地震情報 2019年12月16日 4時17分 気象庁発表
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明石城

 明石城(別名:喜春城、錦江城)は兵庫県明石市明石公園の中に残された城です。縄張りは連郭梯郭混合式の平山城である。丘陵舌端に築かれ、本丸付近は柿本人麻呂を祀った人丸塚があったと言われており、この地は嘉吉の乱で激戦地となった。
 明石の地は、山陽道が通り、北には丹波国、但馬国への道が分かれ、淡路島、四国のルートがあり、古来より交通の要衝であった。徳川幕府が西国の外様大名の抑えの城として、姫路城についで着目した。
 元和三年(1617)信州松本城主より明石藩主となった小笠原忠真は、明石城の西方、明石川河口西岸にあった船上城に入城した。譜代大名たる小笠原氏10万石の居城として城郭を建設するよう、同年に2代将軍徳川秀忠より築城命令された。
 僅か50年の間に城主が目まぐるしく入れ替わったが、本多氏転封の後、越前家の松平直明が6万石で入城し、以後明治維新まで10代続く。
 
 城郭:連郭梯郭混合式平山城
 築城主:小笠原忠真
 築城年:元和四年(1618)
 主な改修者:松平直常
 主な城主:松平氏(越前慶)
 廃城:明治七年(1874)
 史跡指定 平成16年(2004)9月30日指定  巽櫓・坤櫓=重文(建造物) 昭和32年(1957)6月18日指定
 
 文は現地説明板&Wikipediaなどより参照。
 写真は2013年1月28日撮影
 場所はワイワイマップ『城・城址のMAP』にスポット投稿します。
 
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天守台
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 清盛塚十三重塚(平清盛供養塔) 兵庫県指定文化財(建造物) 昭和35年5月12日指定 神戸市兵庫区切戸町
 この石塔は、古くから清盛塚と呼ばれ、北条貞時の建立とも伝えられています。当初は現在地より西南11mにあり、平清盛の墳墓とも言わていましたが、大正時代(大正11年)に道路拡張に伴う移設の際の調査で、墳墓でないことを確認され、現在の地に移転されたました。
 石塔は、高さが8,5m、初層は一辺145cm、最上層は一辺88cmを測り、基礎部台石東面の両脇に「弘安九」「二月日」の銘があり、弘安九年(1286年)造立されたことがわかります。
 石塔の隣には、神戸出身の彫刻家であるや長原義達の作になる平清盛像が建てられています。今なお清盛塚は、地域の人々によって敬われ、大切に守られています。
 平成23年12月 神戸市教育委員会、岡方協議会 説明案内板より転載しました。
 
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 平 清盛 像(柳原義達 作、昭和47年建立)
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 琵琶塚
 なお、隣にある琵琶塚の碑は、もと清盛塚と道を挟んで向かい合っていたものを、清盛塚の移転と同時に現在地に移したものです。そこはもと前方後円墳があって、その形から琵琶塚とよんでいたのを、『平家物語』にみえる琵琶の達人平経正に結び付けて琵琶塚、つまり経正の塚といわれるようになったことは、江戸時代の文献にすでに記されています。 現在の碑は明治35年に建てられたものです。
 文は神戸市文化財ページより転載しました。 
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 住吉神社 祭神 住吉四柱大神(表筒男・中筒男・低筒男命・神功皇后)
 神戸港の西へ続く海岸線、和田岬の手前、兵庫の津は、古来風浪を避ける場所が無く、大風浪時には船を避難させることが出来ず、地元では難儀をしていた。
 明治十年新川が完成、船の通運が全く安全になったので、地元商家住民の熱望に依り、海の守護神と仰ぎ奉る住吉大神を守護神にせんとする熱意が実り、浪速の住吉大社より御勧請することとなり、地元の人々の敷地奉献の至誠により約七百坪の境内地を造成し、豪壮な住吉造の社殿を竣工し、明治十一年六月三日、遷座奉祝祭を斎行した。
 
 爾来(じらい)、神社裏(西側)東方の能福寺に繋がる道路左右には、商家が軒を連ね、大正末年には、市電が柳原から中之島へ通じ、また、南西側には清盛塚が移設され、神社裏の道路左右は「清盛塚商店街」と名付けられ殷賑(いんしん)をきわめるに至った。
 残念にも大東亜戦争の戦火により社殿以下付属舎悉く罹災したが昭和三十九年氏子、崇敬者の赤誠溢れる助力奉賛により社殿以下を復興建立した。
 平成十年は御創祀百二十年に当り、奉祝に大石鳥居の奉建あり、これを機に付属舎、境内整備等の奉賛事業を完了、平成十一年七月二十五日に奉祝祭を斎行した。
 文は、現地説明板より転載しました。
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 写真は、2013年1月28日撮影
 場所はワイワイマップ『源平ゆかりの地・伝説の地map』にスポット投稿します。
 永沢寺花しょうぶ園『冬ぼたん』
 兵庫県三田市永沢寺(えいたくじ)76
 079-566-0224
 http://www.shobu.co.jp/
 入園料 ¥300(季節によって変わります。)
 定休日毎水曜日
 兵庫県三田市、永沢寺花しょうぶ園で展示している冬ぼたんは、普通咲きのぼたんを前年の春の開花まえから、ぼたんの花芽を、温度管理しながら冬眠させ、少ない冬期に咲くようにしています。促成や抑制栽培のぼたんは、寒ぼたんに比べ花が大きく葉も青く繁り見ごたえがあります。
 常時状態のよい花を選んで藁菰囲い込みで20鉢を展示しています。
 今回はラッキーにも雪の後に伺ったので菖蒲園の雪景色と牡丹を囲っている菰の上にも雪があり風情漂う風景でした。ただ、園内積雪通路に車が通った轍があったのが残念でした。
 他に椿の鉢植えの室内展示をしております。接木盆栽仕立ての、小輪から大輪の珍しい品種が、数多く咲いています。
 永沢寺花しょうぶ園では昭和57年に全国各地から優秀品種2,000株を集め苦心を重ね、昭和61年に「三田・永沢寺 ぼたん園」として開園いたしました。関西地方にはぼたんの名所がたくさんありますが、当園は奈良の長谷寺や石光寺に次いで品種、株数の多さを誇っております。永沢寺は海抜550mの高地に位置しているため他所のぼたんと異なり開花が遅く例年4月下旬から5月中旬が見頃になりますので、関西では一番遅く鑑賞いただけます。
 文はWikipedia&永沢寺花しょうぶ園HP&パンフレットなどより転載しました。
 写真は2013年1月28日撮影
 
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ゲート
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入って直ぐ
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花しょうぶ園
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青原山・永澤寺

 青原山・永澤寺(ようたくじ) 兵庫県三田市永沢寺 079-566-0401
 宗派:曹洞宗 本尊:釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来三尊 開基:通幻禅師
 青原山・永澤寺(せいげんざん・ようたくじ)は、後円融天皇が室町幕府官僚の細川頼之卿に命じ七堂伽藍
を建立させ、応安3年(1370)に通幻寂霊禅師を開祖に迎え勅願所とされ、さらに青原山の勅願を受け日本最初
の僧録となった禅寺である。
 歴代住職により整備された諸堂は長享元年(1487)に焼失したが、徳川家により慶長13年から15年(1608〜
1610)に復興され、丹・但・播三国の僧録に任じられた。
 再度の火災後、安永年間(1772)頃に再建されたのが現在の本堂・開祖堂・庫裡である。
 堂内の秋葉殿には火防に霊験あらたかな秋葉三尺坊大権現が祀られており、開祖生誕の因縁に思いを寄せ
た総高9.2mの大観世音菩薩が妙高閣に、総高3.6mの大地蔵菩薩を開祖堂前にお祀りしている。
 文は曹洞宗近畿管区教化センターHPより転載しました。
 永澤寺HP
 http://www.youtakuji.net/
 写真は2013年1月28日撮影
 場所はワイワイマップ『』にスポット投稿します。
 周辺施設:花しょうぶ園・雲水そば道場
 
金鶏門
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勅使門
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玉兎門
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仁王門
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本堂
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鐘楼
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大石神社

【大石神社】
 大石神社は兵庫県赤穂市上仮屋旧城内に鎮座しています。主祭神は「大石内蔵助良雄以下四十七士命」「萱野三平」「浅野家三代」「森家七将」明治33年(1900)創建
 元禄赤穂事件以降、赤穂浪士を称揚する人々によって旧赤穂城内の大石邸内に小さな祠が設けられ密かに祀られていた。明治33年(1900)、あらためて「大石神社」として神社を創建することが政府から許可され、明治43年(1910)4月に起工、大正元年(1912)に社殿が竣工した。昭和3年(1928)、無格社から県社に昇格された。第二次世界大戦後、城内の神社に祀られていた赤穂藩主浅野氏の三代(浅野長直・浅野長友・浅野長矩)および、城外の赤穂神社に祀られていた、浅野家の後に赤穂藩主となった森氏の祖先の七武将(森蘭丸ら)を合祀した。

 大石邸長屋門
 この門は、浅野家筆頭家老「大石内蔵助」の一家三代が五十七年にわたり住んでいた屋敷の正面長屋門である。
 門口約26.8m 奥行き約4.8mの建物で、屋根瓦には双ツ巴の大石家の定紋が付いており、元禄の昔に思いを馳せ、内蔵助の偉業を偲ぶ唯一の建物となっている。
 元禄十四年三月主君の刃傷による江戸の悲劇を伝える早打ちが叩いたのもこの門である。左に八帖・八帖・八帖・押し入れ、右に六帖・七帖(床の間あり)・押し入れの各部屋がある。
 安政三年(1856)に大修理が行われ、昭和三十七年に屋根の大修理を行った。昭和五十二年十一月から翌五十三年十月に復元完成。
 『大石良雄宅跡』大正12年3月7日(1923)に史跡指定受けています。指定基準:旧宅、園池その他特に由緒のある地域の類
 文は現地説明板&Wikipedia&国指定文化財等データベースなどより転載しました。
 写真は、2012年3月20日撮影
 場所はワイワイマップ『神社map』にスポット投稿します。

 参道
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 義士石像表門隊大石内蔵助他二十三体討ち入り姿石像
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 山門
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 拝殿
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 本殿
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 長屋門
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