昔、高松家中の矢田某という屋敷の奥方と下男が駆け落ちをしました。阿波池田まで逃げましたが、追手に捕えられ、高松まで送られる事になりました。しかしここまで帰った所で二人とも斬られてしまったといいます。 その後、ここで二つの一魂が飛ぶようになり、土地の人々が二人の供養のため地蔵を祭ったのが間男地蔵の始まりだと伝えられています。 毎年八月六日には土地の人々によってお座が行われます。その台座には「三界萬霊文政四十年四月十九日」と刻まれています。しかし、台座と本体とは異なる材質の石であります。 この辺りは、金毘羅街道も阿野郡と鵜足郡の郡境です。 文は讃岐の街道・金毘羅参詣道より転載させて戴きました。 三角山は堤山(羽床富士) 羽床小学校3・4年生製作案内説明板 間男じぞう 間男じぞうはおくがたと吉ぞうという人が殺されて、たてたじぞうです。 間男じぞうの鼻が白いのは近くの人がおくがたのためにおけしょうをしてあげているからです。 4月6日がご命日です。一里山の人がみんなでおまいりしているのは、8月6日です。 村のはずれのおじぞうさんはいつもニコニコみてござる という歌もあるよ。 一里山の人のやさしさ「一里山の人がつくってあげた」「一里屋の人が毎年かえている」「宝珠をもっている」「目はわらっている」「鼻が白い」「千羽づるがある」「さくらの木を3本うえてあげた」「8月6日おまいり」などの説明が可愛らしく書き込んでいます。 ワイワイマップの見方
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金毘羅参詣道
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海の金毘羅参詣道と高松街道、丸亀街道、多度津街道、宇多津街道、阿波街道、伊予土佐街道の道標、灯籠、鳥居、地蔵などの書庫
由緒(香川県神社誌) 往昔金毘羅大権現の潮川神事は此の地に於いて行はれしが、承平(或云天慶)年間兵亂の為め道路杜絶、此の神事は象頭山嶺にて行はるるに至り。斯く金刀比羅宮と縁由の地なるを以て祠を立て金刀比羅の神を祀れりと傳ふ。 金比羅宮の潮川神事 昔は、旧九月八日に多度津須賀町にある金比羅さんのそばの川で、この神事を、琴平から来て、この川でしていた。 今は、琴平町の金山寺町を流れている「祓い川」でするようになっている。然し、今でも金比羅宮大祭に用いられる、海水と、ガラ藻(海藻の一種)は多度津の工屋(タクミヤ)と云う「山神」さんは、海水を小さい樽に入れ、またガラ藻は、粟島の「板倉」さんが親代々世襲して、金比羅さんへ持って行くことになっている。 金比羅宮は桜川改修工事により,平成2年現在地に移された。 多度津町(たどつちょう)は、香川県の中部にある町である。江戸時代には瀬戸内海の物流集積地や金毘羅参詣の上陸港として賑わった。1889年に四国で最初の鉄道が開通した地として多度津駅前に四国鉄道発祥の地の記念碑がある。また少林寺拳法発祥の地で、少林寺拳法グループ本部がある。 文はゼンブデル様ホームページなどより転載させて戴きました。 写真は2011年3月16日撮影 場所はワイワイマップにスポット投稿します。 鳥居 拝殿 本殿 境内 ワイワイマップの見方
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慶長年間、王尾市良太夫は大井八幡宮と金毘三十番神の兼帯社人であった。 その長男を松太夫といった。寛文10年(1670)8月松太夫の子内記と松太夫の弟権太夫の両名は、金毘羅大権現の経営に関して金光院を相手として訴えを起こした。 幕府の寺社奉行はこれを受理し、その旨を高松藩に伝えた。高松藩は金光院に対して訴人と和解することをすすめたが、金光院はこれの応じなかった。幕府は双方の出府を求め決断所において審判を行った。封建制下の常として内記と権太夫は敗訴となり、寛文11年(1671)11月11日、その一族は高松藩によって祓川の刑場で処刑された。 その後、金光院においては不幸が相次で起こりこれを内記等の怨霊のたたりとし、約200年後文久3年(1863)11月処刑地の権太原に慰霊碑を建立して供養した。文は現地説明板より転載しました。 金毘羅土産として売られていた白首(松太夫)と赤首(権太夫)の獄門人形の所縁の場所である。 祓川(土器川)常夜燈 祓川の手前に「寛政10年(1798)・當村講中・常夜燈」などの銘をもっています。その手前には「法界・文政12年(1829)・菅氏建立」の銘を持った舟型地蔵が立っています。 祓川には幅二間半、長さ百九十間の木造の橋が架かっていたいいます(明治35年完成)。それ以前には板を石の上に渡した粗末な橋だったとの事です。 昔は、金毘羅への参詣者がこの川で身の穢れを祓っていたところから名付けられたものでしょうか。 文は讃岐の街道・金毘羅参詣道より参照しました。 写真は2011年2月16日撮影 場所はワイワイマップにスポット投稿します。 立石集落地標(金毘羅街道は此処より左に反れます。) 王尾内記と権太夫の墓 祓川常夜燈(此処より川に入ります。) 現在の祓川橋 ワイワイマップの見方
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大宮八幡宮の西となりに「こんぴらさん」が鎮座している。ここは、川東・由佐・坂下・矢坪を経て金毘羅参詣道高松街道に合流する主要な脇道の一つです。合流する角地に祀られています。街道に面している常夜燈には金毘羅大権現・鳥居には、金刀比羅宮・稲荷神社の石の額縁が付いています。また社の前の燈籠にも「金」が彫られていて、石盥にも「金」が彫られています。 文は讃岐の街道・金毘羅街道から参照しました。 写真は2011年1月24日撮影 場所はワイワイマップにスポット投稿します。 ワイワイマップの見方
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