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昔から良く恋愛はするものではなく 落ちるものだという
確かにそうかもしれないと思う瞬間がある。。。恋をしているときは凄く楽しくすべてが輝いている
でも愛は落ちてしまったら限りなく落ちて行ってしまう・・・
貪欲に欲張り がむしゃらに追いかけ 最後には自分を苦しめてしまう
這い上がるのにとても時間がかかり時には人格さえ変えてしまうもの。。。
人生をかけるほどのときもあるかもしれない。。。
愛は生命の花なんでしょうね・・・
こんな名言格言もある
愛の反対は憎しみではなく無関心である。
マザー・テレサ
真の愛は悪に対する憎悪を十分にふくむものである。
仮面的の愛または浅き愛は、悪を憎むことを知らない。
けれども深き真なる愛は、かくあることはできないのである。
内村鑑三 「ロマ書の研究」
愛と憎しみ、それはわれわれの生命の最も深い根底である。
フォイヒタースレーベン 「魂の養護学」
愛と憎しみはまったく同じものである。
ただ、前者が積極的であり、後者が消極的であるにすぎない。
グロース 「犯罪心堺学」
どの言葉も凄く私的には理解できる。
特にマザーテレサの言葉は私の心に凄く深く残っている。。。
深く愛することは盲目になり周りがわからず、自分のしていることは正しいと思いこみ。。。自分を苦しめる。
正直今もその傷は癒えてないようだ。。。ふとした瞬間に思い出し落ち込むことがある・・・
しかし新しい恋をした瞬間苦しまなくなり ある日突然なんであんなに苦しんだのか笑ってしまった時・・・
これが無関心なんだと思えた一瞬。。。 これは恋愛だけにある話ではない。
この無関心という言葉は凄く残酷な言葉で行動・・・
憎しみは相手を憎み苦しんでいる時無意識にその人を思いながらすることだが
無関心・・・・心のどこにもない 頭の中にも何にもない 存在自体が無い・・・
ふとそのことが怖くなることがある。。。でも苦しまなくていい分 楽にはなるかも
愛するが故に 相手と離れることもある 愛しているからこそ相手の為に自分の気持ちを殺して・・・
愛するが故に 相手の為に苦労も乗り越えられる。
愛するが故に 相手の希望をかなえるため 手をかけることもある。たとえそれが殺人でもいとまない
ある種の 麻薬 なのかもしれない・・・
いけないと解りながらも その行動は止められないのだ
でも苦しむのが愛なら しなければいいのにという人もいるが 止めがきかないのが現実なんでしょうね
いろんな形の愛が存在する中 間違った愛もあるが 本人は気づかないもの
それでも 貫き通してしまうそういうものなのかな。。。
ふと最近いろんなことを考える。。。 私もまだ人を愛はすることができることを
異性を好きになるだけが 愛ではなく 他人にもその感情を持てることにうれしくなる。
でも 時々自分ではわからないくらい恐ろしい自分もいる。。。
残酷な人なんだろうか・・・ これが本当の私なんだろうか・・・
自分がわからない・・・ 他人からいろんな「私」へのイメージを作られて生きてきたこと
そういう私でないといけないと勝手に思い イメージ通りの私を作って生きていること
ホントの私は どれなんだろう・・・私はどこにいるのか・・・
人は愛を拒否された時 変わるものです。
それは 時には残酷にもなり 時には自分の人生を変えるくらいの大きな変貌をとげる
愛を知らない人は 人を愛することができないのではなく 愛する方法がわからないんでしょうね
結果 相手を気づつけてしまうのかもしれないですね。。。
別に私自身に何かあったわけではないんですよ。
ただ 私を愛してくれている人がいるのか。。。いまの恋愛は何のためなのか。。。
ただただ ふとそう思ってしまった。。。
熱があるせいで一日こんなことを考えているんでしょうね・・・
なくしてから気づくんではなく なくす前に気づかないといけないんですよね・・・
凄く今日はオセンチ全開で 窓の外の雪を見ながら 鑑賞にしたってます・・・
雪 積もるのかな・・・
雪のように溶けてなくなりたいとふと思った
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