山谷のちいさな教会 〜山谷伝道所(さんやでんどうしょ)〜

わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。 (マタイ25:40)

ラザロ通信

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山谷地区のホームレスの現状、教会活動を通しての交わり、山谷伝道所にかかわる人々の生の声を載せた会報です。(発行・年2回)

最新号は、2007年11月発行 第29号
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「小さな客引き」
外舘 信治(山谷伝道所信徒)

 今日は半分幽霊です。どうも久しぶりです。この伝道所に初めて来たのはいつだったか。あれは17〜18年前の正月の事だった。玉姫公園からまっすぐに歩いてくると、ある家の前で大きな男の人と小さな女の人が「お雑煮をどうぞ」とあまり大きくない声で道行く人々にすすめていた。ふと見上げると”山谷伝道所”と書かれたカンバンがあった。屋根の上には十字架が掲げてあった。「なんだ教会だったか」この道を何十回と通ったが全く気がつかないでいた。それにしても、キリスト教だったらパンのはずが、なんで雑煮になんだ。変な教会だな、とその時は思いました。

 それからしばらくして、夕方通りかかったら、この前の小さな女の人がドアを開けて「さあどうぞお入り下さい」とまるで客引きみたいな事をしていたので、キリスト教とはどんな物かと好奇心がらみで中に入ってみた。それにしても男の客引きは知っているが、女の客引きというのは初めてであった。中にはいると教会と言うよりは何の変わりばえもしない民家であった。やがて小さな女の人が聖書を読みはじめるが全然何をしゃべっているのかわからないままでした。それでも時間がある時など、朝の礼拝、夕の伝道会の食事作りなどの手伝いをしていると不思議に来週も来てみようと思う自分がいました。

 そんな自分ですが、今までに一回も一年を通して礼拝・伝道会に出たためしがない?それでも、今年の12月20日で洗礼を受けて10年になるというのにどういうわけなのか?それもわれわれの主、イエス・キリストの導きという物なのか?今までの自分はけっして良い信徒ではなく、一歩まちがえば伝道所を出入禁止にされていたと思います。いろいろな事でみんなに迷惑をかけて、とても申しわけない思いです。でも、こんな自分に対して、教会に来なさいよ、こないとだめだよ、と声をかけてくれた滝牧師、兄弟姉妹たち、そして、イエス・キリストのみちびきで、また教会に来れるようになりました。こんな自分ですが、出来るかぎり教会に通いたいと思います。
アーメン

「路上生活をしたこともないくせに!!」
こむぎ  山谷の人びとに奉仕する会/ 東京中央教会(大久保) 信徒


今年は(も?)実にいろいろな出来事があり、そのたびに神さまから頂いた「喜怒哀楽」をフルに活用して信仰の友と祈りあうことが出来ましたことを感謝いたします。

山谷伝道所はイエス・キリストを信じ、愛する者たちが集まった教会です。伝道所の建物は「キリストのからだ」です。主日には、礼拝をささげます。夜の路上での伝道会の後には「給食」があります。毎回200人〜300人の方が集まります。
給食の準備は、教会に集う奉仕者たちで行ないますが、この1年、この奉仕という名をつけた「行い」が問題になることが多々ありました。
集う者たち、信仰を持っている者もいれば、持ちたいと思っている者、信仰は関係のない者、様々です。考えの違うもの同士集まれば、大抵は意見の食い違いが生じます。キリストのからだである、山谷伝道所も例外ではありません。どうしても「行い」が重視になってしまう者たちの「俺たちが働いているのに、なんであいつは何にもやらないんだ!」に始まって、食事のこと、物品の提供のことなど、問題点が多々挙がり、時には乱闘騒ぎにもなります。「ここは教会だから」という説明は通用しません。「教会は神様を讃美する場所です」の週報のメッセージもただのお題目なのかと思ってしまう瞬間もあります。
  
 路上生活の方が最優先という考えも、「先ず自分たちが先」という厚い壁に激突したときもあります。「路上生活をしたこともないくせに」「山谷に住んだこともないくせに」と反論されたこともあります。近所に新しい建物が建ち、変わりつつある山谷の町をみて、「ここで給食活動も出来なくなる日が来る。早く伝道所がつぶれればいい」と話したキリスト者も居ました。
ここに挙げたのはごく一部の問題です。
良いことばかりは書けません。これも事実だからです。これらの言葉を耳にした瞬間は悲しい言葉と思いましたが、悲観はしませんでした。

私たちはイエス・キリストを信じる者たちです。私たち個人には力はありませんが、神さまには力があります。「聖霊さまの力が働くとき、それを邪魔しようとする力も働く」私たちはそう信じるからです。悪魔ですらも神さまの許しがなければ存在できない。これもまた事実です。

問題に出会ったとき、神の家族のみんなは、隠さず本音で話し合い、祈りあいます。神さまに強められていくことが実感できます。神さまを前にして問題を直面することが出来れば、個人を憎んだり、攻撃することは間違ったことだと気付かされます。
問題は神さまから与えられている課題、答えは神さまが用意してくださっています。難しい問題にぶつかっても、「これも越えられるように成長させてくださるのだ」と思うことが出来るようになりました。

  私個人は、自分が正しい人間でないことを私自身がよく知っています。間違ってばかりで、罪の中に居心地のよさを感じてしまうこともあります。そんな私をゆるしてくださり、罪を気付かせてくださり、悔い改めさせてくださる神さまがいらっしゃいます。神さまがともに居てくださることを本当に感謝いたします。神さまが用いてくださるのなら、それはどんなことでも感謝です。
いのちも肉体も神さまのものです。私が持っているものは「信仰」だけなのだということ、それだけで十分だという気持ちを感謝して
神さまにおささげいたします。


何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4:6〜7)

「東京の端っこ」
渡辺 義明


山谷の一角に「橋場」という場所がある。
昔は、江戸の端の場、つまり「端場」と呼ばれたことが、地名の由来だということである。
ちなみに「端」という言葉を辞書で引いてみると、
・ 物の末の部分。先端。
・ 中心から遠い、外に近い部分。へり。ふち。
・ 切り放した部分。切れ端。
等と記されてある。
なるほど、確かに山谷は東京の、いや東日本の「端」に違いない。しかし、このようにも記されてある。
・ あとが続く最初の部分。きっかけ。いとぐち。

イエス・キリストがお生まれになった地、ガリラヤは、イスラエルの「端場」だった。
地図を拡げてみると、まさにイスラエルの端に、位置している。地名からして、ヘブライ語の<周辺の地>の意(ガ
リル)から来ているという。
ガリラヤは、前732年アッシリヤに征服され、住民は補囚にとられた。以来、約6世紀の間、この地方はバビロン、ペルシャ、マケドニア、エジプト、シリヤ等の支配下に置かれた。
それにより、様々な人種が混じり合い、混合文化が生まれ、独特の方言も生じ、純粋なユダヤ人からは「異邦人の地」と蔑まれていた。
そのような土地、から、<あとに続く最初のきっかけ>が起こった。

現在、山谷の地は大きな変貌を遂げようとしているように見える。 
住民の多数を占める、日雇い労働者の方々は、高齢化が進み、現場仕事からは退かざるをえなくなり、生活保護を受ける方が増えてきた。また、1996年に東京都と23区は互いの合意の上、23区内で保護されたホームレスの方々は、生活保護を行ったうえで、自区内に住居が決まるまで一時的に山谷に預けるという規則を作った。しかし、一時的な措置のはずが、実際は長期にわたって山谷のドヤに住まわすケースが少なくないという。多くの身寄りのないお年寄りが、狭く寒々しいドヤの一室で、暖かく、うちとけた人間関係を失ったまま、テレビだけを友として、人生の終わりの時を過ごしている。

その様な光景とは対照的に、大きなリュックサックを背負った外国人の姿がよく目につくようになった。
東京の中の格安ホテル街として、ガイドブックなどに紹介されているという。ドヤも外国人専用に改装するところが増えてきている。取り残された昭和の匂いを残す場末の町に、およそ似つかわしくない、髪の毛をピンクに染めた、ピアスだらけのスペインから来たパンク少女たちが、コンビニエンスストアーでおでんを物色しているステテコ姿のヤマのオジサンの脇に並んでいたりする。
そのなかでも、もっとも小さくされた人びと、生活保護を受けることすらできないホームレスの方々が、毎週日曜の夕方に行われる、炊き出し、伝道会の対象である。だいたい200〜250人位の方々が、列をつくる。
そこで毎週、聖書からメッセージを伝え、讃美歌を歌い、お祈りをする。そして食事を配り、希望者には整体の先生が施術を行う。食事のあとには、身体の調子や近況を尋ねたり、ことばを交わしてささやかな交わりの時を持つ。ホームレスの方が「この時が、楽しみなんですよ。」と笑顔でおっしゃってくださることもある。そんな時、荒涼としたアスファルトのうえに、主のひかりを、陽だまりのように感じるのである。



「異邦人のガリラヤ。暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、
 死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」         
マタイ4:15b〜16

「ここも教会です」
金正謨


 わたしが友人の薦めで、上野公園で行われる貧しい人たちとの礼拝に参加し始めたのは今から8年前のことで、月2回ほど参加して来たが、2年半頃前から毎週参加し讃美の奏楽をしている。貧しい人たちとの礼拝には私を引き寄せる霊的な力のようなものがあるとずっと思ってきた。それはひとごとでは話しにくいが、聖なる神の力だと表現できると思うようなことである。私が参加しはじめた頃は、貧しい人たちとの礼拝に参加することは一種の冒険のようなことであった。そんな遠い過去でもないが、今と比べて見ると想像を越える差があると思う。

 最初の頃は、礼拝の後の食事に参加するのが主な目的で来る人がほぼ100%であった。そういうわけですから、約1時間続く礼拝の時間の間、ほとんどの人たちは敬虔な心で神に礼拝を献げる状態ではなく、早く礼拝が終わることをいらいらしながら待つ様子が確かに見えた。その顔には、神から与えられる心の平和はほとんど見ることができなかった。ところが、8年が過ぎた現在の礼拝の様子は、8年前の様子とはまったく違うと言ってもいいほど変わった。礼拝を献げる人々の顔を見れば、神様から与えられた平和を確かに見ることができる。顔の表情が変わったという表現より、心が平安になりその結果が顔に表れているという表現がより正しい表現だと思われる。
 今までの間、貧しい人たちとの礼拝に参加することでここも神の教会に違いないと感じさせることがたくさんあった。普通の教会では経験することができないような感動を感じたことも数回かあった。このような礼拝に参加することができたことは神の祝福だと思い、いつまでも忘れられない大事な信仰の財産として残っている。ここで、その中で2つの経験を選んでご紹介したいと思う。

1.ある日、礼拝が終わり食事の配りも終わったときである。多分始めて見る40代くらいの女性が、みなが礼拝を献げた場所のすぐそばに立っている大きい木の下の部分を囲んでいる石の上に座り、長く切にお祈りをしていた。そのようなことは今までほとんどなかった。その方の服装は、到底このような道端の汚い石の上に座るようなものではなく、綺麗な正装の姿であった。そのようなことが私のすぐそばで起きて、私は普通はありえないことだと直感した。割と長いお祈りが終わるとその近くにいた人がまるで私に聞かせようとするようにその女性に向かって不思議な表情で、「礼拝も給食も終わったのに道端で何をしますか」と聞いた。その女性からすぐ答えが返された。「ここは教会ではありませんでしょうか」、と。私は同じ場所で数年前に聞いた説教の一部分を思い出した。「ここは、建物はないけれども神の教会です」という言葉を。先の女性のお祈りの内容はよく分からないが、神様が間違いなくその祈りを聞かれたとおもうようになった。

2.今年の9月21日日曜日のことである。午後5時からの山谷伝道所の野外伝道集会が始まる時間が近づいた頃であった。数時間前から空はずっと曇っていたが雨は降っていなかったし、毎週の野外伝道集会は30分程度で終わるので多分大丈夫だろうと思いボランティアと教会員たちは野外伝道集会のためのマイク、スピーカ、電気コードなどの設置を終えた。ところが始まる10分程度前から雨が降り始めどんどん強くなってきた。設置が終わっていたマイクなどの電気設備をどしゃぶりの中でボランティアと教会員たちが走りながら撤去しなければならなかった。みなの服は濡れてしまった。そのどしゃ降りの中で200人の人は動かずに静かに立っていた。急いでハンドマイクを持ってきて伝道集会は予定より3分ほど遅れて始まった。強い雨の中で集まっていた200名の人たちはじっと傘を手にして短くない説教を聞き、立派な礼拝を献げた。幸いにハンドマイクは性能が良かったので集まったほとんどの人たちは説教などの声を全部よく聞くことができた。神のメッセージが確実に伝えられた礼拝であった。
礼拝が終わって食事を配るときも雨は強く降り続けたが、いつものように何の動揺もなしに傘を持って食事をし、お椀を返してくれた。伝道集会参加者たちがどしゃ降りの中で傘を持ってお椀を返しながら言う「ありがとうございます」、「美味しいでした」という感謝の言葉と彼らの明るい表情の中で、雨の中で行われた礼拝の感謝と神の恵みをかいま見ることができた。ボランティアと教会員たちも伝道集会のあと全身が濡れたにも関わらず楽しく笑って談笑しながら皿洗いや後片づけをした。教会でないとこのようにこの世の常識とは違う喜びと感動を経験することができるだろうか


イエスは言われた。『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
(マタイ22:37−39)

「幸せな私」
 青山英保


勝利者にとって東京は天国
 弱者にとって東京は地獄

上の言葉は東京に来てまもなくテレビを通して聞いた言葉である。

 平成18年8月。私は神奈川県小田原市から東京へ引っ越した。小さなリュックとわずかなお金を持って・・・・。
今おもえばよく今日まで生き延びて来たものと思う。何度も死に直面した。
JR新宿駅の中で夜眠っている時、お金を全部盗まれてしまった。もう前進できなかった。しかし、その一年数ヶ月後の今も、私は生存している。
何度も崖っぷちに立たされた。その都度、主がその先につり橋を造って下さった。そこを渡って今日まで歩き続けてきた。

 昨日は日曜日。山谷伝道所の礼拝に参加した。「生めよ。増えよ。」と主が創世記の中で語られた。説教者は金正謨(キム・ジョンモ)先生であった。今、山谷伝道所には新しい風が吹いている。聖霊が働かれる所ではサタンも働く。人々は山谷伝道所におけるキリストとサタンとの戦いに気付いているだろうか。盲目の民には、その戦いは見えない。
 私が東京に引っ越した目的は二つ。
    一.働くため
    二.伝道のため
清掃人として働きながら、トラクト配布をしている。

 東京に直下型地震のうわさが流れてから久しい。しかし、まだ実現していない。これは主の大いなるあわれみである。地震が起こったら、どうすることもできない。ただ、主を避け所とする他、生き延びる方法はないだろう。その時が、神の民の出番である。神の人は福音を運ぶために、東京中を歩き廻ることだろう。私もその中の一人になりたい。
 東京に来て、地獄を経験した。しかし、今は喜びの日々を送っている。

  この幸せは天国において完成する。

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