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伊賀小四郎 (石像)

賢人名:伊賀小四郎 (石像)
(香川県青年教育の父)
住 所:香川県高松市岡本町
場所 マピオンマップ↓↓↓↓
偉業等:
 伊賀小四郎は、明治10年(1877))、阿野郡畑田村(現 綾川町)に生まれました。明治30年、20歳で畑田尋常小学校の教員になってから79歳で香川県教育委員会委員を辞するまで、実業教育・青年教育の振興に努め、香川県の教育界に大きな功績を残しました。

像作者:
世話人:伊賀氏功績顕彰会
資料等:香川県立ミュージアムニュース2016冬、

 伊賀小四郎は、明治10年(1877)、阿野郡畑田村(現 綾川町)に生まれました。明治30年、畑田尋常小学校の教員となり、以後大正11年(1922)まで同校に勤務しました(明治40年より校長)。その後、山内尋常高等小学校長を経て、大正14年には、香川県立実業補習学校教員養成所(以後「実教養成所」)設立と同時に、唯一の専任教諭(主事)となりました。昭和7年(1932)同所を退職、同16年まで香川県青年教育主事として勤務しました。この間、小四郎は一貫して青年教育・実業教育の振興に努め、またそれに従事する教員を多数育成しました。
 伊賀小四郎像の建設から現在にいたる経緯をたどってみることにします。
 実教養成所の同窓会誌『實教の光』第3号に、建設の過程が詳細に記されています。それによると、昭和3年10月、地元畑田村有志による「伊賀先生記念物建設」が発議され、実教養成所に協力要請がありました。この年、小四郎は教育功労者として、文部大臣より表彰されており、これを機に顕彰の機運が高まったものと考えられます。しかし、その後、建設地や建設資金の募集方法がなかなか定まらなかったため、昭和7年5月、改めて「」が組織され、計画を前進させることになりました。その中心となったのは、小四郎の教え子たちでした。同年9月、建設地を奈良須池畔と決定して、銅像建設が進められ、昭和8年6月11日に除幕式が盛大に行われました。当日の写真を印刷した絵葉書は記念品として、顕彰会員に配布されました。
 約5年の歳月をかけてようやく完成にいたった銅像は、戦時体制下の昭和18年、金属回収令により供出されました。当時の小
四郎宛の書簡には、銅像の供出について記されているものがあり、名誉なこととしながらも、銅像に代わる記念碑等の設置を望
む声があったことがうかがえます。現在の石像は、多くの教え子たちの要望により、昭和21年10月に再建されました。
 常設展示「香川県青年教育の父 伊賀小四郎」では、収蔵資料の調査研究を通して、二度の寿像建設を実現させた教え子たちとの強い絆や、教育に向き合う姿勢など伊賀小四郎の姿を時代背景とともに紹介します。
撮影日:2017年3月8日
近隣施設:小田池十三塚群

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