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久米 通賢(みちかた・つうけん)碑と墓 香川県東かがわ市引田町馬宿
安永9年(1780)讃岐国大内郡馬宿(現在の香川県東かがわ市)の農家に生まれる。〜天保12年5月7日は江戸時代の日本の発明家、暦学者、測量士、洋学者などである。 文政7年(1824)のころ、財政難に陥っていた高松藩の第9代藩主松平頼恕(よりひろ)は、通賢の多才な才能を見込んで財政再建策を頼った。通賢はこれに応えて阿野郡坂出の浜に新たな塩田を開発することを進言。 文政9年(1826)高松藩はこの案を採用し、通賢は普請奉行に任じられた。通賢は塩田開発の陣頭指揮を執るだけでなく、自ら率先して作業に参加したため工夫達の士気も上がり、工事ははかどった。ところが高松藩の財政難は深刻で、途中から塩田開発工事資金がとどこおるようにった。通賢は工事を完成させるため、私財を投入して工事を継続させた。この献身的な働きのおかげで文政12年(1829)に坂出の東大浜、西大浜に入り浜式塩田がついに完成した。藩主頼恕は大いに喜び、通賢の功績を称えるため、現在も残る「阪出墾田之碑」=(坂出市指定有形文化財)を建立した。この塩田完成で坂出の塩生産量は日本全体の約半分を占めるまでにいたり、高松藩の財政をうるおし、戦後に工業地域に転換されるまで塩業は讃岐国・香川県の代表的産業となった。 通賢の生家は四国村に現存 銃や発明品などの通賢の偉業は坂出市郷土資料館にて展示している。
坂出市郷土資料館と久米通賢 文はWEBより転載しました。 写真は、2012年1月31日撮影
場所はスポットノートに『石塔・石碑などのmap』に投稿します。
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