I wish you all the luck.

「随喜功徳」(ずいきくどく) よかったねと一緒になって共に喜ぶということは「功徳」、 つまり徳を積むことになるのだそうです。

:・゜☆感動の話 。・:*

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神様への手紙


神様への手紙


胸が張り裂けそうです・・・

私も返してほしい人がいます。
いくら願っても かなわないけど・・・
この子の気持ちが痛いほどわかるから。。。

だから 涙が止まりませんでした
前にも書いたことがある記事ですが・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/sanutohiromi/5779405.html


地域に溶け込む出会い

東京生まれの鎌田さんが長野の諏訪中央病院で医師人生をスタートさせたのは、医師不足と聞いたからだ。
ところが当時、大幅な赤字を抱えていた病院は新しい医療機器の購入もままならず、患者離れが進んでいた。
そこで、鎌田さんは自ら地域に出向き、病気の予防活動を始めることにした。
しかし、脳卒中の予防に減塩が大切だと話したあとに、しょうゆをかけた野沢菜が出てくるなど、なかなか理解してもらえなかった。大きな転機となったのは、諏訪御柱祭りを見学する鎌田さんに声をかけてくれた小林一江さんとの出会いだ。一江さんは面識のなかった鎌田さんを自宅に招き、集まっていた地元の人々を次々と紹介してくれた。
それがきっかけとなり、各地の公民館で年に80回もの講演をするほど、鎌田さんは積極的に地元に溶け込んでいくことになった。


告知の大切さを知る

そんな中、一江さんの夫・邦利さんが白血病を発病。鎌田さんは一江さん夫婦には病名を告知せず、重い貧血と告げた。
明治生まれには珍しい恋愛結婚だったという仲むつまじい両親を心配する子どもたちの気持ちをくんだのだ。
鎌田さんは夫婦が多くの時間を一緒に過ごせるよう自宅療養を勧めた。
ところが一江さんは、畑のことを気にかける邦利さんを安心させるため、せっせと農作業に出かけてしまう。
その回数が多くなるにつれ、二人の時間は減っていった。そして半年後、邦利さんは66歳で亡くなった。

3年後、一江さんは鎌田さんに
なぜ病気のことを話してくれなかったのか。
 もう助からないと知っていたら、一緒にふとんに入って昔話をしたのに」と告白した。
かけがえのない時間を奪ってしまった後悔、そのうえ仲良しの一江さんが3年も経つまで本音を言えなかった事実に鎌田さんは衝撃を受けた・・・


告知の難しさ・・・治療と生きるということ・・・色々考えさせらる内容の本です。

生き方というより、死に方を考えねば・・・
思った時間でした。

神様への手紙



『その人が居る』 それを私は当たり前の様に感じている毎日。
何処かで『その人が居てくれる幸せ』を忘れていたのかも知れませんね。

小さなおにぎり

最近不況でネット難民だの派遣切りだの 他人事ではないな話にある日のことを思い出した・・・





もう10年以上前の話ですが、昔オンボロアパートで一人暮らしをしていた時の事です。

私は安月給でお金は無かったのですが、無いは無いなりに何とか生活してました。

小さなプランターで野菜を作ったり、田舎なので田植えを手伝ったりしてお米をもらったりして・・・


私の隣の部屋には 当時50代くらいのお父さんと5〜6歳位の女の子が暮らしていました。

お隣さんは何をしてるのかは判りませんでしたが 何時も静かな生活をしてるな。。。と
それくらいしか思ってませんでした・・・

お父さんとは会えば挨拶する程度でしたが、娘さんとは仕事から帰ってくるとよく話してました。


何時も娘さんは小さいのに洗濯場で洗濯をしていたので、
ある日思い切って「お母さんは?」と聞くと

女の子は 「私を産んですぐ死んじゃったの。だからお母さんはいないの・・・」 といってました。


いつだったか、夕方、に女の子が一人さびしそうだったので
「今日もお父さん遅いの?」
「・・・うん。でも大丈夫、慣れてるから・・・」とはなしたことがありました。


女の子のお腹は「グーー」となりましたが我慢しているようだったので
「あれ?○○ちゃん、お腹空いてるんでしょ?待ってて」
「・・・うん・・・でも、お父さんが帰ってこないとご飯食べれないから。
 私が食べちゃうとお父さん一人になっちやうから待ってるの」


私はちょっと切なくなってしまった。
こんなにものが豊富にある時代にお腹をすかせている子がいるなんて。。。
私は自分の部屋から残りのご飯で作ったおにぎりをもっていってあげました。

女の子は喜んで食べましたが半分お父さんにあげるんだと残していたので
お父さんの分はまた作ってあげるからだから全部食べていいんだよって言ってあげると
凄い勢いで食べてました。結局 とてもお腹がすいていたようなので私の部屋でご飯を食べさせて
その日は帰りました。

私はきっと 何時もこんな生活をしてるのかと思ったら切なくなってしまいました。



ある日私が風邪で寝込んでいるとき玄関からドアをたたく音が聞こえたのでドア越しに
「どなた?」というと
「おねえちゃん、具合悪いの?ご飯もってきたよ」といい、
形のいびつなおにぎりを持ってきてくれたのです。

味も何も無いおにぎりだったけど私はホント驚いたのとうれしさで涙がでました。
小さい手で 一生懸命に握ってくれたんだろうな。。。
「ありがとう、よく具合悪いのわかったね?」

と言ったら、
「おねえちゃんが朝、お仕事に出て行かないから。ゴホンって聞えた・・・」

といっていたのです。わたしはホントにうれしかった。
今もその味がないいびつなおにぎりのおいしかったのを覚えてます。



それからだいぶたった頃・・・
何時もなら遊んでいる頃なのに 女の子と会わない日が続いた。

どうしたのかな?と思う程度で初めは余り気にはしてなかったのですが
余りにもシーンとした日が続いたので心配になりました。

そしたら ある日、仕事から帰ると救急車が止まっていました。


「何かあったんですか?」と駆けつけてた大家さんに聞くと。

「○○さん・・・とうとう無理心中したんだよ!まったくさ!!!
                    ホントに、よそで死んでくれれば良いのに」

と吐き捨てるように言ったのを覚えてます。



やがて救急隊員が担架で運んできたのは、顔までかけられた毛布の小さな遺体だった

・・・まさか・・・。



私はどっと涙が出た・・・どうして・・・


だいぶたってから判った事ですが、女の子のお父さんは病気がちで仕事もできず、
ガスも水道も止められていたらしいのです。

毎日親戚や施設を当たったり 女の子の居場所を探していたそうです。

最後の電気が止められる時に、事情を聞きに市役所の職員が大家さんに話を聞きにきたそうだが

大家さんは我関せずだったようです。


それからまもなく事件が発覚したそうです。

食べる物も無く米どころか食品は何も無かったそうです。


「おねえちゃん、具合悪いの?ご飯もってきたよ」
その言葉が何度も何度も頭で繰り返されました。


あの時すでに食べる物はもう無かったんだ・・・
きっと自分の分を私にくれたんだ・・・
・・・・

あの女の子は、自分も辛いだろうに・・・
それなのに私を可愛そうと思い、あの小さな手で一生懸命おにぎりを
作ってくれたんじゃないだろうか?
本当は自分の食べる分だったのかも知れない・・・・。

私は何でこんなことになる前に 救ってあげれなかったのか。。。
とても悔やまれて手仕方がありませんでした。。。

なので不景気のニュースを聞くと この事件を思い出しとても切ないのです。


国や施設は子供をなぜ救えなかったのか。。。。

なぜ親戚はあの子を助けてあげれなかったのか。。。

この女の子もお父さんも 市役所の生活保護が受けれたはず
それなのに市役所は動くのが遅い!


私は隣で心中があったからアパートを出たんではなく
この大家に腹がたち余りの非情さに アパートを出ました。。。

その数ヵ月後 このアパートは住人によっって放火されたと近所で噂が流れました。

とにかく火事の原因は判明してませんでしたが大家はこの火災で亡くなりました
恨みをかなりかっていたのをその火事で知りました
当たり前だと誰も大家をかばうものはいませんでした・・・
近所でも悪評の大家だったので住人はすぐいなくなっていたようです、

女の子は生きていれば今は高校生くらいなんですよね。。。

「眠ると呼吸が止まる女の子」


岩手県に住む愛織ちゃんは1歳8ヶ月。眠ると呼吸が止まってしまう病気だ。
ウンディーネの呪い(先天性中枢性肺胞低換気症候群)
遺伝子変異による呼吸困難。重傷例では眠ると呼吸が止まる。
軽度のものも含めると幼児20万人に一人の割合で発症。
いつ眠りに落ちるか分からない・・・人工呼吸器をつけずに眠ることが、死に繋がるのだ。
小さなベビーベッドの上だけで、常に人工呼吸器をつけて生活する姿に、
母は自分の心の中にある気持ちに気付く。そして親子の挑戦の日々がはじまった。

この愛織ちゃんの両親はまだ24・25歳の夫婦。ほんとに自分の娘だからこそ
少しでも長生きして欲しい。そう思い一度は心が折れてしまったが、愛織ちゃんの懸命な姿に
親心を取り戻し 一生懸命に看病しながら日々格闘しています。
母は愛織ちゃんが寝た後 3時間おきにのどのチューブの水滴を取らないといけない生活を
愛織ちゃんが生まれてからずっと一日も欠かさず行ってる、それこそ自分の時間なんてない。
でもわが子の為に懸命に いのちのチューブを守っているのです。
一生はずれることのないチューブ。。。見ていて泣けてきました。親の鏡です。


「海人くんの卒業式」

加賀市に住む重度障害のある海人(かいと)君が小中と普通校に通い子供たちと交流を深めていく。
児童生徒も、教師も周囲の大人たちも海人君を障害者としてではなく
一人の人間として受け止めていき、気づきを得ていく様子に、大きな感動を覚えました。

海人君は、顔の表情で友達と会話する。
友達に話しかけられると、その笑顔はひときわ輝く。4歳までしか生きれないといわれた海人くん
脳に障害があり 会話はわからないが 回りの様子はわかる。
多感な中学生時代。髪を染め、ズボンをずり下げて、周囲の大人に眉をしかめられるような友達もいる。
だがそんな彼らが、なぜか海人君の周りに集まってくる。
海人君を見ると和むらしい。ヤンキーだった少年が海人君を大切にしているようすが
ホント感動しました。みんなとなじめなかった少年がこの海人君と知り合ったことで
みんなの先頭になり また海人君の為に何かをし海人君からの贈り物を一生大切にするといったこと・

人生を投げていたのに海人君とであったことで進学を決意したこと。
言葉はなくても心で会話が出来たんだと思いました、

海人君のご両親は、自分たちをオープンにすることで
周囲の偏見の目や差別の心を一掃することができてきたんだと思います。
風通しが良いと、心も清々しくなりますね。

障害を持った子どもの自分の子育てを振り返ったと涙ぐんでる方もおられました。

出会っていかないといけないなあ。知り合っていかないといけないなあ。
それも何度も何度も。できたら毎日毎日。できるだけ毎日一緒にいることがものすごく大事だな。
悲しい時も苦しい時も嬉しい時もいつもいつも君がそばにいたから、
本当の友だちになれたから心が通い合える。そういうのが、本当に大事だ。
そんなふうに感じました。

もっともっと障害を持った人と、私たちは出会っていかないと!
出会う場を作っていかないと!

障害のある人に何かをしてあげようっていうんじゃなくて共に生きる。共に学ぶ。
その中から、本当に大切な気づきをみんながお互いに頂いていくんだと思いました。

きっと、海人君の両親は、その大事な気づきを海人君から与えられてさらに、
本人たちが気づかないうちに、たくさんの人と出会わせるという
大事な使命を果たしてこられたんだと思います。


偏見や差別は、よく知らないことが原因のように思います。
障害者だけではく、外国人や女性、また職業や住む地域の違いでの差別や偏見もあります。

最近、教育現場でも、人権について学ぶ機会が設けられないような状況になってきたと聞きました。

しかし、差別や偏見は、その事実をまず知り、お互いに知り合うことで
少しずつなくなっていくのだと思います。
簡単ではないけれど、でも、放置しておけば、ますます辛い世の中になっていきそうです。。

世界中の大小問わずあらゆる争い…それが勃発した大きな理由の一つは、
知らないことからくる恐怖だと思います。

まず、みんなで自分の中の「恐れ」を「喜び」に変える旅へ出かけなければと感じました。

障害のある海人君に初めて出会って驚きとまどう子ども達や大人達。
また、彼を一人の人間として受け止めいくやんちゃな中学生もいます。

わたしは、人間が誰しも持っている優しさに触れて心から感動しました。
それをどうしてもたくさんの人に知ってもらいたいです。

どんな人も優しさを持っていることがわかれば醜い争いも少なくなっていくと信じています。



「太陽の光に当たれない少年」


池谷鉄兵さんは、ポルフィリン症患者で 強い紫外線に当たると死に繋がるという病気だ。
このため鉄兵さんは黒い頭巾をかぶるなど黒ずくめの服装で日々を送っている。
病気と闘う一方で、鉄兵さんは、ある大きなものとも闘っている。それは・・・周囲の目だった。

彼の体内に大量にたまるポルフィリンは紫外線に当たると毒になり、肝不全を引き起こすタイプ。
ポルフィリンの種類によって、日に当たらなくても腹痛から全身麻痺になるタイプもありますが、
最悪の場合にはいずれの患者も死亡します。

池谷さんは小学校5年生の野球大会の後、発症。痛みを伴うほど皮膚が赤く腫れた上、
息苦しくなりました。それから、病気がわかるまで2年かかりました。
医師もほとんどなじみがないため、ポルフィリン症とわからないまま死んでいく患者も多いと言います。


「被って、普段眼鏡なので、コンタクトレンズにして、スパイダーマンの出来上がり」

東京都中野区に住むポルフィリン症患者、伊藤耕介さん(23)も、
日差しの強い日に限り黒ずくめの格好で外出します。
本当の病名がわかるまでには医師からとんでもないアドバイスを受けたこともありました。

「(医師は)『日焼けに過敏だから少しずつ(外に)出ていって日を浴びて、最初はがまんしかない』
と言われた。
うのみにしていたら、今死んでいたかもしれない」

今年、大学を卒業した伊藤さんはプロのミュージシャンを目指しています。
夢の理由にも自分の病気「ポルフィリン症」があります。

「もし有名になれば社会に向け、発信できる特性がある。
もし病気でも病気だと気付いていない人もいるかもしれない。
病気を知ることで患者とわかって、人数が増えればもっと認知される」

ポルフィリン症の患者の会が国の難病指定を求め署名活動に取り組むのは、今回が初めてです。
治療の確立と負担軽減が目的ですが、まずは「病気のことを知ってほしい」と池谷さんは願っています。

「何もしないより、自分も参加して、たとえ(難病)指定されなくても、
こんな病気があると知ってもらえば、今後のためになる」といっています。

ポルフィリン症の患者の中には 薬で抑えられる人もいます。
でも 海外でしか許可が下りていないため 日本では使用できないことでいのちを落としている人も
いるそうです、なぜ日本ではダメなのか。。。その病気に効くといわれているのになぜ。。。

胸が痛みますね。。。

皆さんも 世の中には沢山の難病と戦っている人がいることを判ってください

そして偏見の目なんかで見ないであげてください。
同じ人間です。 違いなんてありません

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