった。 2012年9月9日の秋の「田野々雨乞い踊」は田野々金刀比羅神社前広場で午後2時30分に始まった。 歌い手を中心に幟が3本太鼓打ちと踊り手が輪になって静かなテンポで踊り続けること約二十分。終わった時アンコールの声が掛かるが、再度踊る体力気力なく終了。 香川県指定無形民俗文化財(昭和五十三年十二月二十六日) 主催田野々雨乞い踊り保存会 文は田野々雨乞い踊 大野原町教育委員会(現観音寺市)発行パンフレットより転載&香川県HPなどから資料参照 写真は2012年9月9日撮影 場所はワイワイマップ『歴史的縁の地、文化財、資料館などのMAP』にスポット投稿します。 |
風物詩・祭り・伝説
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こんばんは
香川の歴史などで雨乞い踊りは知っていましたが、眼福です。
2012/9/10(月) 午後 9:05
テストパイロットさん、動きが遅い伝統踊りですが、動く写真を撮るのは難しいです。写真で様子を届けるには私の腕では難しいです。
退屈しなくて見る事が出来ました。(上手だと云う意味ではありません。素朴ですよ。)
違う所の雨乞い踊りが見たくなりました。
2012/9/10(月) 午後 11:59 [ ビュート ]