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本当は
腎臓と心臓の機能が弱い私に 赤ん坊の長男を抱きながら ばあちゃんは こんなにかわいいけど 赤ちゃんは1人で我慢しなさい お前の命には代えられないから と言ってたのに。 (我が家の庭で採れたでかすぎ三つ葉) 保健師さんや助産師さんに聞いたら この子(長男)が3歳くらいになったら もしお母さんが中毒症で入院しても大丈夫でしょ。 その頃考えようか(*^_^*) と言ってくださり、 とてもうれしかった。 長男が2歳半で妊娠して バタバタ仕事で忙しく立ち回る私を見て ばあちゃんは 無理を通して子供を産もうとしてるのだから 今回無事に授かっても 絶対に3人目は産んだらいかんよ。 と 何度も何度も私に言った。 (今年移植して5年ぶりに咲いたすみれと、庭で羽化したアゲハ) 無理はしたつもりはなかったけど、 案の定経過が思わしくなく 臨月は病院のベットにいた。 血圧も 下が130を超していて、 少し動くのも制限されていた。 臨月になる少し前、 妹の結婚式に行くのに 先生を拝み倒して飛行機に乗った。 九州でも、 妹の働いていた産婦人科の先生にずっと診ていただいて 今考えると無謀な姉妊婦だった。 (今年も子供の日におじいちゃんが上げてくれたこいのぼり) 熊本の帰りに 宮崎のばあちゃんのところに寄りたくて寄りたくて どうしようもない切なさが胸を締め付けた。 でも、 産婦人科の先生の証明書は その時の飛行機に乗る許可でやっとだった。 帰ってほどなくして、 健診ですぐに入院になった。 母親の私の全身機能低下にもかかわらず 赤ん坊は超元気に過ごしていて、 本当にほっとしていた。 あとで助産師さんに聞いたら、 バイタルを取るたびにドキドキしていたのだと(笑) (近所の公園の藤の花と、ブロ友さんと散歩した幕張の八重桜) そのスタッフをよそに、 担当のおじいちゃん先生は 私と張り合うくらいいつも天然で 毎日の診察も 明治時代の産婆さんと会話しているような雰囲気だった。 おまじないとか 言葉の魔法がいっぱいで のんびり入院生活を送ることができる日々に どれだけ感謝していたかわからない。 約束通り、もう3歳になっていた長男は、 おじいちゃんおばあちゃんとパパと 仲良く暮らしていて、 寂しがりながらも毎日見舞いに来てくれた。 彼が私の身体を気遣って どれだけ我慢してくれているか 3歳だけれど痛いほど伝わってきて お産したらすぐ元気になるからねえと 先生にもらったおまじないをかけ続けていた。 (ちびのピアノの先生のお宅のベランダに咲いたチューリップたち(^O^) お腹と 私の身体の経過をつぶさに見ていたおじいちゃん先生が うん! 今産もう!! 元気に生まれるおまじないをかけるからね、 今日は特別。 お昼にご主人と散歩に行きなさい。 1時間で必ず帰ってきなさい。 そう言って、 内診しながら、おまじないをちょちょっとかけた。 仕事中に連絡が来て、 急に昼呼び出された主人は 文句も言わず、 先生の指示通り 緊急の場合の対処の話を聞いて、 ほんのひと時の散歩。 (秋葉原にこどもの日で立ってたカーネルおじさんと、我が家のたんぽぽの保育園) お散歩でパパといろんな話をした。 久しぶりにいっぱい話した。 帰ってきてもけろりとしていた私にパパはホッとして仕事に戻り、 久しぶりに歩いた私はそのままお昼寝・・・・・・・・・・・ ・・・・と思ったら、やにわにお腹が痛い!!! うわああ・・・先生のおまじないだあ・・・ 痛いから早く産みたいのに 先生はもう歩くのは危険との指示。(歩くとお産が進行しやすいんです) ひたすらベッドの上でう〜〜んとうなり・・・(笑) 半日後、 明け方に助産師さんに私の7つ道具?? 点滴の導入と子どもの心音のモニターと私の心電図と酸素吸入器・・・ 身体中管やバンドやコードがいっぱい。 サイボーグ並みに仕立てられた妊産婦のできあがり。 パパが仕事に行く前に寄ったのが運のつき。 そのまま分娩室に呼ばれ、 朝8時半、 続々と出勤していらした看護師さん助産師さん先生方 15人ほどに囲まれ見守られながら(爆笑) パパも見守りながら、 次男は元気な産声を上げた。 けれど案の定、私の経過が悪いので ベテランの先生は腕を子宮に入れ(!びっくりした!お産中はそんなに広がるんだ!) 産褥の胎盤の残りや悪露を丁寧に丁寧にマッサージして出して。 やっぱりお産は命がけだった。 子宮復古のマッサージのおかげで、経過も順調になったけど。 その次男が10歳になった今月17日の朝、 学校に行く前に お誕生日おめでとう! あなたはあと1時間くらいしたら生まれたんだよ(^O^) 先生たちがちょうど出勤してきてね いっぱいのスタッフに囲まれて 頑張れがんばれ!!!ってみんなが声を合わせて あなたを応援してくれたんだよ。 元気に泣いてね、 生まれつきのハスキーボイスだから ほげ〜〜ほげ〜〜〜って泣いてね。 うれしかったああ〜〜〜〜(^O^) ・・・と、次男をぎゅうと抱きしめた。 次男は本当に嬉しそうに笑って、 いってきま〜〜すと元気に登校していった。 3人の子供のうちで、 唯一2歳になったらぱったりとおっぱいをやめてしまった次男。 それ以来飲むことは絶対にないんだけど、 この子は、おっぱいよりもきっと、 言葉の授乳が必要な子供なんだと時々思う。 だから、 時々ぎゅうっと抱きしめながら、いろんな話をする。 (子供たちがくれた母の日の花と、パパがくれた後ろに写ってる新しい掃除機・・笑) 次男が生まれてくるまで ずっとずっと祈ってくれていたおばあちゃんは 私の無事な出産を聞いた後、緊急入院して、 次男の顔も見ずに、3日後の20日朝、息を引き取った。 パパと長男は入院してる私を置いて、おばあちゃんの危篤に間に合い、 話をすることもできた。 もし私の命が奪われそうなら、自分の命と引き換えに、 無事なお産をしてくれと神様に祈り続けていてくれたらしい。 母が家にいなかった私には母代わりの祖母だった。 ・・地震も放射能も怖いけど、 今自分にできることをこつこつ、 精一杯生きてます。 ばあちゃんにもらった命、大事にするね!!! いつも本当にありがとう!! 大好きなおばあちゃんの命日に。 私にも授乳(爆笑) (連休中に子供たちと楽しんだ舞台の一コマ) |

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