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犬塚 香川県善通寺市遊仙町
この犬塚は、角礫凝灰岩製の笠塔婆で高さ2.5m、四方仏の梵字は大日如来を表す“バン”であり風化が著しい。
作者は不明で鎌倉時代の作と推定される。空海が唐から持ち帰った薬草(麦の種子)にまつわる義犬伝説があり、昭和六十二年七月二十一日、善通寺市の史跡として指定され、古くからの信仰を今に伝えている。
善通寺市教育委員会 説明板より転載しました。
撮影日:2014年9月3日
近隣施設:善通寺、甲山寺、出釈迦寺、曼荼羅寺、乃木館(旧陸軍第11師団司令部)、旧善通寺偕行社 すべて無料で見学できます。 |
石塔・石碑標・灯篭
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覚阿上人霊塔 香川県さぬき市志度 志度寺境内
寿永四年(1185)二月十九日、屋島の戦いで平家の強豪能登守教経の強弓に狙われた、九郎義経の身代わりとなって、源氏の四天王の一人佐藤嗣信が忠死した。嗣信の戦死を悲しんだ、九郎義経に召されて引導を渡したのが、当時の志度寺の住職覚阿上人である。引導を渡したお礼として、九郎義経から一の谷、ひよどり越えの合戦にも参加した名馬「大夫黒」と太刀一振が贈られ、その寄進状が志度寺に残されている。 この霊塔は昭和六年五月、嗣信三十代目の子孫である山形県の佐藤信古が、先祖か世話になったお礼と、覚阿上人追福のため建立したものである。名馬「大夫黒」は、飼育せられていた鴨部・極楽寺から抜け出して、嗣信の墓の側で死んでいたと言う物語もある。 佐藤嗣信墓:http://blogs.yahoo.co.jp/takamaturocky/30704676.html 佐藤嗣信墓碑:http://blogs.yahoo.co.jp/sanukimesatobuttestyle/28320191.html 文は、さぬき市文化財保護協会志度支部WEBサイトから転載しました。 撮影日:2014年3月26日 |
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庵治・牟礼二十四輩霊場・第二十三番
幽霊の図石塔 石板には、輩 平成三年吉日 第二十三番 ハサマ 矢野 とある。
右の石像には、幽霊の浮かし彫りと庵の中の僧(親鸞?)の浮かし彫りがある。僧の右側には、常陸国刻され、幽霊の下側にはお墓の浮かし彫りに村田刑部妻とある。 《領主村田刑部少輔平高時の妻が難産で亡くなってしまいますが、我が子愛しさのため幽霊となって寺に姿をあらわしたため、寺の住職もいたたまれずに逃げ出してしまい、無住の寺になってしまいました。 困った村人が親鸞上人にお願いしたところ、聖人は村人が集めた小石にお経を1文字ずつ書いて、妻の塚に埋めたところ幽霊はあらわれなくなったという。》 常陸国・無量寿寺に幽霊の図があるそうです。ここでは二十三番ですが、関東二十四輩では三番札所となっています。 庵治・牟礼二十四輩霊場とは
香川県高松市庵治町・牟礼町に跨って点在する石仏をめぐる二十四輩ミニ霊場です。 一番は、庵治町の願成寺にある阿弥陀如来立像(石像)。 場所は、スポットノート『石塔や石仏などのmap』に投稿します。
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下り松六地蔵石幢 さぬき市大川町富田中 さぬき市指定有形文化財(平成十四年三月七日指定)
下り松(さがりまつ)庵の中に1体の石幢が安置されています。六面で各面の上半に地蔵が彫刻されています。六地蔵です。地蔵は地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天の六界を自由に行き来して、人々を救済するといわれており、6体の地蔵を表現します。今でも墓地の入り口には六地蔵があります。また、子供を守るといわれており、子供のお墓では地蔵が表現されたものが多くあります。 さて、下り松六地蔵石幢は地蔵の表現の下に各面に妙法蓮華経の文字があります。妙法蓮華経といえば日蓮宗を連想される方もいると思いますが、経塚との関わりが考えたほうが良いと思います。 経塚とは経典を埋納する風習です。12世紀の平安時代後期に流行しました。経典を埋める理由は、埋納する経典を書写することで功徳をもとめることと、それを埋め、釈迦入滅後の56億7千万年後に弥勒菩薩が出現して人々を助けるまで保存しておくことにありました。埋められた経典は法華経が多く、よって、妙法蓮華経の銘文は経塚との関わりが推測されるのです。経筒を連想させる筒野八面石幢や長尾寺の経幢など石幢は経塚と深い関わりがあることが解ります。 下り松六地蔵石幢は経塚的な性格がある一方で、銘文を読むと、円性という人物の追善供養のために造立したことがわかります。 この塔からいえることは、塔にこめられた意図は一つではないということです。六地蔵からは地蔵信仰が読み取れ、妙法蓮華経から埋経の信仰が読み取れ、銘文からは故人の追善供養が読み取れるのです。このような様々な信仰がからみあって下り松六地蔵石幢は造立されたと考えられます。 下り松六地蔵石幢には応永八年の銘文があります。西暦でいうと1401年で、室町時代の前半に造立されたことがわかります。時代は足利義満の時代で地方では守護大名の力が大きくなりはじめた時代です。香川県では細川氏が守護大名で、その下の守護代として、西に香川氏、東に安富氏がいた時代です。 石造物の特徴は、この頃から規模が小型化してきます。30年前の西教寺の六面石幢と比較すれば小型化が実感できるかと思います。 以上の文は、さぬき市文化材保護協会HPより転載しました。 下り松の地蔵庵の中にあって厨子に納められ、庵の本尊として祀られている。凝灰岩製で基礎と幢身はあるが、笠は失われている。土地の人々は「六地蔵さん」といっている。
基礎は六面六角、高さ27cmで台形をし、上面には外側近くで二重に輪郭をとっている。(幢身の高さは80cmである。) 西教寺の石幢の基礎の手法によく似た手法である。 幢身の各面には、上部に蓮華座上に立つ地蔵を刻み、その下に妙法蓮華経を細字で陰刻してある。地蔵像の上半身の後ろには光背を造り出すためやや深彫りであるが、像そのものは線刻を強調した薄肉彫りである。 「応永八年(1401)四月九日施工□□」の銘がある。 六地蔵とは、釈迦入寂後、弥勒菩薩が出現するまでの間、無仏世界の六道の能化(のうけ)=指導者を地蔵が司るという信仰から、鎌倉時代から盛んに造られ、南北朝時代から石幢の各に六地蔵を刻むものが出現した。 仏教では、われわれの住む娑婆世界は、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天という六つの世界(六道)から成り立っていると考える。
ここの六地蔵は合掌、右手錫杖左手宝珠、右手幡の三種の地蔵を各二体ずつの配列である。錫杖は、すべての人々を救うために俗界を遍歴することを表し、宝珠は人々の願いをえること表している。 以上の文は、現地に掲げている本の写より転載しました。 この地蔵は、お堂の中に安置されており、お参り見学は地区の人の許可が必要です。(施錠していると思います。)
写真は、2012年11月21日撮影 場所は、スポットノート『石塔や石仏などのmap』に投稿します。 左の建物の中に安置されています。(集会場)
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古枝六地蔵石幢 香川県さぬき市富田西 さぬき市指定有形文化財(平成14年3月7日指定) 所有者 古枝自治会
古枝の通称「天神さん」の小祠内にある六地蔵は、台座幢身とも六角で総高107cm(幢身高80cm基礎高27cm)を測り、凝灰岩製である。笠は花崗岩製であり、後補されている。地蔵像は合掌、左手宝珠右手幡の組み合わせで、下り松の六地蔵とほぼ同じ頃の造立かと思われる。 口碑では、長宗我部元親乱入の節、東の山にあったこの地蔵を、その下のサントダニ池に投げ入れたのを約二百年後に掘り出して祀ったものという。 石幢は仏堂内にかける幢という六角や八角に布を垂れる旗から出たもので、中国では唐の時代から行われ、その後日本にも伝えられて鎌倉中期頃からは各地で作られるようになった。 以上の文は、さぬき市文化協会HPより転載しました。 石幢をお参り見学するには、古枝集会所前に車を止め、山に上がらなければなりません。獣柵を開け(必ず閉じてください)4〜5分登ると神社があります。その脇にお堂らしき建物があり、扉は有りませんが中に安置されています。 お堂脇には、ハート型の手洗鉢があります。昔から有ったのかは不明ですが、キリシタンの遺物かもしれません?。(同じようなのが小豆島に残っています。湯船山蓮華寺) 写真は、2013年11月21日撮影 場所は、スポットノート『石塔や石仏などのmap』に投稿します。 |



