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香川県と近県を旅しときの風景・四季を記録したブログ。 古い讃岐も

金毘羅参詣道

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海の金毘羅参詣道と高松街道、丸亀街道、多度津街道、宇多津街道、阿波街道、伊予土佐街道の道標、灯籠、鳥居、地蔵などの書庫
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吉盛神社

【吉盛神社】
 金毘羅参詣道・高松街道も畑田村を過ぎると陶村に入る。吉盛神社が鎮座しています。この辺りは、十三塚と同じように様々なお店がありました。ここの地区にあるお地蔵さんのお祭りは盆の二十日で、露天商が並び、花火が有名で芝居も行われていた。此の近くに住んでいた、「辻村孫七・豊大」親子は、仕掛け花火では、日本一の花火師といわれ、全国に花火を仕掛けて回った。(花火は親子の死亡で衰退の道を進んで行く。)

 吉盛神社は、「平吉盛(民俗の項では和田吉盛となっています。)」という平家の落人が馬に乗って逃げてきて、ここの井戸の中に隠れたが追手に見つかって首を切られたと伝えられている。(堀に馬のまま落ちて死亡した説もある。)境内には、馬と馬丁(大正時代に建てられた)の墓もある。井戸は、旧国道32号(現県道282号)下に有ったといわれる。現在の井戸は、水脈をたどって境内にある。
 『讃岐名勝絵図』には、「義盛卿墓」「義盛卿は何人なるを知らず 往古は今の地より北に有りて義盛大明神と云う大社有今の荒神の社は戌亥角の荒神と云、往来の傍らに井あり義盛卿御薬水と云 瘡及痛所を此の水を以て洗えば忽しるし有 故に幟を以て賽とす 義盛卿といへば何様三位以上の人てりしなるべし悉しく尋ねるに便なし後の考を待つのみ」という記事がある。目の神様として信仰されています。
 以上の文は、香川県立図書館蔵綾南町誌及び讃岐の街道・金毘羅参詣道より転載しました。
 写真は、2011年6月14日・7月5日撮影
 場所はワイワイマップにスポット投稿します。

 吉盛神社:木の鳥居
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 拝殿
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 本殿
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 馬と馬丁の墓
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 陶小学校東にあった。現在は民家博物館「四国村」旧丸亀藩御用蔵脇に移築
 (四国の道は「遍路道と金毘羅参詣道」によって発達していった。)
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 陶小学校西側の出口の交差点に「辻の岡地蔵堂」がある。
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ワイワイマップの見方
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十三塚群

【十三塚群】
 金毘羅参詣道・高松街道も福家村を過ぎ挿頭山の南腹にさし掛かると旧国道32号(現県道282号)とに挟まれた道路に平行に十三基の塚が残っている。中央に他の塚と比べてやや大きめの直径4m、高さ2mの円墳状の塚があり、塚の頂部に石の祠が置かれています。土地の人は、「若宮さん」と呼んでいます。この若宮さんを中心に、東側六基、西側に六基、約100mにわたって若宮さんに従うように一列に並んでいる。どの塚も高さ1m足らず、幅も1.2m位のこんもりとした円墳状の原形をとどめている。どの塚にも花が供えられている。塚によっては、頂部に石の祠が置かれている。
 十三塚は、旧山内村と旧畑田村との村境にあり、築造当時は街道裏の荒れ地か山林の端だったかもしれない。

 エピソード
1)源平合戦で敗れた平家の落人の大将と十二人の家来の塚だとの話
2)お姫様と侍女の墓だとする話
3)災いや病気が隣村から入って来るのを防ぐために祈禱した所だとの話
 このような伝説や史実の二通りの話が伝わっている。近くの吉盛神社にも平家伝説が残っている。
郷土研究家の故原村忠一氏は、伝説としての十三塚を「屋島の戦に 落ちのびし 平家の公達 ここかしこ 逃れ逃れて 埋もれる あゝ十三の 塚哀れ」と記している。

 挿頭山の十三塚東の坂は、勾配が急で路面には石がそこそこに露出していて、ことに荷車を引き上げるのも下げるのも大苦労した。牛や馬に引かせても容易ではなかった。車引きの家族が車のあと押しや牛の鼻ごをとって誘導していたが、それでもよく事故が起こっていた。坂を上がると茶堂やすし屋・うどん屋・酒屋・菓子屋・風呂屋・宿屋などがあった。街道を利用する人や近在の人の買い物や遊興したりで活気のある所でした。
 藩主参詣の時には、籠・挟み箱・供周りなどで行列が何百メートルのもなって大変な事になっていた。人足(970人)・馬(213匹)など膨大の数が徴用された。(嘉永3年11月11日の記録)
 上記文は、香川県立図書館蔵綾歌町誌(現綾川町)より転載しました。
 写真は2011年6月28日・7月5日撮影
 場所は、ワイワイマップにスポット投稿します。

 挿頭山南腹の坂道
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 街道沿いの地蔵など
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 若宮さん
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 塚:民家の中にもある。
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ワイワイマップの見方
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【地神宮と金毘羅大権現(旧畑田村)】
 地神宮と金毘羅大権現
 金毘羅参詣道高松街道の畑田村の挿頭山(かざしやま)の南側の坂を登りきると、右手に十三塚の「こんぴらさん」があります。登り口の西側には、昭和の初め頃まで茶堂があった。周囲が吹き抜けのお堂で、中央には「かんす」がかかっていたと云います。昔、ここで道行く人にお茶の接待をしていた。茶堂で使っていた井戸が今も残っています。坂を下って行くと田池の堤を行くと陶村に入ります。
 
 エピソード
 「こんぴらさん」から南に下りていく細い道がある。これが魔性の道で、挿頭山と南の生子山(ううこやま)を結んでいます。夜になると天狗が飛んだり、首のない馬が走ったりすると云い。茶堂の所でも縞の着物を着た「お爺」が出たと云いう話も残っているようです。

 金毘羅灯籠移転転記碑
 「明治25年当初建立の場所は不詳、大正5年河合寅次氏宅北東隅に移転、平成3年河合健氏の好意により山原十三塚獅子組が当初へ移転した。」と記されている。
 燈籠正面の燈籠台座(三段)の最上部の石に寄贈した人物の名前が刻まれていいる。二段目には、発起人畑田村安部亀吉,世話係畑田村・福家村・越中國東岩瀬村の人物の名前が刻まれている。竿には、獻燈、傘に丸金マークが浮かし彫になっている。竿の左側には、明治廿五年一月建立と刻まれている。
 以上の文は、讃岐の街道・金毘羅参詣道及び綾南町誌より参照しました。
 写真は、2011年6月28日撮影
 場所は、ワイワイマップにスポット投稿します。

 福家村からこの坂を登りきると(こんぴらさん)がある。
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 地神宮と金毘羅大権現
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 石鳥居脇の正面の両脇の石灯籠に「金毘羅大権現」内側に「地神宮」と刻まれています。
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 移転されてきた金毘羅灯籠
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【神ノ木神社の金毘羅大権現】
 金毘羅参詣道・高松街道の御林(現香川県高松市栗林町)の「神ノ木神社」は、石清尾八幡神社の境外末社で祭神は「稚産霊神」「豊受姫神」と合祀した「金毘羅大権現」
 金毘羅大権現の祭例は六月十日・金毘羅さんのトコロテン祭は、夏休みの吉日(日にちは決まってない。)に栗林親和会が主催し、町内外の参拝者にトコロテンが振舞われる。
 元は、藤塚新道と琴電通りの交差点の西依りにあった。昭和十二年から十三年頃に神ノ木神社に合祀された。
 金毘羅大権現は、海の神様として信仰されてきました。金毘羅とは、サンスクリット語でクンピーラといい、ガンジス川に棲んでいた鰐を神格化した言葉である。仏教では、薬師十二神将の宮毘羅大将(くひらたいしょう)がこれにあたる。
 以上の文は、香川県立図書館蔵 栗林郷土誌より転載しました。

 この神ノ木神社には、金毘羅燈籠が三基あり、正面の右側の灯籠には、金毘羅大権現・天明六年三月十日と刻まれ、正面左側の灯籠には、正面に天照皇大神宮、左側に金毘羅大権現、右側に八幡宮、傘には、天・金・八・と丸にそれぞれの字を浮かし彫りにしています。裏側には、安政二年八月吉日造立と刻まれています。左手奥にも一基の石灯籠があり、左右の竿には「古んひら大こんけん」の文字、裏側には、文政九年三月の文字が刻まれています。
 写真は、2011年6月28日撮影
 場所はワイワイマップにスポット投稿します。

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 拝殿
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 本殿
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 石灯籠3基
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【金毘羅参詣道・高松街道「陶から萱原村」】
 陶の的場の道標と萱原村八百萬御神燈籠
 的場の道標は、陶の町はずれの三差路の角に建っています。直進すると「山田」方面右に進むと旧萱原村・瀧宮村方面です。道標には明治四十四年建立で「右ことひら・左やまだ道」と刻んであります。元々は現在地より少し北にあったと思われます。
 西に少し行くと的場と云う所を過ぎて、農協の辺りに通称一里山と云い大松があったのでしょう。萱原村に入った所には、自然石の燈籠があった。(現在は道の駅近くに移転?。)
 旧道を進むと、集会場と二つの石碑があります。一つは久保太郎衛門の碑でもう一つは萱原用水改修記念碑です。自然石灯籠と八百萬御神燈籠同じ所に建っています。八百萬御神燈籠には、明治二十九年の建立で、台座に「西氏子中」と刻まれています。元は、少し東の田の岸に有った有ったものを移転して来たものです。

 萱原用水
 香川県綾歌郡綾川町萱原・滝宮・陶の灌漑面積 199ha
 瀬戸内式気候で降水量が少ない上、地勢上、水利の便が悪かったが、土地が肥えていため小さなため池を水源として用水通水以前より、水田が開かれていた。しかし、たび重なる干害により稲が立ち枯れし、飢えに苦しむことが多かった。
 幹線水路9.350m、支線1.240m 合計10.590m(隧道9箇所、サイフォン175m)綾川の水を取り入れ、山・谷・峠を横切り大羽茂池に達する。60余りの池の掛け井手となり、肥沃な大地を潤し地域農業を支えてい る。
Weblio 辞書 依り

 久保太郎右衛門
 農業用水路の築造に尽力された人物として久保太郎右衛門さんがあげられます。綾川上流の山田地方から、滝宮地方の溜池に農業用水を誘引し、この地方の水田の稲作をはじめ、農作物は豊かな水に守られて育ちました。久保太郎右衛門さんは、その当時、財産を持つ庄屋でありました。
 萱原用水(誘引の水路)の工事は庄屋さんが自費で工事施工したことから、記念碑も建てられ、八坂神社(綾川町萱原)に神として奉られ今日も多くの方々に尊敬されております。
 綾川町長談話室 藤井賢より

 写真は、2011年1月24日・3月25日撮影
 場所は、ワイワイマップにスポット投稿します。

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