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香川県と近県を旅しときの風景・四季を記録したブログ。 古い讃岐も

金毘羅参詣道

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海の金毘羅参詣道と高松街道、丸亀街道、多度津街道、宇多津街道、阿波街道、伊予土佐街道の道標、灯籠、鳥居、地蔵などの書庫
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【金毘羅参詣道「新町の鳥居」】
 金毘羅参詣道高松街道も榎井村の興泉寺門前を過ぎると小さな川(現在は、JR土讃線の線路の下に有ります。)を渡ると金比羅社領の金刀比羅村になります。
 少し行くと鳥居があります。ここからは、丸亀街道・高松街道が合流します。
 新町と本町とを繋ぐ潮川(金倉川)に架かっていた鞘橋(浮橋)=(現在はお旅所近くに移築に出ます。)此の鞘橋の手前で、阿波街道とも合流し、潮川で最後の汗埃を拭ったとの事です。
 現在は鞘橋の所には、一の橋が架かっています。
 以上の文は、讃岐の街道・金毘羅参詣道及び香川県立図書館蔵書などから引用しました。図書館の協力も戴きました。

 新町の石鳥居
 安政二年(1855)に当国、武下一郎兵衛によって奉納される。
 武下一郎兵衛は文化文政ごろから在郷商人として活躍した人で、中讃から東讃にかけての酒と油の販売建を持っていた人である。掛屋・札差といった金融業を行うなど、手広く商いをしていた。
 この新町の鳥居が奉納された安政二年は彼の事業の最盛期を示しているのかもしれない。
 また、この鳥居には、珍しく笠木の裏側に剣先型の彫り込みが見え、不動明王の種子と願文が彫られている。それは建造物に見られる棟札を意図したのかもしれない。
 材質=花崗岩 形式=明神鳥居 高さ=7,8m 柱間=7,2m
 以上の文は、現地説明案内板より転載しました。

 写真は、2011年8月1日・8月19日撮影
 場所は、ワイワイマップにスポット投稿します。

 此処より金刀比羅村
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 JR土讃線
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 丸亀街道・高松街道の合流地点
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 新町の鳥居
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ワイワイマップの見方
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【弘法大師所縁の地持宝院】
 如意山・常福寺・持宝院 (じほういん)廃寺 真言宗単立 本尊 虚空蔵菩薩? 香川県善通寺市与北町1563
 弘法大師が此の地で修行した霊地ですが、諸般の事情で廃寺になっています。本堂と思われる建物は、荒廃が酷くて近ずくのは危険です。山門も然るです。鐘楼は、堅牢な造りなのかいまだに現存していて、梵鐘は健在です。境内は、雑木と竹に占拠されています。

 御供田街道
 籠池の北から日吉神社(http://blogs.yahoo.co.jp/sanukimesatobuttestyle/22151622.html)の前を通り御供田に出て「如意山」に弘法大師の所縁の「持宝院」があり、その参拝をかねての金毘羅参詣道御供田街道でもあった。(三条村→与北村→櫛梨村→象郷村櫛梨神社→苗田村→金毘羅村→金毘羅大権現)

 買田池
 国内最大のため池である満濃池の下池としてつくられたのが買田池です。元禄年間(1688〜1704)には、大庄屋の高畑権兵衛が大規模な増築工事を行い、その後、何度も修築工事がくり返されました。こうした池普請の時には、地元の人々が集まり、1日中宰領の地づき歌に合わせて堤を築いてきました。
 高畑権兵衛の遺徳をしのび、先人の苦労を忘れないように、当時の歌や所作をいつまでも残そうと、地元の古老の指導によって創作されたのが「与北地づき踊り」です。この踊りは、与北小学校の子どもたちによって踊り継がれ、毎年8月2日、持宝院で行われる「ごんべえ祭り」で奉納されます。(此の話も?が付きます。)
 空海も買田池の奥に見える飯野山(讃岐富士)を眺めていたのかもしれません。三角のおにぎりの様な山が三つ見えます。右の一番大きな「飯野山(讃岐富士)」真ん中の一番小さく見えるのが「角山(すみやま)」左側の山が「青ノ山」です。
 文は、讃岐の街道・金毘羅参詣道より参照しました。
 写真は、2011年8月22日・27日撮影
 場所は、ワイワイマップにスポット投稿します。

 御供田灯籠(県道4号)
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 買田池堤
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 地神社・自然石灯籠
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 如意山・こんぴら道標
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 如意山
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 参道入り口(金蔵寺への道標も残っている。)
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 山門
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 本堂?
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 梵鐘
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 飯野山(讃岐富士)
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 池は買田池
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 地蔵堂の左脇が丸亀御供田街道
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櫛梨神社

【櫛梨神社と眼鏡灯籠】
 金毘羅参詣道丸亀街道如意山道
 丸亀三条の籠池・日吉神社・空海ゆかりの地「如意山常福寺持宝院」(廃寺)・櫛梨神社より公文の茶堂に合流、金毘羅参詣道丸亀街道に戻る。
 
 --櫛梨神社--
 所在地 香川県仲多度郡琴平町下櫛梨 式内社 讃岐國那珂郡 櫛梨神社(旧郷社) 御祭神 神櫛王命
 標高158mの如意山の西南麓にあり、境内から如意山まで遊歩道になっている。往古は、山上に鎮座していたようだが、火災により現在地に遷座したという。
 社伝によれば、景行天皇の命を受けた神櫛皇子が、大魚を討つために土佐から、舟に乗って当地へ来た時、雲が厚く、雨が降り、何も見えない状態になった。そこで、皇子は小山に登り、天に乞うたところ、天から火が降りて来たという。皇子はそこに舟をとどめ、祓戸神(磐船大明神)を祀った。また、当地の神を祀るため、翁に、この地の神についてたずね、大麻神・大歳神、更に、山下明神・諏訪明神を祀った。
 さらに、船装束する時に、経津主神・武甕槌神(赤坂大明神)を祀った。その後無事に、大魚を討ち取って当地に城山を築き、国造となった。
 仲哀天皇8年(199)9月15日。120歳で亡くなった皇子を櫛梨山に葬り廟を建てて祀ったのが当社の起源。
 よって、皇宮大明神とも、大宮とも称された神社。

 --目鏡燈籠--
 火袋が丸い輪になっているので目鏡燈籠と言っている。この灯籠は岡山の人たちが、木食上人の厚い信奉者であり、護摩堂(富隈神社裏)前に寄進していたものである。幕末ごろに発行された金比羅絵図に、この目鏡燈籠が数基描かれている。今残っているのは櫛梨神社参道の一基のみである。これは、岡山家中、川口氏、卯歳女の奉納で、明治二十五年(1892)に、面場(めんば=周辺・町内の意味)の人達が、この場所に移築したものである。もっとあったはずの目鏡燈籠の行方はわからない。
 文は、香川県立図書館所蔵本より 

 石鳥居
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 隋神門
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 拝殿
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 本殿
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 参道
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 目鏡燈籠
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 自然石灯籠
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 石塔
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  --船磐--
 景行天皇皇子櫛梨神社の祭神「神櫛王命」が昔此の地の悪魚征伐の時、船を泊らせ給えと伝えられる岩
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【天領・榎井村 大鳥居と旗岡神社】
 金毘羅参詣道・高松街道も石の大鳥居を潜ると天領の榎井村に入ります。鳥居には「象頭山」の大きな石の額縁がかかっています。柱には、「万民豊饒」「国家安穩」「慶応三年(1867)」の銘がある。鳥居から300m程進むと三差路になります。三差路の右側には、「旗岡神社」が鎮座していて、境内には、苔むした金毘羅灯籠が立っています。この神社の境内で、最後の休憩をとり金比羅宮へ詣でた。境内の角のは、四角柱の道標が立っており、「右高松道」「左丸亀道・明治三十九年」の銘があります。ここを左に折れ再び右に折れると金比羅宮までは、粗一直線です。道に両側には、ハカリ屋・呉服屋・造り酒屋・表具屋・仏壇屋など商店とお寺が建ち並んでいます。
 文は、讃岐の街道・金毘羅参詣道より参照しました。
 写真は、2011年5月7日・8月1日撮影
 場所は、ワイワイマップにスポット投稿します。

 琴平公会堂 外部ブログ↓↓↓↓
 http://blogs.yahoo.co.jp/takamaturocky/30187985.html

 榎井大鳥居
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 旗岡神社
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 拝殿
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 本殿
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 金毘羅大権現灯籠
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 榎井の道標
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 公会堂にある「榎井延商問屋同商人中」灯籠
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羽間池界隈(旧高篠村)

【羽間池界隈(旧高篠村)】
 金毘羅参詣道高松街道の最後難所の羽間池を過ぎると祓川越え四條村・榎井村の金毘羅門前町に入ります。
 岡田村から高篠村へ最後の難所への三叉路に自然石の道標があります。「右高松←→左琴平」側面に「左←丸可免道三里」とあります。ここで琴平方面の難所の坂道を登って行きます。羽間池の堤が見えてきます。堤の手前に岡田の延命寺跡と云われる地蔵堂があります。ここ等辺りが岡田村と高篠村の堺で、関所が設けられていたとも云われています。
 延命寺の茶堂(羽間の茶堂)は坂の頂上付近にあり、金毘羅参詣の旅人は、ここで休憩をとりお茶の接待を受けていました。この茶堂で接待に使われていたと云う茶釜が今も残されていると云う。五升炊きの大釜で胴部に金の字が刻まれています。(このお堂に保管されているようです。)
 お寺の縁の前には、「文政七年(1824)庚申」の銘の入っている手洗鉢と「明治二十七年・那珂郡榎井村鋳物師原弥三郎藤原正本」などの銘の入った小さな梵鐘が吊下がっています。
 羽間池の南の堤からは象頭山が一望でき(現在は国道の高架橋が出来て見ることが出来ません。)、この池を頂上とする峠は大変な難所であった。金毘羅詣に行く人は、後少し、最後の休憩場所でもあった。参詣から帰る人々にとっては、この坂を「残念坂」と呼び、この池から金比羅さんを見返り「遊郭での散財を悔しがった。」また、金比羅さんに別れを告げる場所でもあった。
 安藤広重が描き残した浮世絵「六十余州名所図会讃岐象頭山遠望」は羽間池の見た絵だと云われています。
 文は、讃岐の街道金毘羅参詣道などから参照させてもらいました。
 写真は、2011年7月5日撮影


 羽間池(延命寺)への交差点
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 羽間池
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 延命寺茶堂・関所跡 現延命寺
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 手洗鉢(盥)
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 鉦
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 倒れたままの石柱
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 空首地蔵・大日菩薩
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