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ベンガラ館
所在地:岡山県高梁市成羽町吹屋
文化財等:近代化産業遺産
解説等
数棟に分けて解説・工程などを紹介する資料館(有料)
江戸中期(1707年頃)ベンガラを吹屋で生産されて以来昭和中期まで繁栄を続き、吹屋の町並みの基礎をつくりだした。
このベンガラ館は明治の頃のベンガラ工場を資料館として復元されたもので製造工程を知ることができるほか。衣装・工具なども展示している。
資料等:現地説明板、高梁市観光冊子など
撮影日:2015年6月9日
吹屋 弁柄の由来
弁柄とは、印度地方に参する黄土(天然酸化鉄)より命名されたと伝えられる。
日本でも古く装飾古墳時代から使われ徳川初期の長崎輸入品控えにはスホウその他の色素と共にその名が記されている。
吹屋の弁柄は宝永年間(1704)より銅山の捨石の中から、硫化鉄鉱を拾い出し家内工業として極く素朴な製品が少量ずつ作り始め宝暦初年本山鉱山開発、ローハ製造その凝結に成功し、このローハを原料として弁柄の製造も工業化の折柄寛政年間(1790)早川代官が地場産業として将来性を認め仲間組合を作られ御免町人として許可その製造販売を援助奨励されてより個々には、隆退交代があれど組合としては、製品の優秀さと仲間組合の合理性により、明和年間大坂で一時盛んに製造されたダライコ弁柄(鉄丹弁柄)との競争にも勝ち以来、徳川・明治・大正・昭和中期まで二百年間日本でただ一ヶ所の産地として繁栄を続け現在邸宅、調度などに、その面影を残している。
弁柄の製造
本山鉱山より掘り出された硫化鉄鉱石を薪と共に積み30日ないし50日焼鉱すると鉱石に含有する硫黄などが燃える。
この焼石を水槽(熔解槽)に入れ溶液を作り、その溶液を釜で煮沸、乾燥したものを、『ローハ』という。このローハを原料として弁柄窯元は、ホーロクにもり、焼窯にて一日以上数日焼き、焼いたものを、階段式水槽にて攪拌水洗いし粉末調整を行いさらに、石臼(水車動力)にて微粉となし、さらに水槽で清水により数十回攪拌脱酸したものを、干板にて干棚にならべ天日乾燥または、火力乾燥し再度トンコと称する製粉機にて粉状を揃え製品とする。 |
岡山県
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旧 吹屋小学校
岡山県高梁市成羽町吹屋
文化財指定:岡山県指定有形文化財(建築物)2003年3月11日
残存建物:本館(木造2階建明治42年(1909)・東西校舎(明治33年(1900)木造平屋建)
公開状況:非公開
今後は耐震構造を強化する目的で一旦解体する。その後、元通りの外見に復元した上で文化財として保存され、閉校から6年後を目途に資料館として開館する予定
解説等
吉岡鉱山とベンガラ生産が隆盛を極めた時期の明治三十一年(1898)に三菱商会から本部敷地を譲受けた。
平成二十四年(2012)に閉校する前は、現役最古の木造校舎として多くも人に愛されました。今も現役当時の姿そのままが残され、観光スポットとなっています。
資料等:吹屋ふるさと村パンフレット、ウィキペディア、
撮影日:2015年6月9日
プールと全景
前庭校庭(グランドは左側校舎左にあります)
門柱
正面玄関前
右側校舎
本部内(ガラス越しで写しました)
左側校舎内部(ガラス越しで写しました)体育館?
正面右側校舎 右側実習室?
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旧 角片山家住宅(郷土館)
岡山県高梁市成羽町吹屋699
電 話:0866-29-2222(高梁市成羽町観光協会吹屋支部)
文化財指定:なし
建築年代:明治12年(1879)
用途区分:商家(弁柄窯元支配人・戸長)
残存建物:主屋・味噌蔵・米蔵
公開状況:公開【吹屋ふるさと村郷土館】
国選定重伝的建造物群保存地区に選定される吹屋町の中心部に建つ商家建築である。「郷土館」の名称で早くから内部公開されている施設です。
この家は、弁柄窯元片山浅治郎家の総支配人片山嘉吉(当時吹屋戸長)が分家され、明治七年頃より企画し本家の材木倉より良材を運び(当時、片山家は職業柄千余町歩の山持ち)、石州の宮大工、島田綱吉の手により、明治十二年三月完成されたものです。当時の模様が最もよく保存されているので、当主片山恵資氏に請い、郷土館としています。
間口5間、奥行き16間、中級の商家の定形で、店より通り庭で母屋の奥に味噌蔵、米蔵を配し、母屋の採光のとめ中庭をとっています。土台と外側の柱は全て栗の角材を使い、縁敷居は桜の巨在を使っています。
この家の特徴は、木組みは巨材を使い、細部は巧緻というほかなく、ことに座敷の書院まわりは、生漆と弁柄で塗り上げ、それぞれに飾り金具を用いている。二階には、隠し部屋と呼ばれる部屋がある。
管理者:
資料等:岡山県の民家、パンフレット、
撮影日:2015年6月9日
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旧 片山家住宅
重要文化財(建造物)江戸時代後期築の商家、主屋と付属屋計5棟 2006年12月19日指定
住所:岡山県高梁市成羽町吹屋367
電話:0866-29-2111
管理者:高梁市
旧片山家住宅は、平成十四年(2002)に所有者から成羽町(現高梁市)へ寄贈を受け、重要伝統的建造物群保存地区の中核的な建物として、平成十五年から平成二十一年まで保存修理を行いました。全ての保存修理の完了を機に平成二十二年四月から全体を公開しています。
宝永四年(1707)に始まったとされる吹屋の弁柄生産は、宝暦十一年(1761)頃に緑礬(ローハ)を原料とする製法が確立されて本格化しました。早くから弁柄製造を手掛けた片山家(胡屋)は、窯元として弁柄仲間の株を永く保ち、大塚・広兼・長尾家と共に名字帯刀を許されるまでになりました。安政二年(1855)には、緑礬の製造にも乗り出して、最盛期には3つの工場を経営し、その製品は、建材や家具の塗料、陶磁器や漆器の顔料として国内に広く流通しました。しかし、昭和二十六年に緑礬の生産が途絶えると、弁柄製造は次第に衰退します。その後も合成された硫酸鉄を原料として生産が続けられましたが、片山家は昭和四十六年(1971)に弁柄屋を廃業、その3年後には田村家も弁柄工場を閉鎖して、260年余りにわたり一世を風靡した吹屋弁柄はその幕を閉じました。
資料:重要文化財 旧片山家住宅パンフレット、
撮影:2015年6月9日
近隣施設:笹畝坑道、広兼邸、吹屋小学校、弁柄館、(=順次紹介します)、延命寺、 |
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吹屋ベンガラ格子の街並み
岡山県高梁市成羽町吹屋
国選定 重要伝統的建造物群保存地区
吹屋の由来
標高550mの山嶺に塗り込み造りベンガラ格子の堂々たる町家が並んでいるのは江戸時代から明治にかけて中国第一の鉱工業地として大いに繁昌した面影である。
幕末から明治にかけて吹屋はむしろ「弁柄の町」として全国に知られていた。しかも、吹屋街道が拠点として銅や中国山地で生産される砂鉄、薪炭、雑穀を集散する問屋も多く備中北部から荷馬の行列が吹屋に続き旅籠や飲食店の立ち並ぶ山間の市場として吹屋の繁昌を保っていた。
これらの銅や鉄、弁柄は吹屋から更に荷馬に負わされて成羽へ運ばれ、それから高瀬舟で玉島港に集められ、玉島港から上方や西国へ輸送されたのである。江戸時代から成羽や玉島の繁昌は吹屋の鉱工業に負うところが大きかったと言われています。
当時の俗謡に
吹屋よいとこ 金吹く音が 聞こえますぞえ 窓坂え
吹屋よいとこ 金掘るところ 掘れば掘るほど 金が出る
場所ぢや場所ぢや 吹屋は場所ぢや 東城やせ馬来る場所ぢや
これらの俗謡は当時の状況を歌ったものである。
弁柄(ベンガラ)=酸化鉄
緑礬(りょくばん)=硫酸鉄を原料として精製した赤色顔料で古くから、九谷焼、伊万里焼、京焼などの陶磁器の赤絵、能登、輪島などの漆器、衣料の染色、家屋、船舶の塗料などに色々な方面に使われた。
吹屋銅山
今から千余年前、平安時代に発見され徳川時代は、直轄地(天領)となり、代官の支配下で全国の銅山師が請負経営した。そのうち住友(泉屋)、大塚(福岡屋)、明治になり、岩崎(三菱)の経営の三期が、ピークで町も大いに栄えた。
近隣施設:笹畝坑道、ベンガラ館、広兼邸、吹屋小学校、延命寺(精進料理)、備中松山城、
資 料:現地説明板、パンフレットなど
撮影日:2015年6月9日 |




