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【めぐりあはん ことのちぎりぞ たのもしき きびしき山の ちかいみるかな】
作 者:西行法師(佐藤義清)
1118年〜1190年3月31日
背 景:51歳の時に崇徳上皇の鎮魂と空海の聖地探訪のために四国を旅しますが、その際に善通寺の玉泉院(久松庵)や曼荼羅寺付近の山里庵で3〜4年を過ごしました。
解説等
表面刻字
七十三番札所出釋迦寺當山奥之院
弘法大師行道所禅定場江是ヨリ十三丁
南無阿弥陀佛
佛行導所○西行上人
裏面刻字
安永八年歳次巳亥八月朔日
施主 和州武下郡西井上村 美野田弥八郎
法師 良弥
場 所:香川県善通寺市出釈迦寺境内
住 所:香川県善通寺市吉原町
資 料:現地説明版、善通寺史デジタルミュージアム
撮影日:2015年9月9日 出釈迦寺本堂
禅定寺
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歌碑・詩碑・句碑・文学碑
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【羊腸の路は入る鳥声の間・・・】
作 者:大町 桂月
背 景
文豪大町桂月先生が大正九年九月二日。田中桃葉先生とともに人力車でこの布施が坂を通った時の感懐です。「羊腸の路は入る鳥声の間、車上の身は閑なれども心閑ならず、訪ねんと欲す勤王豪傑の跡、白雲埋め尽くす幾重の山」
解説等
書も桂月先生の揮亳で、昭和三十六年五月八木茂樹氏によって旧道の峠に建てられましたが、国道の整備に伴い現在地に移転しました。旧道はここに詠まれているように曲がりくねった羊腸の路であります。
略 歴
明治2年(1869) 高知市北門筋に元土佐藩士の通の息子として生まれる。名は芳衛
明治29年(1896) 東京帝国大学国文科卒。
明治32年(1899) 島根県で中学教師として奉職。
明治33年(1900) 博文館に入社し、明治39年(1906)まで在籍
大正14年(1925)6月10日没
場 所:道の駅「布施が坂」前桂農村公園
住 所:高知県高岡郡津野町船戸
資 料:Wikipedia、現地石碑など
撮影日:2013年10月2日 |
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【土ぼこり立てゝ雨乞踊かな】
作 者:津村 和夫
解説等
伝承によれば、雨乞踊は千百年以上もの歴史を持つとされている。「滝宮の念仏踊」の中でも大旱魃の時にしか奉納され踊で滅多に拝めない国指定の重要無形民俗文化財である。こ句は昭和四十八年、香川県が大旱魃に襲われ「高松砂漠」と云われ、岡山県から飲料水を船で送って貰った年に、昭和十四年の雨乞踊以来三十四年ぶりに奉納された時の俳句である。
奉納を始めた早朝は薄曇りだったが、午後からは雨が降り出し終わる頃には、踊場一面が水浸しになり雨乞いの効果が如実に現れた一日だった。その後、昭和六十一年に発行された「ホトトギス新歳時記」に「雨乞」の句例として採用された。
この句碑を建設するに当たっては、「滝宮念仏踊保存会」「滝宮神社の関係者」等々のご賛同、ご協力を得て建設した。
略 歴:昭和八年滝宮村(現綾川町滝宮)生まれ、滝宮桐の花句会を主宰する。
場 所:滝宮八幡神社
住 所:香川県綾歌郡綾川町滝宮
資 料:現地石碑
撮影日:2014年9月10日 |
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【白帆鷺の如く滄溟に入る水碧に松いよいよ青し通宝千年客拾うなく砂浜歴々銭型を見る】
作 者:藍川 吟衲【高橋藍川(宗雄)=たかはしらんせん】
背 景:
解説等:七言絶句で刻まれているが、草書で読みにくい。
略 歴:1906年和歌山県臨済宗成道寺に生まれる。
場 所:琴弾山銭型展望所
住 所:香川県観音寺市有明町
資 料:観音寺市観光協会HPなど、
撮影日:2014年6月14日 |
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【うらを見せ おもてを見せて ちるもみじ】
作 者:良寛
背 景:
解説等
これは良寛の辞世の句である。出家雲水の生活に入って、実相の世界に住んだ良寛の最後に到着した名句である。
自然に観入したこの句は、また人生の真実を詠んで含蓄深いこの句が若き日の良寛ゆかりの円通寺にたてられたことは、誠に感慨深いところである。
すでに当山に建てられた良寛の漢詩や和歌のそれぞれの碑とと併せて、この句は碑は、唯心浄土(ゆいしんのじょうど)の世界に遊んだ良寛の心を窺い知るこの上ない縁(よすが)となることであろう。
略 歴
俗世山本氏。越後出雲崎の人。二十二歳の時、円通寺十世国仙の徳を慕って従い、得度修業精進。四十七歳の時帰郷。国上山中腹の五合庵に住み、高潔な人柄に皆尊敬し、慕われていた。特に、詩、歌、書に秀でていた。
天保二年(1831)没。七十四歳。
場 所:補陀落山・円通寺
住 所:岡山県倉敷市玉島柏島451
資 料:玉島文化協会ニュース&玉島文化協会説明板
撮影日:2014年7月17日 円通寺 良寛像
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