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島木健作『赤蛙』は修善寺を舞台とした作品で、
それを記念して桂川の滝下橋近くに、作品にちなんだ「赤蛙公園」もできた。
公園内の案内板に、「作家、島木健作(明36−昭20)は、昭和19年の秋、胸部疾患の療養のため
修善寺の温泉宿へ滞在していた。ある日の散策で桂川の上流まで歩いて行った帰り道、
この付近で川を見つめていると一匹の赤蛙が目に入った。
蛙は向こう岸へ渡ろうとして一生懸命に泳ぎ、押し流され、這い上がることを繰り返しているうち、
ついに精魂尽きて渦の中へ呑み込まれてしまった。
死期の近かった健作は、蛙の生への努力を共感をもって感慨深く眺め,
運命に従順なものだけを(が?)持つ静けさに強く感動し、
帰京後、有名な短編「赤蛙」を書いた……」とある。
案内板の説明にはないが、療養にやってきた『赤蛙』の主人公は、
宿では陽も当たらない部屋に通され、扱いもよくなかった。それで散歩に出ては、
陽だまりでじっとしていることが多かった。そうしたある日、対岸に泳ぎ着こうとして、
ついに流れに没した赤蛙に出会ったのである。その、宿の待遇のことにはこの案内板も
ガイドブックの類もほとんど触れていない。
「滝下橋に通じる通りに面した仲田屋旅館説などがあるといわれているが、その根拠を示していない。
小説に描かれたようなことが、仮に事実としてあったとして、
それは名誉ではないが、それほど不名誉なことだったとは思えない。
当時、結核は嫌われ敬遠されていた。それは歴史的事実だ。
ちょっと時代は異なるが、湯ヶ島を舞台とした井上靖『しろばんば』にも、
主人公の少年が大好きな上の家のさき子「姉ちゃん」が、
結核と判ったとたん会いに行くことも難しくなった事情が描かれている。
修善寺に限らない、当時は全国のどの旅館にしても似たようなものだったろうと思う。
そうした当時の事情もはっきり記録した上で、ちゃんとした文学碑を赤蛙公園に
建立してもらいたいものだ、と思う。
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