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新川庵経幢

 新川庵経幢 香川県さぬき市寒川町 さぬき市指定有形文化財(建造物)
 北側の石幢の高さ2,3m、南側の石幢の高さ1,76mで、もと笠塔婆であったと思われるが、願掛けのために建てられた供養塔と言われている。
 この石幢は二基とも、鎌倉時代に建てられたといわれています。元は男山神社境内にありましたが、藩政時代末期に新川神社境内に移転、のち明治のはじめに、この地に再移転されました。
 この石幢は経幢とも言われ、幢身西面に「永仁三年閏二月 願主左近将監無主守俊敬白」と刻まれています。
永仁三年は、西暦1295年にあたり閏年で鎌倉時代末期に当ります。左近将監というのは左近衛府の第三等官の役人です。無主とは主人なしで、家来ではないことを意味しますが、文字が不鮮明で「兵主」とも読めないこともありません。「兵主」はわが国の氏姓の一つであり、「指揮官」という意味もあります。
 いずれにしても、元寇の戦いに出陣したこの地の兵士の霊を弔うために建てたものといわれています。以上の文はさぬき市教育委員会・さぬき市文化財保護協会の現地説明板より転載しました。
 
 石造建築物の一つである「石幢」は、中国では唐代に既に建てられていたらしいが、わが国では鎌倉末期のものが最古で、室町時代のものが多いという。
 新川庵にある二つの石幢は風化が激しく刻字の判読は難しく、「閏2月」と「12月」「再2月」、「右近」と「左近」、「無主」と「兵主」などの異論はあるが、北側の石幢の裏側には、「永仁3年(1395)乙未閏2月(再2月)5日(12月5日)願主左(右)近将監無(兵)主守俊敬白」という刻字がある。
 二つの石幢ともに大きいので、古さと大きさで希少価値は高い筈であるが、この二つの石幢は、もと神前八幡宮にあったものが弁天社(現在の新川神社)へ、そして現在地新川庵へと移されたとされており 、その移転の過程で、残念なことに、石幢を構成している部品の石が別個のものの取り合わせになってしまっているという。 以上の文はさぬき市文化財保護協会HPより転載しました。
 写真は2013年5月19日撮影
 場所はスポットノート『石塔・石碑などのmap』に投稿します。
 
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