庭瀬は、近世まで足守川とその支流を利用した船運が盛んに行われており、地区内に張り巡らされた堀・水路等に活用し水郷の町として発展してきた歴史を有しています。されに陣屋町を東西に貫く庭瀬往来(鴨方往来)は、近世山陽道とも結ばれていることから、陸路と水路の交わる交通の要地であったといえます。 1600年代中頃の寛永年間の絵図によれば、絵図の下方に描かれている足守川の河岸には、瀬戸内海を航行する船が出入りし、足守藩の年貢米の積出港としても重要な機能を有していました。この河岸で積荷を海船から小舟に積替えて旧庭瀬港(内港)に入ります。そこには、港町が形成され、庭瀬藩の商業・交通の中心地として栄えました。水路に面しては雁木(階段状の船着き場)が設けられ、入港する船の為木造で大型の常夜灯が1700年代に建てられていました。 明治24年に山陽鉄道(現JR山陽本線)が開通して以降は、船の往来も減少し、昭和30年代には水路も半分ほどの幅までに埋め立てられ、また常夜灯も昭和29年の暴風により被害をこうむり、すべて取り壊されましたが、その基礎(地伏石)は現位置で保存されていました。 庭瀬・撫川地区の堀や水路による町割り、城域や家屋の町なみの景観保全を目指す住民運動は、これまで活発に行われており、その盛り上がりを受けて、当時の古写真や地元の方々の記憶をもとに、埋め立てられていた旧庭瀬港(内港)を部分的に再現しました。また当時の常夜灯の石積護岸の一部と約3m四方の基礎(地伏石)を使用して常夜灯を再建し、当時の旧庭瀬港(内港)の景観を平成十九年度に復元しました。 以上の文は現地説明板より転載しました。 写真は2012年5月22日撮影 場所はワイワイマップ『歴史的縁の地、文化財、資料館などのMAP』にスポット投稿します。 旧庭瀬港
商家 金毘羅宮 妙見宮・正八幡宮献灯 観音堂 地蔵堂 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2012年06月11日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]



