北岸は天然の良港で、元禄時代(1690年代)、岡山池田藩によって西国大名の参勤交代などの風待ち港として筑港がなされ、在番所・御用家・加子番所などが置かれた。また、岡山藩が町人長屋を建て、移住者に無償提供したことから開拓が進められ、内海航路の要地として発展した。 写真は2011年2月21日撮影 場所はワイワイマップにスポット投稿します。 大井戸 昭和55年8月12日 備前市指定文化財指定(史跡) 直径2m、深さ6m 大多府島の歴史を語る物の一つがこの大井戸です。ここには六角井戸が二つ並んでおり、これが大多府島唯一の水源でした。 元禄11年(1698)大多府港の開港と同時に造られたと伝えられる。開港以来水道開設まで、最盛時島民は1000人と16ヘクタールの耕地をまもり伝えてきた歴史をもっている。 井戸は、当時の作事奉行「津田永忠」の元に近隣の名主を動員して構築された。 文は、港にある説明板などより抜粋しました。 アクセス:船から降りるとそのまま住宅方面へそのまま細い路地に入る入ると左側に見えてきます。 他に、二基の石灯籠が残っている。春日神社横の防波堤の付け根に残っている灯籠には、竿に春日神社・瑜伽大権現・金毘羅大権現・奉鐙と刻まれ、安政三丙辰年夏六月吉日、下の段に當所世話方「新五郎」「若連中」とあります。もう一基は旧防波堤の内側に残されています。竿に金毘羅大権現・瑜伽大権現・奉燈と刻まれています。両基とも宝珠が無い。勿論二基とも開発により移築されたものと推測されます。 石積み防波堤 元禄10年、参勤交代で出府途次の薩摩藩主島津公が、台風のため大多府島に避難した。江戸城で備前藩主池田綱政公に大多府の天然の良港ぶりを説き、割譲を申し込んだ。 備前藩主は早馬にて岡山へ大多府港を命じたと言う。港は備前藩郡代「津田永忠」の総指揮により、一年足らずで港湾施設を整備、開港した。 それ以来、潮待ち、風待ち港として内海航路の要衝となり、近年は海運の母港・漁港として発展した。 石積みの防波堤は現在も当時の威容を留め、「元禄波止場」と呼ばれ平成10年1月登録有形文化財指定されました。 津田永忠造営の百間川河口の唐樋水門の石柱を移し、平成10年10月に石碑とした。 平成18年2月には、「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」にも選ばれている。 ワイワイマップの見方
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2011年02月26日
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