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義盛塚(よしもりつか) 香川県高松市牟礼町
源平屋島合戦古戦場の一つである。 源氏のさむらい伊勢三郎義盛の陣所跡ではないかと言われている。 また、同じ源氏のさむらい鎌田光政の墓ではないかとも言われているが、確たる証はない。 旧牟礼町教育委員会(現高松市)説明板 原文のまま 写真は、2012年3月18日・2013年3月12日撮影 場所は、ノートスポット『源平ゆかりの地map 』にスポット投稿します。 アクセス:ここに行く道はない。田んぼに畦を通ていくしかない。白羽公民館西側南に直ぐに右にある路地を西に自動車修理工場の所を左折(南)に行くと農家の北側にコンクリートで出来た畦がある。その畦の上を東に向かって進み田んぼの中にビニールハウスの間のお堂が義盛塚です。全て畦道のような所通らして貰います。 サクラ(桜)‘ダンチオウトウ(暖地桜桃)’
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源平ゆかりの地
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源氏方及び平家方のゆかりの地と資料等展示場(博物館)の書庫です。
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十三人のお塚さん
元暦二年(1185)、屋島の壇の浦で源平合戦がありました。その戦で、源氏が勝ちました。 敗れた平氏の軍の十三人が、八坂町(旧石田村現さぬき市寒川町)へ逃げて来たそうです。その時、十三人は すでに力つきており、八坂町のあちらこちらで死んでしいました。
村人達は、「かわいそうに、戦いはいやじゃ、いやじゃー」 「みんなで、お塚様をたてよう」 そう考えて、十三人の者が死んだ所に一つずつ、十三柱のお塚様をたてました。 みんなは、はじめはおまいりしていましたが、しだいに忘れはじめました。 そのうち、家がたち、道路ができ、土を掘りおこしているうちにお塚様もどこかへ移り、わからなくなってしまいました。 「お塚様は、どこへ行ったのかのう?」
みんなも、忘れてしまっていたのでした。 そして、何年か後、この八坂町に赤痢がはやり、何人かの人が死んでしまいました。 「苦しくて死にそうじゃ。これはお塚様のたたりじゃー」 みんなは、はっとしてお塚様のことを思い出しました。 「わたしらは、あの時からお塚様へまいっていない」 「今からおまいりするゆうても、お塚様がどこにあるかわからん」
「そうだ。十三塚をつくろう」 「十三塚?」 「そうだ。十三あったお塚様をひとつにして十三塚じゃ」 「そうじゃ。大日堂の前にたてよう」 村人みんなで、お塚様づくりにはげみ、みんなで一生けんめいおがみました。 すると、赤痢で苦しんでいた人もだんだんよくなり元気になりました。 「やっぱり、たたりだったんじゃのう」 と村人は言いました。 今も十三塚にはいつもきれいなお花を供え、村人がおがんでいます。 文は、さぬき市文化財保護協会寒川支部HPより転載しました。 写真は2013年1月20日撮影 場所はワイワイマップ『源平ゆかりの地・伝説の地map』にスポット投稿します。 大日堂
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姿見の井戸 香川県東かがわ市丹生小磯の山裾の地区に「姿見の井戸」というのがあり標柱が建っている。
曰くありげな集落にあり静がこの海岸近くの生家で住んでいた頃の此処で化粧して井戸の水面を鏡代わりにしていたと伝えられている。 地元では静御前がこの地の出身であるという口承は広く知られており、静ゆかりの話は多い。 磯野禅尼、静御前母子の生家跡といわれてる所はここより少し海岸より山沿いの田圃なっている場所である。 静御前母子の生家跡記事↓↓↓↓ http://blogs.yahoo.co.jp/sanukimesatobuttestyle/30477504.html 文は津村明著「義経讃岐を駆ける」より転載しました。 写真は2013年1月10日撮影 場所はワイワイマップ『源平ゆかりの地・伝説の地map』にスポット投稿します。 姿明神
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矢止めの松 香川県高松市中野町
いつの頃か合戦のさいの矢止めになった松といわれるようになった。栗林公園北側のJR四国高徳線高架下にある民間駐車場の隣に小さな公園にある松が一本立っているその樹がそうだといわれる。 源平合戦は屋島山麓から対岸の八栗・庵治にかけての一帯で展開されが相当広い範囲で白兵線が行われたと見られ、高松市中野町あたりは海際だったので船で逃げる平家を追ってこの辺でも一戦を交えたのかもしれません。 文は津森明著『義経讃岐を駆ける』より転載しました。 写真は2012年11月28日撮影 場所はワイワイマップ『源平ゆかりの地・伝説の地map』にスポット投稿します。 |
義経の愛妾だった白拍子の静御前といわれる人物は伝承に包まれた部分が少なくない。義経と讃岐に同道した話はないが偶然にも“讃岐を駆けた”義経と同じ地域に縁(ゆかり)の場所が多い。母は讃岐丹生(さぬきにぶ)出身の磯野禅尼ともいわれ京に出て白拍子(しらびょうし)となり、静を生んだといわれる。東かがわ市小磯が故郷といわれ、古刹釈王寺の近くに「静御前生家跡」の標柱が建っている。かつて五輪塔もあったが今は白鳥の方へ移転しているという。 また井戸も近くに残っていたが今は埋めているという話である。 文はWikipedia&津森 明 著『義経讃岐を駆ける』&現地説明板などより参照・転載しました。 写真は2012年11月5日撮影 場所はワイワイマップ(源平ゆかりの地map)にスポット投稿します。 |





