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十三人のお塚さん
元暦二年(1185)、屋島の壇の浦で源平合戦がありました。その戦で、源氏が勝ちました。 敗れた平氏の軍の十三人が、八坂町(旧石田村現さぬき市寒川町)へ逃げて来たそうです。その時、十三人は すでに力つきており、八坂町のあちらこちらで死んでしいました。
村人達は、「かわいそうに、戦いはいやじゃ、いやじゃー」 「みんなで、お塚様をたてよう」 そう考えて、十三人の者が死んだ所に一つずつ、十三柱のお塚様をたてました。 みんなは、はじめはおまいりしていましたが、しだいに忘れはじめました。 そのうち、家がたち、道路ができ、土を掘りおこしているうちにお塚様もどこかへ移り、わからなくなってしまいました。 「お塚様は、どこへ行ったのかのう?」
みんなも、忘れてしまっていたのでした。 そして、何年か後、この八坂町に赤痢がはやり、何人かの人が死んでしまいました。 「苦しくて死にそうじゃ。これはお塚様のたたりじゃー」 みんなは、はっとしてお塚様のことを思い出しました。 「わたしらは、あの時からお塚様へまいっていない」 「今からおまいりするゆうても、お塚様がどこにあるかわからん」
「そうだ。十三塚をつくろう」 「十三塚?」 「そうだ。十三あったお塚様をひとつにして十三塚じゃ」 「そうじゃ。大日堂の前にたてよう」 村人みんなで、お塚様づくりにはげみ、みんなで一生けんめいおがみました。 すると、赤痢で苦しんでいた人もだんだんよくなり元気になりました。 「やっぱり、たたりだったんじゃのう」 と村人は言いました。 今も十三塚にはいつもきれいなお花を供え、村人がおがんでいます。 文は、さぬき市文化財保護協会寒川支部HPより転載しました。 写真は2013年1月20日撮影 場所はワイワイマップ『源平ゆかりの地・伝説の地map』にスポット投稿します。 大日堂
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2013年01月23日
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