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この道〜山田耕作〜20110814114913.mpg 熊本に行きっぱなしの次男が ハガレン(鋼の錬金術師というアニメの映画)観たいと言ったらしく 妹が何の事じゃ??と 朝一で電話があった。 もう10日以上 喜んで2人で熊本にいる次男と三男 この道は 作詞した 北原白秋の北海道の旅と 故郷福岡南関から柳川にかけての光景(ウィキペディア)
次男を妊娠してた頃結婚した妹が ウエディングドレスで母の家を出て ゆっくりゆっくり式場のある山の上のホテルまで行った もうホテルはつぶれたそうだけど(笑) 母にしてみればあの時 妹の慶事のおかげで 私たち兄弟三人が揃った 忘れられない日になったのだ 人と人は合わせ鏡 22の時だったか 母が内臓の癒着で大きな手術をして 高校に行く妹と母の看病のために手伝いに行った時 見舞いに来た母の友人が静かに言った あんたね?お母さんば捨てたとは ・・・そうか 母は自分が捨てられたと思ってた けど私も 母に捨てられたと思ってた 時々母に会いに行っても ずっと越えられない壁があった事 それは互いに互いを嫌がってると その合わせ鏡 私は母と暮らしたかったのにな そうできない大人の事情があるからだと 子供ながらに思っていただけ というより わかりにくくても 私は私の精一杯で 母の心を握りしめていたのだ 小さい子供が母の手をぎゅっと握りしめるように 母が心を自由に 私と交流できる気持ちに戻ったのは 悲しいけど父が亡くなってからだった 妹の結婚式から3年経ってた 父は亡くなる前 私たち子供達を置いていくのに お母さんがいるからお父さんは安心してるよ とぽつりと言った その父も 九州から東京に遠く嫁に行った娘に お金以外の事が何も思いつかないという 不器用な父だった 全く連絡不精な娘がたまに ほんの1こと2こと電話で話すと 静かにああそうかとうなづく そういう不器用な父がけれど 私が長男を産んだとき パパと私に贈り物をしてきた K君には(パパ)妻と子供のいる家庭の要になれるようにネクタイピンを A(私)にはこれから寒くなるから一緒にくるまってくれと やわらかい上質なカシミヤの大きなショールが届いた 昨夜パパから錦糸町に迎えに来てくれと電話があって 私がたどりつく間に パパはマックによってタクシー乗り場の近くで何度も酔っ払いメールをよこしてきて 車に乗せた途端 あれ 俺ネクタイどこにやったっけ?? ・・・・まあいいや しょうがない パパはすぐにあきらめた けど私はあきらめられなかった パパの行ったマック これは迎えに来る私が喜ぶだろうとシェークを買うため 待ってたあたり それから梯子した飲み屋さん お店ではもう勘定計算してたママが 私が事情を話すと うちにはないねえ・・ まあ・・じゃあどこに行ったの?私きいてあげるよと 先に行った店に電話してくれた 電話で中国語で話している彼女が切った後 あのねあっちのお店にも見つけたら取っておくように伝えたよ 奥さん私ね 先生たちが(パパたちの事)これからの日本をよくしようと いつも元気に話してるの聞いてるの大好きなの ほんとにいつもお店に来てくれてうれしいよ! そんなことを上手でない日本語で楽しそうに話してくれて 心があったかくなった 車に戻るとパパは もういいじゃないか もう1度言った けど私は ううん・・私はネクタイピンがあきらめられないの けどね 今ママさんからパパたちの話聞いたよ なんだかもういいっかあって 少し悲しいけどあきらめがついたよ そう答えて家路についた 家に着くとそのまま熊のように横たわるパパの 靴下脱がし背広脱がし・・ ああああ痛え〜〜よ!鬼嫁! お構いなし 身体を楽にして涼しい部屋で寝かせる それが 日本をもっとよくしたいと働くパパへの 鬼嫁にできること 朝起きて1番にパパが あのさ 仕事行く前に ちょっと錦糸町に寄ろう 俺 昨日歩いた道ずっと見てくるから ってまた錦糸町に行った パパが待ってた横にある交番で おまわりさんに 昨夜ネクタイの落とし物ありましたか?? って聞いたら なかったよ それに今どき ネクタイのお届けってまずないなあ・・ そうだよな・・ 人にはなんでもないものが 自分には宝ものだったりする 昨日も遊びに来てくれた主人の姪っ子が じいじ(おじいちゃん)の畑に植えたいって 小さな小さなパイナップルの種を持ってきた じいじは丁寧に一緒に植えていた そんな光景を思い浮かべながら 駅周辺を丹念に歩くパパを見て ゆっくりゆっくり 父の思い出のネクタイピンに別れを告げた パパは未来を創る人 今生きている それでいい それが宝物 母も不器用で 実の娘と息子と 不器用にしか関われなかったけど 今は孫と精一杯 愛情を交わし合っている 未来を創っている それでいい 長い話になったが 最後に 実は昨日 一緒にPTAの役員をしていたママが急逝した そのお通夜が営まれた 私が行った時 もうすでに参列は400人ほどになっていて まだあとから人がどんどん来ていた ほんのこの間まで 4人の子供の母として 幼稚園や小学校や子供会の役員で 忙しく働いていた彼女 それにフルート奏者としていろいろ活動もしていたから 本当にたくさんの方がお別れにいらしていた 単身赴任していたご主人を支えて 4人の子供を育てながら 自分が体調悪くても医者に行かなかった そして具合が悪くなってほんの1か月ほどでの急逝 親族のあいさつで慟哭しながらご主人が 遺影に使いたいと写真を探すのに いつも子供たちのカメラマンで 妻の写真は全然なかったんです と 帽子に隠れてさりげなく写っている 祭壇の写真に涙を流していた 一緒に写されていた動画には 小さい子供さんが撮った手ブレだらけの彼女の ほんの数秒のいつもの笑顔 胸が締め付けられた 悔しさも悲しみもたくさん背負って出かけたに違いない お盆で義母を迎えながら そんな話を仏壇の前で、した いろんな荷物が増えっぱなしの 透明できれいでない 喜怒哀楽たっぷりの人間臭い私の音色 この道をどう歩いていくのか けれどいつものように ドジばっかりやらかしながら ごめんなさいって言いながら ありがとうと笑いながら どうしたらいいか立ち尽くして泣きながら やっぱり精一杯歩いていくのだと思う なかなかブログに帰ってこれないけど 私らしい音色を日々紡いでいます(*^_^*) みなさまもまだまだ暑さが続きますが お体を大切にお過ごしくださいね 長い独り言・・読んでくださってありがとうございました |

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