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城 名:竹田城 別名 天空の城、虎臥城、安井ノ城
住 所:兵庫県朝来市和田山町竹田
城 郭:梯郭式山城
天 守:不明(天守台残存)
築城主:山名宗全(伝承)
築城年:永享三年(1431) (伝承)
主な改修者:羽柴秀長、赤松広秀(斎村政広)
主な城主:太田垣氏、羽柴秀長、赤松広秀
廃城:慶長五年(1600)
文化財:史跡指定=昭和十八年指定、日本100名城、
解説等
標高353.7メートルの古城山(虎臥山)の山頂に築かれ、縄張りは、南北約400メートル、東西約100メートル。天守台をほぼ中央に配置し、本丸、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に配され、北千畳部と南千畳を双翼とし、天守台北西部に花屋敷と称する一郭がある。廃城から約400年を経ているが、石垣がほぼそのままの状態で残っており、現存する山城として日本屈指の規模となっている。
石垣の集積は8,649平方メートル。全体的に穴太(あのう)積み技法による石積みとなっているが、穴太積みの中でも各方別に異なった部分もある。これは各方面別に頭領によって区分けられ、その一角を頭領を任せていたのではないかと推察されている。竹田城の石組は安土城の技法と酷似している。竹田城の本丸石垣は天守台南側の石垣で、高さは10.6メートル。
穴太積み(野面積み)
近江の比叡山山麓にある穴太(あのう)ノ里(現滋賀県大津市坂本町穴太)に住む「穴太衆」という人々が持つ石積み技法。
資料等:現地説明板&Wikipedia&パンフレットなどより参照。
写真は2014年10月1日撮影 ここより徒歩で城郭まで登っていきます。足元は良好
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兵庫県
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神社名:廣峯神社(別称広峯牛頭天王)
主祭神:素戔嗚尊、五十猛命 創 建:天平6年(734年) 住 所:兵庫県姫路市広嶺山52 電 話:079-288-4777 由 緒:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%AF%E7%A5%9E%E7%A4%BE 解 説:戦国時代の武将黒田重隆(黒田孝高の祖父)にまつわる伝説が伝わっているが、江戸時代以降、この手代の家の中で「黒田」を苗字とする家があり、家紋が福岡藩主黒田家と同様の「藤巴」であること、また、この家の男子の諱(いみな=本名)に福岡藩主黒田家の一族で諱字として用いられたのと同様の「重」「長」「政」「隆」の字を用いた者や、同様に通称で「官兵衛」の「官」の字を用いた者があることから、黒田重隆と何らかの関連性を持つ家であった可能性がある。 西の白幣山には吉備神社、荒神社、本殿周辺に熊野権現社、稲荷社、天神社、冠者殿社、大鬼社、庚申社、山王権現社、蛭子社、軍殿八幡社、地養社、東の峰には天祖父神社を祀る。 文化財等:本殿(文安元年、1444年)再建=室町時代、拝殿、宝篋印塔 その他指定:御田植祭(4月3日)=姫路市の無形民俗文化財 近隣施設:姫路城、書写山円教寺、 資料等:ウィキペディアなど 撮影日:2014年2月13日 場 所:スポットノート『神社祠map』に投稿します。 随心門
拝殿
本殿
末社群=県文化財指定
薬師堂
本殿内に薬師如来を本地仏として祀っていたとされる。 荒神社
吉備神社
霊木 息吹木(いぶき)
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姫路市立手柄山温室植物園 兵庫県姫路市手柄93番地 電話 079-293-7206
http://www.city.himeji.lg.jp/shokubutsuen ドーム型の大温室展示場660平方mでの洋蘭(シンビジューム、デンドロビウム)の展示会を見てきました。華やかな雰囲気の展示品でした。
入場料:大人200円 休園日:金曜日(休日のときはその前日)、12月29日〜1月1日 開園時間:午前9時〜午後5時(入園は午後4時30分まで) 駐車料金:200円 撮影日:2014年2月13日 場 所:スポットノート『綺麗な花が咲く所のMAP/動植物園施設map』に投稿します。 小温室
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武家屋敷『安間家住宅』 兵庫県篠山市西新町 079-552-6933
安間家(あんまけ)住宅は、現在篠山市立武家屋敷安間家資料館として有料公開しています。 安間家は篠山藩主青山家の家臣で天保八年(1837)の古絵図によると禄高は「高十二石三人扶持」と記されています。 母屋は正面を東に向け、間口六間半(約13m)、奥行七間半(約15m)あり、部屋割は正面に向かって左に玄関、右奥に庭園に面した八畳の座敷を配置し、玄関奥には台所、座敷の奥には仏間、居間が続いています。建築当初の姿を今によく残してことから平成六年(1994)五月二十日篠山町(現篠山市)指定有形文化財に指定。 内部には、安間家に伝来した古文書や日常に用いられた食器類や家具をはじめ、後に寄贈を受けた篠山藩ゆかりの武具や資料を展示しています。 文は篠山市立武家屋敷安間家資料館パンフレットなどより抜粋しました。 写真は2013年6月11日撮影 場所はスポットノート『古建築物map』に投稿します。 |
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篠山御徒士町(ささやまおかちまち)
兵庫県篠山市西新町 重要伝統的建造物群保存地区
慶長十四年(1609)に篠山城が完成し,城下の町割りが行われ御徒士町もその時にはじまっている。城の西側の濠ばたの道に平行して、西側に南北の通りをつけ、道の両側に徒士を住まわせた。この時に割り当てられた間口は、平均八間(14.5m)であったことは現状の境界などから復元的に確かめることができる。
その後の経過は定かではないが、天保元年(1830)に火災があって、大部分が焼失したと伝えられる。 復興に際して、道路の西側は、屋敷を約六尺(1.8m)後退させ、火災などの災害に備えたという。現在でも西側は、道路と土塀の間に犬走り状の空き地を持っているが、これがその時のものだといわれる。だから、現存する徒士住宅の大部分のものは,天保火災後に建てられたことになる。 御徒士町には今なお、10数戸の武家屋敷住宅が存在して、当時の面影をよくとどめている。 文は兵庫県篠山市HP&現地説明板より転載しました。 写真は2013年6月11日撮影
場所はスポットノート『古い街並み風景map』の投稿します。
安間家住宅 後日別途記事にします。
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