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山口県

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長門・国分寺

寺 名:長門・国分寺 (浄瑠璃山・国分寺)
本 尊:薬師如来
創 始:
宗 派:高野山真言宗
札 所:山口不動霊場1番
住 所:下関市南部町4−1
マピオンマップ↓↓↓↓

電 話:083-222-2081
由 緒:天平13年(741)に開創した長門国分寺は市役所の裏手の山にあり、本来は市内長府にありましたが、明治23年(1891)に現在の場所(大隆寺跡)へ移転しました。【明治政府の廃仏毀釈の嵐で衰退して、現在地に移転したもの思われます。】
 戦災で本堂など建物一切が焼けてしまいましたが、寺宝の「十二天曼荼羅図」と「不動明王立像」(いずれも国指定重要文化財)は当時奈良に疎開していたため、幸いにも難を逃れています。
解 説:創建当初の国分寺跡は、下関市長府町にあります。住宅地に礎石が1基残っているだけです。
 国分寺は、史跡跡に広い境内をもつところが多いですが、当寺は、市役所の西側の山裾に境内があります。
文化財:十二天曼荼羅図=重要文化財 明治37年02月18日(1904)指定、不動明王立像=重要文化財 明治35年07月31日=1902指定
資 料:WEBなど
撮影日:2016年10月7日
近隣施設:功山寺長府毛利邸長府庭園

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長府毛利邸(長府惣社町)
池泉回遊式日本庭園
住 所:山口県下関市惣社町4-10
マピオンマップ↓↓↓↓

電 話:083-245-8090
運営会社:下関市公営施設管理公社
開 園:明治36年(1903)に完成
文化財等:
休場日・開場時間・入場料は↑↑↑↑
資料等:現地説明板など
 長府毛利邸は、長府毛利家第十四代当主・毛利元敏公が、東京から帰往し、この地を選んで立てた邸宅です。明治三十一年(1898)に起工し、明治36年(1903)六月二日に完成した後、大正八年(1919)まで長府毛利家の邸宅として使用されました。
 その間、明治三十五年十一月には、明治天皇が熊本で行われた陸軍大演習をご視察の際、当邸を行在所として使用され、一部の部屋は当時のまま残されていて、往時が偲ばれます。
 また、津軽家に嫁がれ、常陸宮華子妃殿下の御生母となられた久子様(元敏公のお孫さんにあたる)も、この御屋敷で幼少時代を過ごされています。
 邸内にある庭園は、池泉回遊式で、苔・池・楓・灯篭等配置の妙は、新緑や紅葉の季節に一段と映え、しっとりとした日本庭園の佇まいを感じさせてくれます。
撮影日:2016年10月6日
近隣施設:寺院史跡など多数。長府庭園、功山寺、

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大玄関
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内部
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長府庭園

長府庭園
回遊式日本庭園
住 所:山口県下関市長府黒門東町8-11
マピオンマップ↓↓↓↓

電 話:083-246-4120
運営会社:下関公営施設管理公社
開 園:
解説等:長府庭園は長府毛利藩の家老格であった西運長(にしゆきなが)の屋敷跡で小高い山を背にした約31,000㎡の敷地には、池を中心に書院・茶屋・蔵・あずまやが残され、かつての静かなたたずまいが今日まで残されています。
文化財等:
資料等:高杉晋作と幕末志士WEB、長府庭園HP
撮影日:2016年10月6日

西 運長
藩正規軍を率いた長府藩家老
文政9年、長府藩士児玉邦行の三男として生まれる。文政13年、長府藩家老西義定の養子となる。文久3年、外国船砲撃の際は海防掛として攘夷戦に参加。元治元年、蛤御門の変に関する陳情のため上京。慶応元年、三条実美ら五卿の筑前への渡海に尽力。第二次長州征伐では、小倉戦争にて中軍大隊長として活躍した。維新後、豊浦藩大参事に任命される。明治8年、死去。
変名:西図書、西小豊後、西雪江、穂田運長
主な役職:長府藩家老、長府藩海防掛、長府藩中軍大隊長、豊浦藩大参事
墓所:下関市長府侍町 日頼寺

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みもすそ川公園

みもすそ川公園
都市公園(街区公園)
住 所:山口県下関市みもすそ川町
マピオンマップ↓↓↓↓

電 話:
運 営:下関市
開 園:
文化財等:壇ノ浦古戦場趾
資料等:現地説明板、Wikipedia、
撮影日:2016年10月7日
近隣施設:火の山公園、関門トンネル人道入り口、

 御裳川はこの場所で関門海峡に注ぐ小河川だったが、現在の河口は公園と国道の下に隠れている。
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源義経・平知盛像
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天保製長州砲
 幕末、関門海峡での6次にわたる攘夷戦は、元治元年(1864)8月、長州藩兵と英・仏・蘭・米4ヵ国連合艦隊との交戦を以って結成したが、同時にこれは明治維新の具体的始動につながった。この歴史的事件で下関海岸砲台に装備された長州藩の青銅砲は、すべて戦利品として外国に運び去られ国内から姿を消していた。
 1966年春、渡欧中の作家「古川薫」氏がパリ・アンヴァリッド軍事博物館に保存されている攘夷戦長州砲を発見、以来返還運動が進められたが実現困難のところ、郷土出身の外務大臣「安部晋太郎」氏の努力とフランス政府の好意によって1984年6月、貸与の形式で里帰りを見るに至った。この機会に下関東ロータリークラブでは、フランス政府の了解を得、創立20周年記念事業として、これを原寸大かつ精密に模倣し下関市に寄贈された。
 同長州砲は天保15年(1844)6月萩藩の鋳砲家「郡司喜平治信安」の手になるもので、幕末日本人の対外危機感を象徴する歴史的逸品である。
 鎖国に眠っていた日本史がようやく世界史に組み入れられる瞬間を目撃したこの物言わぬ証人を、海峡のほろりへ永久に安置しょうとするのは、歴史に富むこの地の発展と世界平和を祈念する趣旨にほかない。
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特牛灯台

名  称:特牛灯台(こっといとうだい)〔0709〕
住  所:山口県下関市豊北町
マピオンマップ↓↓↓↓

塗  色:白色
塔  形:コンクリート造六角形
塔 高(地上〜塔頂):6.3m
灯火標高(平均海面〜灯火):27.0m 
灯質・灯色:単明暗白赤光 明6秒暗2閃光
光達距離:13.0海里
明 弧:白光95〜104°赤光分光35〜90°(鼠島、壁岩及び港口付近の険礁を示す。)
初点灯:明治45年1月15日
エピソード:
アクセス:特牛交差点を少し行くと(191号角島方面)漁港沿いに左折します。行き止まりまで行きません。手すりのついた階段があります。(草でおおわれて少ししか見えなかも)
周辺施設:角島大橋、角島灯台、
資 料:海上保安庁刊行「灯台表」&より転載しました。
撮影日:2016年10月6日撮影

特牛地ノ瀬照射灯〔0710〕
灯火標高(平均海面〜灯火):26.0m 
灯質・灯色:不動白光
灯光は、特牛灯台の西南西方150mの特牛地ノ瀬上の標柱(白柱形、高さ平均水面上3m)を照らす。併設。

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