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名 称:鮎屋(あいや)の滝
住 所:兵庫県洲本市鮎屋(あいや)334-2 場 所:鮎屋ダム下公園 マピオンマップ↓↓↓↓ https://www.mapion.co.jp/m2/34.30201905959568,134.84354136497288,19 河 川:洲本川水系鮎屋川支流 山 名: 標 高: 落 差:14.5m 見どころ:撮影当日は理由は不明ですが階段途中から通行止めになっています。尚、滝つぼは見えます。 あわじ花へんろ第61番札所=桜・紅葉
文化財: 資料等:たびかんWEBなど、 駐車場:鮎屋ダム下公園利用:無料 撮影日:2018年10月16日 周辺施設:覚住寺、万福寺、淡路ファームパークイングランドの丘、 霊験の場として崇められている、淡路島随一の滝です。周囲は激しい水音に包まれ、滝に降り注ぐ木漏れ日も神聖な気配を漂わせています。滝の足元に祀られるお不動様(八大竜王)には、その昔お不動様の前で酒宴に興じた武士と従者が大地震と暴風雨に襲われたという民話が伝わっています。
大泉寺奥の院 不動堂 本 尊:大日本聖不動明王
脇 仏:こんがら童子・さいたか童子 新 築:平成22年完成 大黒尊天堂 |
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高松市立玉藻公園【2018菊花展】
史跡公園 枯山水の庭園(内苑御庭) 住 所:香川県高松市玉藻町2番1号 マピオンマップ↓↓↓↓ https://www.mapion.co.jp/m2/34.35120016878464,134.05016271394123,19 入園料:200円 開園時間:略日の出〜日没まで 休 日:12月29日〜12月31日 電 話:087-851-1521 運営会社:香川県造園事業協同組合 開 園:昭和30年(1955)5月5日=一般公開 文化財等:園内=史跡 建造物=殆どが重要文化財 内苑御庭=国指定名勝 平成25年10月17日 H P:http://www.takamatsujyo.com/ 駐車場:東門駐車場=無料(57台) 撮影日:2018年10月19日 菊花展は西門に入って直ぐ。入場料必要。見ごろは、まだ先のようです。
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【正月や 橙投げる 屋敷町】
作 者:正岡 子規 〔慶応三年(1867)〜明治三十五年(1902)〕 建 立: 背 景: 解説等:明治二十九年作 碑場所:松山道伊予灘サービスエリア下り線 住 所:愛媛県伊予市宮下 マピオンマップ↓↓↓↓ https://www.mapion.co.jp/m2/33.77208870230876,132.75686321794743,19 資 料:
撮影日:2018年9月17 |
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沖新田干拓三百年記念碑(六番川の大樋)
住所:岡山県岡山市東区升田 マピオンマップ↓↓↓↓ https://www.mapion.co.jp/m2/34.61839580624723,134.00187490505286,19 由緒等
沖新田干拓 元禄五年(1692)一月、岡山藩主池田綱政の命を受け津田永忠により着手した沖新田大干拓事業はわずか二年間で築堤・潮止・疎水を完成し、約二千ヘクタールの大干拓地が造成された。 昭和二十一年(1946)十二月二十一日突如として襲った南海地震は、沖新田に大被害をもたらし、平均約五十センチメートルの地盤沈下を生じた。これにより水田は、湛水の被害や塩害に悩まされ、農作物の被害は年々大きく成った。 昭和三十一年(1956)十月、上南土地改良区を設け、大局的な上南干拓工事に着手し、四年の歳月をかけて完成した。 上南地区 干拓面積 三百二十八・四ヘクタール 事業費 三十億一千万円 この工事の完成によって、風物詩としての「堀田」はなくなった。が整然とした美田に生まれかわり、約百ヘクタールの増反となり、農民の悲願が達成された。 ここに、明治四十年(1907)に改修された六番川の「大樋」を復元し、干拓記念碑とした。 資料等:現地設置説明版 撮影日:2015年10月8日 近隣施設:岡山城、後楽園、石灯明台(九蟠港燈籠)、 |
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寺 名:恵日山・高顕寺
(旧八塔寺宝寿院明王院) 本 尊:不動明王 開 基:伝)弓削道鏡法印 創 建:伝)神亀5年(728)
宗 派:高野山真言宗 札 所: 住 所:岡山県備前市吉永町加賀美1221 マピオンマップ↓↓↓↓ https://www.mapion.co.jp/m2/34.91856215442407,134.25364045420068,19 電 話:
由 緒: 聖武天皇の御代に僧道鏡の開基と伝えられる古刹で、住時は山岳仏教の中心地として名を成した土地である。盛時には八院六四僧坊や十三重塔など仏塔が建てられたとされる聖地であった。ところが永正14年(1517)、浦上村宗の兵火にかかり堂塔伽藍はほどんど焼失し、さらに天正19年(1591)には寺領が召し上げられるなど、寺は荒廃することになった。寛文3年(1663)池田綱政が、本堂・三重塔・鐘樓・山王社・本社拝殿等がととのえられた。 解 説 寛政年間にまたも灰土に化したが、幸いにも本尊の十一面観世音菩薩の霊像は在し続けられた。 文化13年(1816)国司の提唱により、当山中興の祖、妙道上人により再創され、天保3年(1832)、真言宗と天台宗は別山精舎を経営するに至り、定朝作十一面観世音菩薩の霊像を祀る 天台宗「照鏡山八塔寺」と、定朝作の不動明王の霊像を祀る 真言宗「恵日山高顕寺」とに改号し、現在に至る 中世には、多くの出家修行者が集り西の高野山と称された。十三重塔、三重の塔、8院、64僧房計72の院坊があったという。 (明王院・宝寿院・三宝院・弘法院・常照院・寂院・徳院・善院)(浄徳房・法潤房・賢房・大善房・万代房・妙賢房・了得房・東南房など)。 八塔寺の僧侶が作る薬草は有名であった。 資 料:下記HPなど 参考HP:https://ja.wikipedia.org/wiki/高顕寺 駐車場:無料 撮影日:2018年8月9日 近隣施設:八塔寺、八塔寺川ダム、 |



