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【月も出よむかし平家の落ちびとの浪まくらあと福良の湾に】
作 者:中村憲吉
背 景
昭和14年(1925)4月、徳島市での短歌大会に出席しての帰途、福良に泊し23首の歌を残す。なお、これらの歌のはじめに「竹島」と題していう。
解説等
福良の湊に竹島と伝ふ周囲4町ばかりの小島あり。寿永の春平家一門一ノ谷より落ちて暫く拠りしと伝ふ。
屋上には安徳幼帝の行在所跡、敦盛首塚など伝ふるものあり。
「竹島」とは、煙島のこと。洲崎松原は、この煙島に連なって見える細長い中洲で、当時はもっと多くの松が生えていた。(現地説明板より)
略 歴
広島県三次市生まれ。三次中学、七高、東京帝国大学法科大学経済科卒。大阪毎日新聞の経済部記者を経て、実家の酒造業に携わる。伊藤左千夫に師事。1909年『アララギ』に参加、斎藤茂吉や古泉千樫らと交流を持つ。1913年島木赤彦との合著歌集『馬鈴薯の花』刊行。
場 所:兵庫県南あわじ市休暇村南淡路駐車場脇展望場
住 所:兵庫県南あわじ市福良丙
資 料:現地説明板&軽雷集五WEB
撮影日:2014年7月24日 |
歌碑・詩碑・句碑・文学碑
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【梅が香耳 のっと日の出る 山路かな】
作 者:松尾芭蕉
背 景:元禄六年、芭蕉五十才の昇春、俳諧行脚の途中、この鎮守に詣で、一夜を明かした。
解説等:宴梅の楚々と咲き薫るこの山麓に立ち、東を望み野田山の辺りに悠然と昇る朝日をとらえて、詠まれた句である。
場 所:賀集八幡神社境内
住 所:兵庫県南あわじ市賀集八幡
資 料:現地説明碑より転載しました。
撮影日:2014年7月24日 |
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【清濁(すみにご)るうき世のほかの山寺に心を雪(すす)ぐ滝の白糸】
作 者:久米姫玉詠
背 景:元禄八年(1692)五月十五日、阿波に里帰りしていて京都に戻る途中、護国寺を訪れて詠んだ歌である。
解説等:久米姫は徳島藩五代藩主蜂須賀綱矩公(操山)の妹君。
場 所:兵庫県南あわじ市護国寺
資 料:現地説明板
撮影日:2014年7月24日 |
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【盆に来て海女を とむらふ心あり】
作 者:高浜年尾
背 景
この句は昭和二十七年九月五日(旧盆十六日)志度寺参拝のおり詠んだもの。
解説等
高浜年尾(1900〜1979)は虚子の長男、年男は正岡子規が名付けた本名である。
昭和十年頃より俳句の道に入り、二十六年には「ホトトギス」雑詠選を、三十四年虚子没後は主宰を継承、伝統派の中心作家として多くの俳人を育てた。客観写生の句風を守り難解な措辞を拝して呼明に詠う独自の境地を開いた。
このとき息女・汀子(現ホトトギス主宰)、京極杞陽(故人)が同道された。年尾句碑は、県内には善通寺と大窪寺にある。
住 所:香川県さぬき市志度
場 所:志度寺
資 料:現地 さぬき市観光協会 説明板
撮影日:2013年2月27日・2013年3月27日 |
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【岩のよろしさも 良寛様のおもいで】
作 者:種田山頭火
背 景:無位の真人である良寛の魂に解れ敬慕した山頭火が、その修行の地である玉島の円通寺に足を運んだのである。昭和十一年、その時の一句が庭石を詠んだ。
解説等:玉島文化協会は、平成四年度の事業として山頭火句碑を建立し、十一月三日文化の日に除幕式が行われた。書は、福寿院住職 松原師
場 所:岡山県倉敷市玉島 円通寺
資 料:玉島文化協会ニュース広報紙
撮影日:2014年7月18日 |




