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■自己啓発書の名言・格言 『心の持ち方』 私たちは心の中で映画を上映している。 どうせなら、楽しい映画を上映すれば、ポジティブな気持ちでいられる。 自己中心的名人は称賛を求めるが、自尊心の高い人は称賛を求めない。 自分の価値を信じているから、他人からの称賛など必要としないのである。 「人生は楽しいものだ」と考えるならどうなるだろうか? まだ楽しくなくても、あなたは人生を楽しくするために努力するはずだ。 どんな障害に出くわしても、それを乗り越える方法を見つけるだろう。 内なる批判者は「過去」と「失敗」にこだわるが、 あなたは「現在」と「成功」に意識を向けて生きていくべきだ。 内なる批判者と仲よくしてはいけない。それは、あなたの最大の敵なのだ。 ミスを犯した自分を厳しく責めるのではなく、そのミスから学ぶことを心がけよう。 ミスを犯さない人がいるとすれば、それは何もしない人だけである。 親切について心に銘記すべきことは何だろう? それは、「親切は連鎖する」ということだ。あなたが誰かに親切にすれば、 その人も誰かに親切にしたくなる。こうして親切の輪が広がるのである。 私たちが愛を感じていないわけではない。 問題は、愛を感じているのに、それを内に秘めてしまうことだ ジェリー・ミンチントン『心の持ち方』より ■補足 なんだか、人生がつまらなく感じている時、 そんな時には、 「人生を楽しいものと見る工夫」 が必要かもしれません。 物の見方を変えることで、客観的な事柄を変えることはできないけれど、 客観的な事柄に対する自分自身の思いと行動は、変えることができるはず。 自分の心の映像が、周りの環境によって決まるものと見たなら、 環境に左右されるだけの人生になってしまう。 しかし、周りの環境がどんな環境であっても、 自分を成長させ、楽しませるものであると見たなら、 「人生を楽しくするための努力」 つまり、人生に対して積極的な行動をとるようになるはずです。 ジェリー・ミンチントン『心の持ち方』では、 積極的な心の使い方、物の見方について書かれています。 人生をポジティブに捉え直してみたい人にオススメの一冊です。 なんだか、人生がつまらなく感じている時、 そんな時には、 「人生を楽しいものと見る工夫」 が必要かもしれません。 物の見方を変えることで、客観的な事柄を変えることはできないけれど、 客観的な事柄に対する自分自身の思いと行動は、変えることができるはず。 自分の心の映像が、周りの環境によって決まるものと見たなら、 環境に左右されるだけの人生になってしまう。 しかし、周りの環境がどんな環境であっても、 自分を成長させ、楽しませるものであると見たなら、 「人生を楽しくするための努力」 つまり、人生に対して積極的な行動をとるようになるはずです。 ジェリー・ミンチントン『心の持ち方』では、 積極的な心の使い方、物の見方について書かれています。 人生をポジティブに捉え直してみたい人にオススメの一冊です。
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好きな本♥
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これから私が呼んだ本について沢山感想を書いていきたいと思います
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その警官は巡回区域の通りをこれ見よがしに歩いていた。これ見よがしなのは習慣的なものであって、 だれに見せようというわけではなかった。というのも、見物人はほとんどいなかったからだ。 時刻はまだ夜10時にもなっていなかったが、小雨を含んだ冷たい風が通りから人々を追いたてていた。 行く先々の戸口を確かめながら、警棒をくるくると複雑かつ巧みに振りまわしつつ、 ときおり急に首を回して公道に用心深い目を向け、若干ふんぞりかえって歩く体つきの がっしりした警官。平和の守り手のみごとな絵姿である。このあたりは夜早く寝静まり朝早く目覚める 一画だった。煙草屋や終夜営業の定食屋の照明がときどき目につく。 が、大部分が商業地区に属するため、戸口は軒並みとっくに閉ざされていた。 あるブロックの中ほどまできたところで、とつぜん、警官は歩くスピードを落とした。 灯りを落とした金物屋の戸口に、葉巻をくわえた1人の男がもたれかかっていた。 警官が近づいていくと男はあわててしゃべりだした。 「なんでもないよ、お巡りさん」と男は言った。 「友だちを待ってるだけ。20年前の約束なんだよ。妙な話と思いなさったね? そうだな、ちっとも後ろ暗いことじゃねえってのを確認しておきたいんだったら、説明してやるよ。 そのころはこの店が立ってるところにレストランがあってね――
「5年前までの話ですね」と警官。「それから取り壊された」
戸口にいた男は葉巻に火をつけようとマッチをすった。その火灯りが男の顔を照らし出した。顔色は青白く、あごはしゃくれ、目つきはするどく、右の眉のあたりには傷跡があった。 スカーフピンは妙なセッティングの大きなダイアモンドだった。 「20年前の今日、おれはここにあった“ビッグ・ジョー”ブレイディーの店で
大の親友ジミー・ウェルズと飯を食った。おれもあいつもここニューヨークで育ったんだ。 お互い兄弟みたいにしてね。おれは18、ジミーは20だった。 次の日の朝、おれは一山当てようと西部に出発した。 ジミーはニューヨークをどうしても出たがらなくてな。 あいつにとっての世界はここだけだったんだ。とにかく、おれとあいつはあの日あの時刻から きっちり20年後にもういちど会おうと約束した。そのときにおたがいがどんな立場になっていようと、 どんなに遠く離れていようとかならずまた会おうと。20年後にはおたがい道も定まって、 財産もできてるだろうと計算していたわけだ。それがどういうものかは別としてね」 「かなり興味深い話です」と警官は言った。 「再会までの時間がちょっと長すぎるような気もしますけどね。その友だちは、別れた後に手紙を書いてこなかったんですか?」 「まあ、しばらくはやりとりもあったんだがね。1、2年するとお互いに消息がつかめなくなってさ。 ほら、西部はかなりでかいところだし、おれもあちこちかなり活発に渡り歩いてたからな。 だがおれはジミーがおれと会うためにここにくるのがちゃんと分かってるんだ。 生きてさえいればね。あいつは誰よりも誠実なやつだったんだから。あいつは絶対に忘れっこない。 このドアの前にくるまでの一千マイルも、あの昔の相棒に会えるんだったら 十二分に報われるってもんだよ」
待ちつづける男は凝った懐中時計を取りだした。
「10時3分前。ちょうどその時刻におれたちはあのレストランのドアのところで別れたんだ」上蓋には小さなダイアモンドがいくつもあしらってある。 「西部ではかなりうまくいったんでしょうね?」 「そのとおり! ジミーがおれの半分でもうまくやっててくれればいいんだが。
あいつはこつこつやるタイプだったからな、いいやつではあるんだけど。
警官はくるくると警棒を回し、少し足を踏み出した。おれはおれが積み上げてきたも のを横取りしようとする頭の切れる連中と渡りあってこなきゃならん かったんだ。ニューヨークにいるやつはみんな型にはまっちまう。 触れれば切れるような人間を育てるには西部にかぎるよ」 「さて、私はもう行きます。その友だちがちゃんときてくれるといいですね。その時間きっちりまでしか
待たないおつもりですか?」
「まさか! 少なくとも30分は待ってやるとも。
ジミーがこの世のどこかで生きてるんだったらそのとき までにはここにきてくれるだろうから。
「おやすみなさい」と警官は言い、巡回にもどって、行く先々のドアを確かめつつ去っていった。じゃあな、お巡りさん」 空模様はいまや小雨になり、そっとひと吹きという案配だった風もびゅうびゅうと吹きつけはじめた。 その地域に足を伸ばしていた数えるほどの通行人が、憂鬱そうに押し黙り、コートの襟を立てて 両手をポケットに突っ込んだまま走っていく。金物屋の戸口では、若き日々の友人との、 不確かで、馬鹿げているとさえ言えそうな約束を果たすために千マイルのかなたからやってきた男が、 葉巻をふかしながら待ちつづけていた。 男は20分ほど待った。するとそこに、ロングコートを着、その襟で耳元まで隠した背の高い男が 向かいの通りから駈けてきた。そして待ちつづける男のもとにまっすぐやってきた。 「ボブか?」と男は疑わしげに尋ねた。 「ジミー・ウェルズか?」戸口にいた男が叫んだ。 「なんということだ!」と新来の男が大声を上げた。相手の両手をにぎりしめながら。 「ボブだ、ほんとうにボブだ。おまえがまだ生きてるんならきっとここで会えると信じていたよ。
なんと言ったらいいだろう!――20年ってのは長い時間だった。あの場所はなくなっちまったよ、
「最高だね。欲しいものはなんだって手に入る。おまえはずいぶん変わったようだな、ジミー。おれより2インチも3インチものっぽだったとは思ってなかったよ」ボブ、そうでなきゃあ今夜もあそこでディナーにできたんだがなあ。おまえ、西部ではどうしてる?」 「いや、おれは20過ぎから少し背が伸びてね」 「ニューヨークではうまくやってるのか、ジミー?」 「まあまあだな。市役所に勤めてるんだ。行こう、ボブ。いい場所を知ってるんだ。
そこで心行くまで昔のことを話そうぜ」
2人の男は腕を組んで通りを歩いていった。西部からきた男は、成功によって肥大したエゴイズムゆえに、かれの経歴のあらましを語りはじめた。 相手はオーバーに身を隠すようにして、興味深げに耳を傾けていた。 角には電灯まばゆいドラッグストアが立っていた。その灯りが2人を照らし出したとき、 2人はおたがいの顔を同時に見交わした。 そのとたん、西部からきた男は立ち止まり、腕をふりはらった。 「おめえ、ジミー・ウェルズじゃねえな」とかみつくように言った。 「20年は長い時間だが、人間の鼻を鷲鼻から獅子鼻に変えるほど長くはあるめえ」 「善人を悪人に変えてしまうことはあってもね」と背の高い男が言った。 「おまえはもう10分前から逮捕されているんだぞ、“シルキー” ボブ。
シカゴはうちの管轄におまえが潜りこんだかもしれんと考えてな、おまえに聞いてみたいことが
西部からきた男は手渡された小さな紙切れを広げた。読み始めていたときはしっかりしていた手も、あると電報を打ってきている。おとなしくきてくれるな、ん? それが分別というものだ。 ところで、駅に行く前にこの手紙を渡しておこう。そこの窓のところで読んでみるといい。 ウェルズ巡査からだ」 読み終わったときには少し震えていた。手紙はむしろ短かった。 『ボブへ。おれは時間どおり約束の場所に行ってきた。 おまえが葉巻に火をつけようとマッチをすったとき、おれはその顔がシカゴで手配されている 男の顔だと気づいた。なんにせよ、おれはおれの手でおまえを捕らえるのが忍びなかった。 だからおれはその場を去り、仕事を私服刑事に任せたのだ。ジミーより。』 |

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最後の一葉、といえば オー・ヘンリー 最初に読んだ時涙が止まりませんでした。。。。 病床で気弱になっているジョンジー(ジョアンナ)のルームメイトのスーに医者が打ち明ける。 彼女が助かる確率は十にひとつくらい。 運命をわけるのは「あの子の生きたい、という気持ちしだいだ」と。 窓際のベッドで外の壁をはうツタの葉を見ながらジョンジーはつぶやく。 11、10、あと9枚…。すべての葉が落ちた時に自分もこの世を去るのだ。 と・・・ ベーアマン老人はスーたちの下の一階に住んでいる画家でした。 ベーアマンは気むずかしい小柄な老人で、誰であれ、軟弱な奴に対してはひどくあざ笑い、 自分のことを、階上に住む若き二人の画家を守る特別なマスチフ種の番犬だと思っておりました。 ベーアマンは、階下の薄暗い部屋におりました。片隅には何も描かれていないキャンバスが画架に乗っており、二十五年もの間、傑作の最初の一筆が下ろされるのを待っていました。 スーはジョンジーの幻想をベーアマンに話しました。 この世に対するジョンジーの関心がさらに弱くなったら、彼女自身が一枚の木の葉のように弱くもろく、はらはらと散ってしまうのではないか…。スーはそんな恐れもベーアマンに話しました。 ベーアマン老人は、赤い目をうるませつつ、 そんなばかばかしい想像に、軽蔑と嘲笑の大声を上げたのです。 この後 ある人の行動が運命を変えてくれたのです(泣) 「賢者の贈り物」とこの話は私が中学生の頃に読んだ、 その頃知った感動する小説に いつの間にか心が現れる事にきずきました。 あれから10年以上たつんだな。。。。 秋の夕暮れのときいつもこの話を思い足していた。 似たような経験があったので余計かな(笑) 次回は 20年後 をお届けしたいな!!! 予習しておいてね(笑)
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クリスマスのプレゼントを贈りあった若い夫妻は、どちらも役に立たないものを贈ってしまった。 それは、なぜだっただろうか? しあわせが「富」にあるのではないことがわかる物語。 最初に読んだのは 私が中学生だった それから よく何度も オーヘンリーの本を読む そして 良く泣いてしまう。 その中の大好きな一つをのせます。 ある都会の片隅に、ジェイムズ・デリンガム・ヤングという若い夫妻が住んでいました。 彼らの生活はつつましく、貧しかったけれど、二人は愛情にあふれていました。 さて、明日はクリスマスです。 ここ数日間、彼女は愛する夫のために何を買おうかとわくわくしていました。 何か立派で珍しくて値打ちのある物、夫のジムが持って誇りに思える物・・・。 しかし、若いデリンガム夫人デラには、夫のプレゼントを買うためのお金がたった 1ドル87セントしかありませんでした。 デラにはきらきら輝く美しい髪がありました。彼女はそれを売ってお金を作ることにしたのです。 髪は20ドルで売ることができました。 彼女は店店をまわってジムへの贈り物を見て歩きました。 そしてある店でついに見つけたのです。 それはプラチナでできたとても品の良い時計の鎖でした。 夫のジムは祖父の代から受け継いだ立派な金時計を持っていました。 しかし、それにつける鎖がなかったので、いつもこっそりと時計をみていたのでした。 あの時計にこの鎖をつければ、ジムは誰の前でも気がねなしに時間を見れるだろう。 彼女はその鎖を買うと、喜々として家に急ぎました。 家で鏡の前に立ってみると、デラは自分の姿がひどい姿なのに気がつきました。 短くなってしまった頭はもうどうしようもなく、まるで男生徒みたいでした。 「神様どうか、ジムが今でも私をきれいだと思わせて下さい。」 とデラはお祈りをしました。 その夜、ドアが開いて、ジムが家に帰ってきました。 彼はやせていて、ひどくきまじめな顔をしていました。 彼はまだ22才なのです。 ジムはドアのところで、茫然と立ち止まりました。 茫然として、ただ、妻をじっとみつめているばかりでした。 「ジム、そんなふうに私を見るのはやめて。私髪を切って売ったの。ね、かまわないでしょう? 髪なんてすぐにまた伸びるわ。さあ、クリスマスおめでとう、といってちょうだい。 私、ジムにすてきなプレゼントを買ったのよ。」 「髪を切っちゃった?」 「そう、髪を売っちゃったの。でも、髪が短いからって、今でも私を好きでしょう?」 「髪はもうないっていうんだね?」 ジムはポケットから、包みをとりだして、テーブルの上に置きました。 それは妻デラへのプレゼントでした。 デラはそれを開けてみました。 そこには、彼女が以前からあこがれていた、ブロードウエイの店の飾り窓にあった、 宝石をちりばめた一対の髪飾りがありました。今、それが自分の物になったのです。 しかし、その髪飾りをする長い髪はもうなかったのです。 彼女はそれを胸にしっかりと抱きしめました。そして、涙であふれた目で微笑しながら、 「ジム、私の髪は伸びるのが早いのよ。」といいました。 そして、飛び上がって叫びました。 「これがあなたへのプレゼントよ、ジム。」 彼女は鈍く光る白金の時計鎖を手のひらにのせて差し出しました。 「すてきでしょう?ジム。わたし、これを探すために町中を歩き回ったのよ。 これで、一日に百回でも時計が見られるわよ。さあ、あなたの時計を出してちょうだい。 どんなにすてきか、見てみましょう。」 ジムはソファーにごろっと横になると、両手を頭の下にまわして、微笑しました。 「デラ、もうクリスマスプレゼントはかたずけて、しばらくはしまっておこうよ。 ・・・・ すぐに使うのはもったいないから・・・・。」 ・・・・「ぼくは君の髪飾りを買うお金を作るために時計を売っちゃったんだ。」 |
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江戸末期から戦後まで、秘蔵写真170点 江戸時代の「さらし首」「はりつけ」「切腹」の写真から、明治の斬首、大正の猟奇犯罪、 関東大震災の朝鮮人虐殺、日清・日露・太平洋戦争の無残な戦死者、そして戦後まで。 書店で見かけてショックを受けました。 安易に見てしまった事に 少し後悔をしてますが、目をそらしてはいけないのかも、、、 とも感じました、 ◇歴史の無惨が語りかける日本近現代の暗部 ◇下川 耿史著 新に発掘された写真があるわけではない。著者は言うが、こんな写真もあったのかと、 読者はおそらく衝撃を隠せまい。 中でも「凌遅刑」に処され四肢をバラバラにされた金玉均の無残な姿には目を見張らされる。 日本軍の肝試しで刺殺される瞬間の中国兵捕虜の恐怖に顔をひきつらせる表情もある。 江戸時代の「さらし首」、明治の斬首、大正の猟奇犯罪、関東大震災の朝鮮人虐殺、 日清・日露・太平洋戦争下の無残な戦死者、そして戦後まで、170点の写真が収められた。 公表されてはいたが注目されなかったもの、秘蔵のもの、秘匿されていたもの、下川はそれらを集めた。 それ自体労作にはちがいない。 本書はしかし、写真集ではない。下川耿史は一点一点の残酷写真の物言わぬメッセージに耳を傾ける。 そこにこそ日本の近現代史の暗部にしまわれてしまったものがあると確信している。 虐殺した側の理由と、虐殺された側の物言えぬ口惜しさを、彼一流のパラドックスで解き明かそうとしている。 つまり「残酷」の意味を問うという手法ではなく、 「著者自身の中に潜む残酷性を確認しようとする」手法を採っている。薄っぺらなヒューマニズムも、 歴史の自己正当化も排除しようとする姿勢が、本書を迫真の歴史ノンフィクションに仕上げたと言っていい。 著者の作品には、『殺人評論』(青弓社)『死体と戦争』(筑摩書房)など、 世間の異常と不正常の底流にある社会矛盾を突いたものが多い。 国家を語らずして国家の虚構性を炙り出し、政治のロジックを立てるでなく、 暴力という政治の本質をえぐり出してきた。政治を語る際の表現も自ずから黙説法を多用してきた。 その下川耿史が珍しく直截な表現を使い、 日本の近現代史とそこに翻弄されてきた残酷なアジアと世界の不合理に迫っている。 著者をしてそうせしめるのは何か。もはや、婉曲の筆では通じぬ今日の論者、 読者への苛立ちがあったのではあるまいか。 だとしてもその指摘には思わず耳を傾けざるを得ない。たとえば、 「南京大虐殺」の残酷写真に言及するくだりだ。この虐殺事件については、 日本で真偽をめぐり衆論百出の感があり、それ自体には興味を示してしもしようがないと著者は言う。 当時の新聞を引いて虐殺の事実はあったとする論には「大本営のホラ」はあっただろうが、 そのホラは日本の勢いを示したいがためにリークした軍部の「賞味期限つきの事実」でしかなかったと見、 「虐殺はなかった」「日本軍が殺害したのは不法戦闘員」とする論に対しては、 「しかし“不法”ということでいえば、そもそもこの戦争はどうして始まったのか? 少なくとも中国軍が海を越えて日本に攻めてきたことが発端でなかったことだけは確かである。 とすれば“不法”の種をまいたのはどちらだろう?」と疑問を投げている。 本書は歴史への「再認識」という方法においても大いに示唆に富んでいる。 統一日報
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